9:親って本当にありがたい
王都でのやたら神経をつかう社交シーズンが終り、私とお父さまがヴァルトハイム辺境伯領に戻った頃には初雪が降り始めていた。西のはるかかなたに見えるヴェントス山脈はもうまっ白な雪景色になっていて美しい。ここら一帯ももうすぐ雪が降り積もることだろう。
などと帰郷した感慨にふけっていた私は、帰宅するなり身づくろいもそこそこにお母さまの書斎に連れてゆかれお説教を受けるはめになった。
「ヒルダ、王都では随分と騒ぎを起こしたようですね」
「はい、お母さま」
いつもはふんわりと柔らかく優しい雰囲気のお母さまが、今日ばかりは鋭い覇気をまとっていらっしゃる。その細められた眼の真紅の瞳が、突き刺すような厳しい輝きをおびていて怖い。
「王都ではずいぶんと暴れたと、お父様からの手紙で知りました」
「はい」
「あなたのことです。あなたなりの理由があってのことなのは、お母様にも判ります」
お母さまは、判らないことは判らないとおっしゃる方である。
つまりお母さまは、私がお父さまやお母さまを侮辱されて怒ったから暴れた、ということも理解した上でここまで怒っていらっしゃるわけだ。
「あなたのやったことを傍から見れば、王太子殿下との婚約が成ったからと虎の威を借りて暴力沙汰を起こしたようにしか見えません。いかなる理由があったとしても、あなたは他家の御子息らに手をあげてはなりませんでした」
きっつい。
つまり私は、お父さまやお母さまを理由に、王家の威光を借りてドヤ顔で暴れまくっていただけの糞ガキということになる。
なまじお母さまのお叱りの意味が判ってしまうから、もろに鼻っ柱をへし折られた気分である。
あまりにきつくて、泣き出してしまいそうだ。
「あの、」
「何ですか? ヒルダ」
「わたしは、どうふるまえばよかったのでしょうか……?」
さすがの私も、涙をこらえながら口をひらくのには、なけなしの精神力を総動員しないとならなかった。今の私はそれっくらい打ちのめされていたのだ。
「まだあなたは、一人前の貴族ではありません。子供です。ですから、相手の親御様に処置を任せるべきでした。子供であるということは、まだ親の庇護下にあって、自分で判断して行動を起こすことは許されないということです。お父様の他家ご訪問に同伴させていただいたということは、そうういことです」
ああ、そうか。私はあくまでお父さまの付属品であって、私自身がヒルデルートとして判断して暴れてはいけなかったのだ。
きつい。
正直、自分が年齢的にも精神的にもガキであるということを突きつけられたのがきつい。
「お母様が何を怒っているのか、理解しましたね? ヒルダ」
「はい、お母さま」
「晩餐まで部屋で反省していなさい」
なんていうか、心がぐちゃぐちゃになってしまった私は、お母さまに一礼するとふらふらとおぼつかない足どりで自分の部屋に戻った。
こういう時に空気を読んで何も言わないでくれるマリアは、絶対に侍女の鑑だと思う。
部屋着に着替えてベッドにもぐりこんだ私は、マリアが呼びにくるまでくちゃくちゃになった頭と気持ちを整理するのでいっぱいだった。
その日の晩餐は、私と王太子殿下との婚約祝いとお父さまが無事ヴァルトハイムに戻ってこれたことのお祝いの席で、城中の者にご馳走がふるまわれた盛大なものであった。
「ちょっとだけ。ちょっとのぞくだけだから」
「また奥様に叱られますよ、ヒルダ様」
「扉の隙間からちょっとのぞくだけ。ね、お願い、マリア」
とりあえずあれから一眠りしてしまった私は、涙とよだれでくっちゃくちゃになってしまった顔をあわてて洗顔し、まぶたとか濡れ手ぬぐいで冷やして、ぱっと見には普段通りの私に見えるようにしてから城の大広間に向かった。
本来ならば、控えの間でお父さまとお母さまと一緒に執事が呼びに来るまで待っていないといけないのだけれど、好奇心に負けてしまった私は、マリアにわがまま言って準備中の大広間をのぞき見させてもらった。
そこには何十人もの人が着席して食事ができるようにテーブルクロスがかけられた机と椅子が用意されていて、天井のシャンデリアには魔術光が灯されている。壁には色とりどりの飾り布がたらされていて、まるで王城の謁見の間のようであった。
「さ、参りましょう。殿様と奥様がお待ちでいらっしゃいますよ」
「はい」
せわしなく動き回っている侍従達の姿を見れば、これ以上私がここにいて邪魔をしてはいけないことくらいは判る。
というわけで、おとなしくマリアに連れられて控えの間に移動した私であった。
で、将来は私が王城でこういうのを開いたり差配したりしないといけないのか。あぁ、くっそ面倒くせえ。
「来たか」
「お待たせいたしました、お父さま、お母さま」
「今日の主賓は、ヒルダ、あなたでもあるのですよ。笑顔をたやさないようにね」
もう普段通りに穏やかな表情になっていらっしゃるお母さまのご様子に一安心し、でもやっぱりちょっと気まずくてお父さまに近い椅子に座る。
だって仕方がない。私を叱っている最中のお母さまは、それはもう本当に怖かったのだから。
高位魔族とかそういうのではなく、子供を叱る母親の威厳というものであったのだろう。やっぱり、お母さま、ぱねぇ。
「ヒルダ、私もヒヨルスリムに叱られてしまったよ」
「お父さまもですか?」
「ああ。お前がまだ子供だということを忘れがちだとな」
困ったような表情を浮かべてそう仰って、お父さまは、私の頭をなでてくださった。
固いけれど大きな手で頭をわしわしされるのって、私は大好きだ。
髪型がくずれるとか、そういうのをわきにうっちゃってしまってもよいほどに気持ちいい。スキンシップ万歳。
「ヒルダの髪が崩れてしまいますよ、旦那様」
「む、そうか」
「旦那様も、ヒルダのことを普段から構ってあげて下さいませ」
「そうだな」
もう、困ったお人ね、みたいな表情を浮かべていらっしゃるお母さま、相変わらずお美しくていらっしゃる。はぁ、眼福、眼福。
美しいっていいね。ささくれだった心が癒される。人が芸術に傾倒するわけだ。
で、なんとなく私の心に残っていたわだかまりがとけて無くなった頃合を見計らってか、お母さまがこちらにむかって手招きなさった。
「ヒルダ、アエスタスへの挨拶がまだだったでしょう?」
「はい、お母さま」
椅子から降りると私は、乳母からお母さまに手渡された赤ちゃんに近づいて顔をのぞきこんだ。
まるまるっとした赤ちゃんで、髪の毛はお母さまそっくりの黒いさらさらで、瞳はお父さまそっくりの濃い灰色である。
うむ、この可愛らしい天使のような赤ちゃんが、あと十年もしたら姉を姉とも思わなくなる糞ガキに成り果てるのか。まことにもって複雑な心境である。
「アエスタス、お姉さまですよ」
「あぶぅ」
ふぅ。我が弟ながら、まことに愛らしい。ここで泣き出されたら、つられて私まで泣き出してしまったかもしれない。姉を気づかってくれてありがとう、マイブラザー。
というわけで我がヴァルトシュタイン城の宴会も随分と盛り上がった。
確かにハンベルグ城での宴会よりも質素であったが、それは国王陛下肝いりの晩餐会を基準に考えるのが間違っているということで。むしろ皆が心から祝ってくれた分、うちの方が楽しかったかもしれない。




