第2章 運命の日
港を出港する日の朝、マルコはバーで朝食を摂っていた。その店は子供の頃からのなじみの店だった。小さい頃、よく父親に連れてきてもらっていたのだ。
マルコの父親もまた船乗りだった。父は出港前には、必ずこの店で腹ごしらえしていた。そこにマルコもついてきて、そのあと父親を航海に送り出すのが習慣だった。
その店が好きだった理由はもう一つある。壁に掲げられた地図のせいだ。それは伝説の海賊キャプテン・モローのサインが入った、宝の地図だと父親から聞かされていた。それで幼いマルコは、海賊を一種のヒーローのように感じ、大海原への想像力を搔き立てられたのだった。
父もまたその地図に影響を受け、船乗りになった一人だった。この港の男は皆、このキャプテン・モローの財宝にロマンを感じ、海へ出ていくのだ。
しかし、ある時から、父親は帰ってこなくなった。父の乗った船が、海賊船に襲われて沈没したという噂が流れた。それで幼いマルコは、海賊が大嫌いになってしまった。
マルコは店を出て、波止場に向かうことにした。そこには一段と大きな商船が停泊していた。それは、この国の大富豪フランコが船主の、大洋貿易船『サンタ・アナ号』であった。
マルコはその前で立ち止り、視界に入りきらないその大きな船を見上げた。大人になったマルコは、外国まで幾度もの航海を経験していた。そして今日から新しく、この船に乗ることになっていたのだ。
「みんなよく聞け。今回の航海には、重要な仕事がある。品物を運ぶだけではなく、植民地から奴隷を連れてくるのだ」
船長が甲板で大きな声で言った。奴隷を専門に運ぶ奴隷船も多いが、このサンタ・アナ号は、この国で最も大きな商船である。それで奴隷を運ぶとは、船員たちも予想していない事だった。
「キャプテン。奴隷たって、いったい何人くらい運ぶお積もりで?」
副長が質問した。
「五百人だ」
「ひぇ~五百!?」
「そうだ。五百人も運べる船は、このサンタ・アナ以外にない」
「しかし、そんなに奴隷を連れてきちゃ、港の役人たちに目をつけられるんじゃねえっすか?」
「心配はいらない。その為に今回は、船主のフランコ様が手を打ってくださっている」
「へへへへ。役人は賄賂がお好きってことでさぁね」
「それにこの航海には、港の監査官も乗船されるのだ」
「へ? 役人が同行するとは、相当な力の入れようでガスね」
「彼の身辺警護に、警護士も五人、連れていくことになってる」
「へへへへ、こりゃ何か特別な裏がありそうでさぁねぇ」
「これからの時代、奴隷の売買は合法的なビジネスになるらしい」
マルコはその話を、(立派な商船としては、あまり尊敬できない仕事だな)と思いながら聞いていた。
マルコの役目はマストの上に立ち、水先案内をすることだ。船乗りとしては小さかった彼は力が弱く、体力の代わりに知識で役に立つ船員として重宝がられた。そしてその航海は順調そのものだった。
航海は六か月に及び、マルコの乗るサンタ・アナ号は、本国へ帰還の途中だった。しかし、不可解なことに、マルコは母港のある方角とは違う、大洋の真ん中を目指すよう指示されていた。しかもその船には、物資や奴隷を予定していた十分の一も積んでいなかったのだ。
事件は日暮れと共に起こった。奴隷として移送中だった原住民たちが、暴動を起こしたのだ。
「お願いです。水を飲ませてください」
言葉の解かる奴隷が騒いでいる。本来五百人を詰め込む予定だったにもかかわらず、監査官の現場指示で、輸送している人数はたった三十人ほどだった。しかし少人数故、船長は船倉に閉じ込めることはせず、彼らに空いた荷室を使わせていた。そのことを監査官は良しとせず、奴隷たちに十分な食料を与えさせなかったのだ。
水や食料を運ぼうとした船員に対して、毎晩酒に明け暮れる監査官の警護士達は、その食料を奪い取り、海に捨ててしまった。そんなことが数日繰り返されていた。
「水ですって! おやおや、一等客室にでもいるつもりなのですか?」
監査官は、奴隷たちにそう言い放ち、相手にしない。
しかし、船員の一人が、桶に入れた飲み水を運んできた。
「勝手なことするんじゃない!」
警護士はその桶を叩き落とし、水は床に撒きこぼされてしまった。それでも奴隷たちは床に口をつけ、その水をすすった。
「ぎゃはははは、ついでに舌で床を掃除しやがれ!」
警護士たちは大声で笑った。ついに我慢できなくなった奴隷の一人が、監査官に詰め寄った。彼は大声で何か叫んでいた。しかし原住民の言葉しか発っせない汚い男に、監査官は苛立ちを隠さなった。
「うるさい! 海に捨ててしまうぞ!」
そう言って、その奴隷の髪をつかんで、荷室から連れ出そうとした。
「待って!お願い。みんな喉、渇く、限界です。お願い、その人許して!」
片言で話す若い奴隷が、そう言いながら、仲間が連れていかれそうになるのを止めようとした。その声に監査官は振り向き、
「お黙りなさい!」
持っていた鞭で、その屈強な体つきをした若者の顔を、おもいっきり打った。その瞬間一斉に奴隷たちが立ち上がり、監査官とその警護士達に詰め寄っていった。警護士の一人が、腰のサーベルを抜いて威嚇したが、奴隷たちの怒りは収まらない。
「下がれ! 切り殺すぞ!」
警護士は大声で叫んだが、相手のほとんどが、その言葉を理解しているようには思えない。その他の警護士も全員がサーベルを抜くと、最前列にいた奴隷たちに一斉に切りかかった。
荷室は騒然とした。奴隷たちはそこから逃れ、甲板へ上がってきてしまった。多くの船員も駆けつけ、騒動を収めようとしたが、現場はもう収拾がつかない状況だ。




