追憶 神の願い、そして二度目へ
意識が覚醒する。
最初に目に入ったのは、白だった。
頭が働かず、暫く呆然としていた。やがて意識がはっきりしてくると、最後の記憶が蘇った。思わず左手で刺された胸を触るが、そこにはなにもなかった。
寝ていた状態から上半身を起こして見てみても、やはりなにもなかった。血の痕、傷の痕すらない。
思わず首を傾げる。不思議に思い周りを見れば、そこは白一色の空間でなにもなく、彼女もあの女もいなかった。
此処が何処か分からないし、何故此処にいるのかも分からなかった。
僕はあのまま死んだはず…………此処はあの世だろうか…………僕が此処にいるなら、彼女もいるだろうか………。
そんな淡い期待が胸を過る。
だが、その期待は呆気なく裏切られることになる。
突然、背後の空間が動いた気がした。実際はそんなことはなかったのだろうとは思う。けれど確かに、なにかが意識を掠めた。
立ち上がって後ろを振り返ると、真っ黒な少女が立っていた。
足首まであるクセのない真っ直ぐな黒髪。派手ではないが、ふわりと広がる豪華な黒一色のドレス。黒により引き立てられる透き通った白い肌。大人の妖艶さに彩れた小ぶりな赤い唇。
そして目が引き寄せられ逸らせなくなる、意思の強さが宿る黄金の瞳。
なんの感情もない無表情で、じっと僕を見つめている15、6歳の少女が其処にいた。
――ようこそ、私の世界へ。
彼女はゆっくりと話し始める。
――此処はヴェントゥーザ。
貴方がいた世界とは異なる世界、所謂異世界というものです。私はこの世界の神になります。こんなことを突然言っても理解できないでしょうが、どうかそのまま聞いて下さい。
私は私の願いを叶える為に、ある魂を探していました。そして、貴方を見つけたのです。
私はこれから、貴方に一つのお願いをします。これは私の願いなので、断っていただいても結構です。その時はここでのことは記憶から抹消し、新たな生を授けます。
けれどもし私の願いを叶えていただけたなら、更に来世で幸せに生きられるよう、貴方の魂を私の力で加護をします。
ここまでよろしいでしょうか?
正直、どうでもいいと思った。
此処が異世界で、彼女が神で、僕になにか“お願い”をしたいというのは理解した。
ただ、何故僕なんだ?
僕は浮かんだ疑問を、そのまま聞いてみた。
――それは貴方の魂が、深い絶望を抱いていたからです。
私の願いは、“世界を救ってほしい”ということなんです。
思わず、顔をしかめてしまう。言っている意味が分からないからだ。
世界を救うことと、絶望していることは、意味的に真逆のような気がするから。世界を壊して、と言われた方がまだ納得できる。
――不思議でしょうか?
確かに貴方は世界に、人に絶望しています。けれどそれと同時に、人を愛することを知っています。絶望も人を愛することも知っている貴方なら、世界を救える。私はそう思ったからこそ、貴方の魂をこの世界に召喚しました。
納得はできなかった。
どうして僕なんだ?どうして彼女じゃない?いつも人のことばかり優先するような、どうしても泣けなかった僕の代わりにいつも泣いていた、優しい彼女の方が適しているじゃないか……。
そう思ってしまったが、僕は彼女にそうやっていつも甘えていたな、と気づき、自嘲の笑みが零れる。
僕は一度深呼吸をして、まず聞かなければならないことを聞いてみた。
――僕に、なにをさせたいんだ?
その言葉に、目の前に立つ神の表情が少し動いたが、すぐに無表情に戻った。
――この先約二十年後に、“邪悪なる者”、邪神が現れます。邪神は、世界を破壊しようとします。
いえ、貴方に願うのは邪神を倒すことではありません。邪神を倒すのは、勇者です。その使命は、勇者に願い与えられるものなのです。
貴方に願うのは、“世界を救うこと”です。
邪神を倒すことと、世界を救うことは、別のことなのです。
先ずは何故、邪神が生まれるのかを話しましょう。
邪神とは、神ではありません。初めて現れた時“邪悪なる者”と呼ばれ、それがいつしか“邪神”と呼ばれるようになったのです。
邪神とは世界の、人の心の穢れが具現化した存在です。初めは、小さな自然の力の結晶体。その結晶体が負の感情である怒り、悲しみ、憎しみ、そして絶望。それらが発する穢れを取り込んでいくのです。
長い時間をかけて取り込んでいき、やがて“邪神”と呼ばれる存在になります。
邪神は、“世界の終わり”を願います。それが彼の者の存在意義になるからです。
一度目の邪神は、ただ己の力のみを振るい、生きるもの全てを蹂躙していきました。
このままでは、世界が終わってしまう。私は異世界から強い力を持つ魂を喚び寄せ、邪神を倒せる力を与えてこの世界に送りました。
勇者と呼ばれるようになったその者は邪神を倒し、邪神は小さな結晶体に戻り自然の中で眠りにつきました。
残念ながら、勇者はその時の闘いで亡くなってしまいました。
それから約五百年後、再び邪神が現れました。二度目の邪神は、己の力を魔物に与え人々を襲わせました。
私はもう一度、異世界より強い魂を喚び寄せようと思いましたが、今回はその者だけでは荷が勝ちすぎます。よってこの世界に生きる者達に、勇者召喚の魔術を授け、共に闘いに行くよう神託を下しました。
二度目の勇者も、邪神を仲間と共に倒しました。今度は勇者とその仲間達には犠牲者が出ましたが、生き残った者もおりました。
けれどこの時、予想外の事が起こったのです。
邪神の生命が消え結晶体に戻った時、一つの魔術が発動しました。邪神が自らの命の消滅と共に発動するよう、仕掛けていたもののようです。
その魔術により世界は荒廃し多くの命が失われ、世界は混沌に呑み込まれました。
邪神は再び結晶体に戻り、眠りにつきました。勇者と仲間達は邪神が発動した魔術に呑まれ、ただ一人を残し皆亡くなりました。
それから更に約四百年後、三度邪神は現れます。
結果は二度目と同じなので、説明は省きます。
ただ一つ違うのは、二度目よりも強い魔術が発動し、世界が更に荒廃してしまったことです。
ここまで話してお分かりいただけたと思いますが、邪神は約五百年周期で生まれます。
二度目と三度目の期間が短いのは、四百年の間に戦争が多発し、穢れが多く生まれたからです。
三度目から、もうすぐ五百年経ちます。
後約二十年というのは目安でしかなく、早まるかもしれませんし、もっと遅くなるかもしれません。
その間貴方には、勇者と共に邪神と闘えるように強くなってもらわなければなりません。邪神が魔術を発動する場に居合わせなければならないと思いますから。
ここまで長々と話しましたが、私が貴方に願うことは、“邪神の最期の魔術から世界を護ってほしい“、ということです。
ご理解いただけましたか?
本当に長い話だったが、なんとなく理解は出来た。
要は邪神の魔術を止めるか、相殺させればいいということだろうか。
で、それにはどうすればいい?
――はい。まず貴方の瞳に、魔眼を宿します。その魔眼には、一つの魔術が組み込んであります。そして魔眼は、貴方の持つ魔力を吸収し蓄積していきます。
魔眼に組み込んである魔術は、とても高度で強力なものです。
並の魔力では、発動すらしません。その魔術を使う為に、魔眼に貴方の魔力を溜めるのです。ですから貴方は、絶対に魔力を使おうとしないで下さい。
その魔眼の魔術で、邪神の魔術を打ち消してほしいのです。
この話を聞いて、僕が思ったことはただ一つ。
――彼女にはこんなことさせられないな、と。
僕の【唯一】である彼女が傷つくのは嫌だ。彼女には穏やかで優しい、暖かな日溜まりの中にいてほしいから……。
異世界の邪神との闘いなんて、あり得ないだろう?
――もう一つ、言っておかなければならないことがあります。
魔眼に組み込んだ魔術は、本来人には決して扱えないものです。絶対的に、魔力が足りないからです。
けれど今回は、半ば反則的な手段で使います。人の身では、耐えられないでしょう。
魔眼の魔術を発動すれば、貴方は確実に死ぬことになります。
ですから、この話は断っていただいても結構です。
あぁ……なるほどなぁ……。
僕は、納得した。話にではなく、目の前の神に対して。
目の前の神は、ずっと無表情だった。僕に語る声も、感情の込もらない淡々としたものだった。
この神様は、本当はとても優しいのかもしれない。人に“死”を強要するなんて、辛く悲しいのかもしれない。
でも、彼女がそんな感情を見せることは間違っている。だから感情を抑えて、無表情になっているんだろう。
神らしく一方的に命じちゃえばいいのに、と思うが、できないんだろうな。
この時点で、僕は彼女の願いを受け入れよう、と思っている。彼女の姿が、【唯一の人】に重なってしまったのが一番の理由。
姿は全く似ていない。
だが、その心が重なった。
絆されたんだろうな、と自分で自分が笑えてしまう。
けれどそれは、嘲笑では決してない。
僕の心には、絶望しかない。
【唯一】だった彼女もいない。
でも彼女だったら、どうするか。
それを考えたら、答えは自ずと決まる。
彼女には、沢山助けてもらった。心を救ってもらった。思いっきり甘えていた。彼女がいなかったら僕は生きてはいなかった、と断言できる。
そのくらい、僕にとって彼女の存在は全てだった。
彼女が僕に与えてくれたものは大きい。
でも、彼女はもういない。
彼女にはもう返せない。
だから、この世界で返そう。
僕は本当に、彼女になにもしていない。貰ってばかりだった。
僕が僕のままで返せる機会がある。
それは“彼女”にではないけれど、このままというのはあまりにも男として情けなさ過ぎるから。
だから、返そう。
彼女がくれたいろんな想いを。
世界を救ったら、彼女は笑ってくれるだろうか。
よくやったね、と褒めてくれるだろうか。
彼女の姿を思い出すだけで、心が温かくなり自然と笑顔になる。
心が定まり、僕をじっと見ていた神の瞳を見つめ返す。
――私の願いを、受け入れていただけるようですね。
――ああ。ただし、頼みがある。
記憶はこのままの状態なんだよね?うん、まぁそうだよね。けどある程度成長するまで、記憶は封印とかしといてくれないかな?
少しくらい、なにも知らないこの世界の住人として暮らしてみたいし、赤ん坊の時に記憶があったってなにも出来ないんじゃ苦痛でしかないし。
出来るかな?
――分かりました。
では、三歳まで記憶を封印することにします。
この世界では、三歳になりましたら神殿で“洗礼”というものを受けます。その時に、記憶の封印が解けるようにします。
それでは魔眼と、邪神と闘える力、そして私の加護を授けます。
神は僕の胸に手を添えた。なにか暖かなものが身体を満たしたが、すぐに溶けて消えた。
もう時間なのだろう。瞼が重くなってきた。
目を閉じる瞬間、最後に見た神様は、優しい穏やかな微笑みを浮かべていた。
そして笑顔とともに告げられた言葉に、思わず一滴の涙が零れた。
――こんなことを言うのは卑怯かもしれませんが、貴方の為に伝えます。
“彼女”が最後に願ったことは、“生きて”、です。
誰に向けられた願いなのか、貴方なら分かりますね?
「……あぁ……それは確かに卑怯だなぁ……」
全身に暖かな光を感じ、意識は途切れた。
読んで頂いてありがとうございました。




