第6章 生死の分かれ目
日がどっぷり暮れても宴は続いた。海賊たちはもうベロベロに酔っぱらっているようだ。マルコはこの隙にもう一度、小舟に武器になりそうなものが無いか探しに行った。鍋の毒はもう一時間後には効いて、奴らは意識朦朧となるはずだ。
船にあったロープの先に錨が結びつけられていたが、重たくて武器には使えそうにない。遠くから海賊たちの笑い声が聞こえていた。時間がなく、そのロープを使うしかないと考えた。
(急がなきゃ。全部は持ち出せない)
マルコはそれを岩に擦り、五メートルぐらいに切断し、巻き上げて束を作った。残りは船に戻し、そしてそのロープを肩に担ごうとした時、岩場の入り口に立ち尽くす小デブと目が合った。
(しまった!)
「あ、あ・にきぃ!」
そう小デブが叫ぼうとした時、マルコは持っていたロープの束を小デブに投げつけた。
「ぐはっ!」
小デブはそれを払い落し、仲間たちのいるほうへ走り出そうとして、慌てて岩場に足を取られ、砂浜に出たところで転んだ。すでに泥酔状態だったようだ。
「ひぃ、盗人が! まだいやがったか! この!この!この!」
小デブは砂浜を転がりながら、足でマルコを蹴った。マルコは這って逃げようとする小デブの背中に飛び乗り、その顔を砂に押しつけた。
「ぐ、兄貴ぃ! 助けて!」
小デブは叫んだ。その顔を力いっぱい地面に押しつけていたが、相手も結構力がある。小柄なマルコには押さえきれない。仕方なく、そばに落ちたロープをその小デブの太い首に巻きつけて、力いっぱい締め上げた。そうでもしないと、自分の命が危なかった。
やがて、その暗闇に波の音が聞こえて、マルコは正気に戻った。彼は動かなくなった小デブの背中に跨ったままである。しかしまだ、ロープを握る手の力を抜くことはなかった。
(まだ、生き返るかもしれない)
やがて、両手に込めた力が、手の震えに変わってしばらく時間が経った。そうしてようやくロープから手を離した。
(ああ神様・・・やってしまった)
全身が脱力したマルコは、目の前の死体から目をそらした。
暫くすると上空の雲が風で流され、明るい月が砂浜を照らした。しかしマルコはもうそこにはいなかった。
「兄貴、俺っちちょっと、用足してきやすぜ。なんか急に腹の調子が・・・」
そう言うと細身の男は、腹を撫でながら、森の中に歩いていった。
「なんでえ、やわな野郎だぜ」
大男はさらに鍋をすくって、何度かに分けて口の中に流し込んだ。もう鍋の中身は、あまり残っていないようだ。
マルコはその様子を木の陰から観察し、ただチャンスを待った。暫くして風が強く吹いた。大男は焚火のそばで横になってしまった。そしてそのまま時間が過ぎていった。半時間ほど経っただろうか。細身の男が森から戻ってきた。その足取りは、かなりフラついている。
「兄貴ぃ。なんか腹の調子が悪くってさぁ」
それを聞いて大男は、
「俺様もなんか、体中が痺れてきちまってよぅ・・・動けねえんだ」
(しめしめ。毒が効いてきたようだな)
「俺っちも喉がヒリヒリするってか、体も思うように動かせねえんでさぁ」
「酒飲めばよくなるってもんよ。おい、あいつ、まだ酒探してんのかぁ?」
(やばい、小デブのことだ。船に行ったっきり、戻ってこないから怪しまれてしまう)
「おめぇ。ちょっと奴を見てこい。痛ててて・・・」
「へい。俺っちも胸が悪くて吐きそう、もう歩けないっすよ」
「つべこべ言うな! 痛ててててててててて・・・」
細身の男が砂浜を歩いていく。もう小デブの死体が見つかるのは、時間の問題だ。
(今なら、あの大男にも勝てる)
マルコは決心した。この好機を逃すわけにはいかない。そしてロープを強く握り締め、森から出た。
「ああ! 兄貴、あいつ、あそこで寝てやがるぜ」
細身の男が、砂浜をよたよた歩きながら言うのが聞こえた。
「奴も腹壊して、ぶっ倒れてんじゃねえのか?」
大男が砂浜にのたうち回りながら言った。マルコには判っていた。この大男は毒のせいで、体が思うように動かせなくなっていることを。
マルコはロープを括り、輪っかを作って、その大男の背後まで忍び寄った。そしてその輪を首にかけ、一気に後ろに走って締め上げた。
「グアッ! だ、だれだ!?」
大男は横たわったまま、体をのけぞりマルコを見た。しかしマルコは必至でロープを引いた。近くの木の枝にロープをかけ、全体重をかけて引っ張った。それで大男はしゃがんだまま、首を吊られるような形になって、もがき苦しんだ。しかし、大男も力いっぱい抵抗した。
(ダメだ力じゃかなわない!)
マルコは焚火の近くにあった、薪割りの斧が目に入った。それを握ろうと片手をロープから放し、必死に手を伸ばした。その瞬間、大男がロープを強く引っ張ると、
「あ!」
マルコは引き倒されてしまった。
(しまった!)
その時、手につかみそうだった斧を、落としてしまったのだ。すぐさま大男は、マルコに跳びかかってきた。まだこんな余力があったなんて、マルコの計算違いだった。
「このガキがぁ~!!!」
大男のごつい手が、マルコの首を絞めた。マルコの必死の抵抗も虚しく、視界が徐々に暗くなっていくのを感じた。風の音は激しく、波の音はやけに静かに響いていた。
★ゴン!
「はぁ!」
突然マルコの意識が戻った。気がつくと、自分のお腹の上に、もがく大男が頭から血を流して倒れている。
(なんだ一体!?)
マルコはロープを握る手に、再び渾身の力を入れなおした。そうしながら前方を見上げた。風が強く吹く暗闇の中、焚火の炎を背景に、もう一人の男が斧を握って立っている。
(これは?)
マルコが状況を確認する間もなく、その男は海のほうに走っていってしまった。その間も、大男の首を締め上げ続ける手の力は、緩めるわけにいかなかった。そしてしばらくすると、
「あ、ああ、ぎゃー!!!」
細身の海賊の叫び声が聞こえた後、風の音しか聞こえなくなった。
(だ、誰だ? 仲間か?)
そしてその男は、ゆっくりと歩いて焚火のほうに戻ってきた。マルコは取り乱した。
(どうしよう。逃げないと!)
すぐに立ち上がって、走りだそうとした。
その人影、意外に大きい。
上半身は血にまみれ、手には斧。
息は荒く、肩が大きく上下している。
その目だけが、ぎらりと光っていた。
(敵か)
マルコは一歩、後ずさった。
「・・・来るな」
声が思ったより小さく出た。影は動かない。ただ、じっとこちらを見ている。再び風が吹いた。火の粉が舞い上がり、その一瞬だけ、男の顔がはっきりと照らされた。
深い傷跡。見覚えのある顔。
「君は・・・」
記憶がつながった。
あの船。
暗い荷室。
鞭で打たれた、奴隷の若者。
同じ顔だった。
「・・・生きていたのか」
男はゆっくりと一歩近づいた。マルコは反射的にロープを構えた。
「来るな!」
叫び声が夜に裂けた。男の動きが止まる。しばらくの沈黙。やがて、その男はゆっくりと、斧を地面に置いた。そして両手を、胸の高さまで上げる。敵意がないことを示すように。
「・・・ワタシ」
ぎこちない言葉だった。
「味方」
マルコは動かなかった。心臓の鼓動が早い。
(信じるな)
頭の奥で、警鐘が鳴っている。
(ここで油断したら、死ぬ)
「・・・どうやって、生き延びた」
絞り出すように訊いた。男は少し考え、言葉を探すように口を開いた。
「海・・・逃げた。流れ・・・ここ」
短い言葉。だが嘘ではないと、なぜか分かった。それでも、
「仲間は?」
マルコの問いに、男は首を横に振った。それだけですべてが伝わった。沈黙が落ちる。風が二人の間を通り抜けた。マルコはゆっくりとロープを下ろした。だが、完全には力を抜かない。
「名前は?」
「クンタ」
「・・・マルコだ」
名を交わしたあとも、距離は埋まらない。互いに、互いを測っている。クンタが、動かなくなった大男に目をやった。そして、マルコを見る。
「あなた・・・やった」
マルコは一瞬、言葉に詰まった。これを否定しようとした。だが、できなかった。
(自分は小デブも・・・)
「・・・ああ」
短く答える。クンタは何も言わなかった。ただ、小さくうなずいた。
「ワタシも」
その一言が、妙に重かった。マルコは目を上げた。クンタの視線の先、砂浜の暗がりに、もう一つの影が見えた。細身の海賊の死体だった。
(・・・そうか)
互いに、生きるために人を殺した。その事実だけが、今の二人の共通点。言葉はいらなかった。マルコはその場に、どさりと座り込んだ。力が抜けた。
「・・・助かった」
ぽつりと漏れる。クンタも少しだけ首をうなだれ、それからまた、ゆっくりとうなずいた。
「ワタシも」
短い返答。だがそれで十分だった。
焚火の残り火が、ぱちりと音を立てた。夜はまだ深い。だがマルコは初めて、完全な孤独ではないと感じていた。
その晩、二人は小舟にあった食料を食べて、お互いの再会を喜んだ。




