第6話
戦場は不安を増幅させる。
どれほど優秀な兵も、不安から見間違いをする。
『我、敵を発見す』
『敵艦、大火災。まもなく撃沈』
これは、嘘ではない。
ただ、見間違えただけ。
それが重なって、歴史となるのだった。
──だから、今回も見間違いであって欲しかった。
◇ ◇ ◇
「ヘスター……どうですの?」
辺りは見回しながらシャーロットは聞いた。
銃を構え、いつでも射撃出来るようにしながら。
ヘスターはしゃがみ込みながら、鉄条網を点検する。
二人は遠目から見た、異常があるであろう鉄条網の場所に来ていた。
「……これ。見てみろ」
ヘスターは有刺鉄線をシャーロットに見せた。
有刺鉄線。
鉄条網の中心を構成するものが、切れていた。
断面は斜め。鋭く尖っていた。
「これって!?」
「ああ……外れて、壊れたんじゃない。切られたんだ」
背筋が凍る。
鉄条網を味方が切る理由はない。
であるならば……
敵だ。
「そんな……砲撃もないのに、敵がこんなところに?」
「ああ、意味がわからないが……とにかく陣地に戻るぞ。すぐに報告しないと……」
そう言ってヘスターが顔を上げた時。
風が止んだ。
虫の音も、遠くの焚き火の爆ぜる音も、消えていた。
暗闇から手が現れた。
その手は、シャーロットを掴んだ。
「ンン!?」
声を上げられないように口を抑えられている。
現れた手は二つ。もう一つの手には……
鋭いナイフが握られていた。
見たことのない装備の敵兵だった。
敵とわかるのは軍服。敵軍兵のものであるが、
ヘルメットは装飾のない実用的なもの。
黒い目出し帽に、身体のあちこちに手榴弾。
ピストルに、初めて見る短く、不格好な銃。
不気味な出で立ちの兵士だった。
敵兵はナイフを煌めかせる。
『騒げば、コイツを殺す』
そう言っているようだった。
ヘスターは睨みつけるが、それ以上は出来ない。
下手に動けばシャーロットは死ぬ。
「む~、む~!」
口を抑えられながら、ジタバタ暴れるシャーロットを除いて。
「チッ」
敵兵は舌打ちをし、ナイフを動かす。
面倒くさい、片付けてしまおうと。
ヘスターは左手の指を不規則に動かす。
シャーロットはそれを見逃さなかった。
ハンドサイン。
暴れるシャーロットは正確に、敵の足を踵で強く踏みつけた。
「ぐぅ!?」
敵兵は体勢を崩すが、それでも刃を振るおうとした。
だが、もう遅い。
それが命取り。
見逃すヘスターではない。
彼女は腰につけた大型のナイフを抜き放ちながら、駆ける。
それは王国軍正規貸与品ではない。
彼女の部族特有のナイフ。
闇夜の僅かな光を反射した、曲がった異様な刀身。
それが敵兵の見た最後の光景だった。
「な、なんですの……この人……」
拘束が解けた、シャーロットは息を荒くしながら、ヘスターに聞いた。
「わからない。初めて見る装備だ」
彼女は敵兵にとどめを刺しながら答えた。
事が終わったのを確認したヘスターは、ナイフの血を拭い、しまう。
「この人、お一人かしら?」
「いや、そんな筈無いと思うが……」
言いかけた瞬間に陣地で爆音と共に火柱が上がる。
疑念は杞憂ではなかった。
二人は装備を整えると塹壕に駆け戻るのだった。
「敵襲! 敵……ガァッ!」
塹壕にたどり着いたシャーロットたちの前で、
声を上げた王国兵に棍棒が振り下ろされる。
金属製の棘付き。
一撃で目出し帽は王国兵を黙らせる。
指を指し、無言で部下に命令を出すと素早く散開していく。
「うん……何だ? うるせぇな……」
寝ぼけ眼で様子を見るために、壕からでてきた王国兵に、
目出し帽は手榴弾を押し付け、蹴り飛ばす。
壕に転げ落ちて、爆音とともに壕が崩落する。
あちらこちらで、騒ぎが起き、銃声と悲鳴が伝播する。
「なっ……マジかよ……」
唖然とするヘスター。
先程まで暗く、不潔で、不愉快な塹壕。
それでも……
平和だった。
それが燃えている。
人の命が消えていく。
「ヘスター!!」
声と共にシャーロットに押し倒され、木箱の裏に二人は転がり込む。
立っていた場所に数え切れない程の弾が撃ち込まれる。
目出し帽の銃が火を吹いたのだ。
「シャ……シャーロット?」
おかしな二等兵。
そう思っていたシャーロットに助けられた。
あの場に立っていたら自分は……
「ヘスター! なんですの、あの銃は! まるで機関銃ですわ!?」
機関銃は備え付けの重い物のはずなのに、目出し帽はその短い銃を、軽々と扱っていた。
「噂で聞いてたやつかもな……引き金を引いている間、弾が出続けるらしい」
気を持ち直した、ヘスターは答える。
「なんですって!? 反則ですわ!」
シャーロットたちの持つ歩兵銃は一発ごとに、遊底を動かす必要がある。
圧倒的に不利だった。
木箱が爆ぜる。
目出し帽が引き金を引く度に木片が飛び散る。
「ヘスター!? とても狙うなんて出来ませんわ!」
シャーロットが叫ぶ。
歩兵銃では顔を出し、よく狙わなければならない。
しかし、目出し帽は木箱の辺りに向けて、引き金を引くだけでいい。
「くそ……だが、威力はたいしたことないな」
木箱の中の雑多な品物に阻まれ、弾は貫通しない。
「ううう……狙えさえすれば、この距離では外しませんのに……」
悔しそうに言うシャーロットをヘスターは見ていた。
このシャーロットという女兵士。
かなり射撃の筋が良い。
それは多くの新兵を見てきたヘスターの確信だった。
本人は
『貴族たるもの、狩りは教養の一つですわ!』
そう言っていたが――
今は、その銃口の安定だけが信用に値した。
「シャーロット。あそこが見えるか?」
ヘスターは指を指す。
作りかけの土嚢が積み上げられていた。
「アタシがあそこに飛び込んで、奴の注意を引く。その隙に、お前がアイツにぶち込んでやれ」
「危険ですわ! もし外したら、あんなところでは……」
背の高いヘスターが隠れられるとは思えなかった。
「安心しろ。外したら、アタシがお前を撃ち殺す」
ヘスターは真顔だった。
「……最悪ですわ」
シャーロットは肩を落としていた。
「……頼んだぞ」
そう言ってヘスターは、銃を置いた。
少しでも、身軽になりたかった。
その行動にヘスターの覚悟を感じた。
「……お任せくださいまし」
シャーロットは遊底を操作し、次弾を装填する。
その音を聞いて、ヘスターは飛び出した。
迂闊だ。
ヘスターはそう思った。
敵は火力優勢。更に銃口を向けられているのに……
この距離なら自分でも当てられるのに、シャーロットを飛び出させることはしたくなかった。
それが何故だかわからなかった。一山幾らで、現れる補充兵なのに……
足元で爆ぜる火花を躱しながら、ヘスターは土嚢の山に飛び込んだ。
長くは持たない。弾が肌をかすめていく。
「シャー……」
シャーロット。
そう声をかけようと彼女を見ると、木箱に肘を置き、銃を構えて、狙いを定めていた。
時が止まる。
狙いを定める、大きな瞳に、翠の瞳に引き込まれる。
高貴な、そんなはずはないのに、ありえないことなのに……
貴族。
本来の気高さを、その瞳に見てしまった。
銃声によって、ヘスターは現実に引き戻された。
ドサッと敵兵が倒れる音が続いた。
「やりましたわ! ヘスター!」
笑みを浮かべ、子供のように大声を上げるシャーロットを見て、
ヘスターは首を振る。
勘違いだ。コイツはシャーロット。自称貴族のお嬢様とか言う変わった兵士だ。
「……よくやった。アタシが元帥になったら、お前に勲章をやる」
「それは……気の長い話ですわね」
そう言って、二人は少し笑う。
──暖かい空気。
だが、その空気は爆発音で吹き飛ばされる。
身体をすくめ、爆炎を見る。
塹壕の王国兵も見ていた。
戦っていた目出し帽たちは、いつの間にやら闇に消えていた。
シャーロットが撃った者も、血痕だけを残すのみだった。
「あれは……前線指揮所の方向……?」
「ま、まさか……あいつらの目的は……」
瞬間。
辺りが朝になった。
敵の照明弾。
「見ろ! 大砲だ!」
誰かが叫んだ。
この戦線が、落ち着いていたのは敵味方、
長距離砲がなく短射程の歩兵砲しかなかったから。
王国側の混乱に乗じて、闇世の中。
敵は射程距離まで砲を押してきていたのだ。
砲兵隊長だろう。
ヘルメットに飾りのついた兵が、抜き身の剣を振り下ろす。
「伏せろぉおおお!!」
王国兵が叫んだ。それしか出来なかった。
後に、人々はこの夜を
“戦い方が変わった日”と呼ぶことになる。
第六話 終わり




