第5話
兵士は銃を撃つ。
兵士は敵を倒す。
兵士は勝利をもたらす。
そう思っていた。英雄とまではいかないけれど、勇猛果敢。
戦場こそそれを叶え、我こそは、祖国を救うもの。
──そう思っていたのに。
「ハァ……ハァ……」
吐く息は白い。息を吐く度に、泥を掘り返す音が重なる。
手に持つスコップを泥に打ち込み、すくって、塹壕の外に出す。
雨が上がってからは、ずっとこの調子だった。
「キ、キツい……ですわ」
そうボヤくのはシャーロット二等兵。
朝早く、叩き起こされた後、塹壕の維持管理作業に駆り出されていた。
要は、雨でなだれ込んだ泥を掻き出す肉体労働のことだった。
「文句言うな」
朝の冷たい空気よりも冷たい言葉が飛ぶ。
隣で黙々と作業をしていたのは、ヘスター上等兵だった。
彼女は腰を入れて作業、手だけでスコップを振るうシャーロットとは違った。効率よく泥を掃除していく。
「そうは言いますけど……」
シャーロットは手のしびれを覚えていた。腕もパンパンだった。
「教えただろ。スコップは身体で使うんだ。手だけでやるからそうなる」
「これ……いつまでやるんですの?」
「終わるまでだ」
ヘスターの言葉に、シャーロットは微妙な顔をした。塹壕には手の空いた兵士が集い、皆、スコップを振るう。
雨上がりのいつもの光景だった。
「……ヘスター。私、思いつきましたの」
シャーロットが顔を近づける。普段ならヘスターは怒るところだが、きつい作業のせいか、少し気分が紛れたのかも知れない。
好きにさせることにした。
「敵も塹壕掃除で疲弊しているはず。なら、この隙に攻撃するのはどうかしら?」
誰もが考えつきそうなことだった。塹壕掘りの度に、皆、同じようなことを言う。
「反撃されて、撃退されたらどうする? 逃げ帰った先は泥に埋もれた溝だ。そこで、敵を止められるか?」
手も止めずにヘスターは答える。
「ですが、それは敵も同じ事ですわ。今こそ……」
手を振り上げ、演説でも始めそうなシャーロットはそこで気づいた。
ヘスターが無表情に見ていた。じっと、シャーロットの目を見ている。
「……塹壕……掃除、ですわね……そう、ですわね……」
と、スコップを地面に突き刺した。その様子にヘスターは顔を崩さない。
だが、スコップの音が揃うと、少しだけ、満足気であった。
塹壕を掘るのは彼女達だけではなかった。勿論、王国兵も作業していたが、他にもいた。
小さな羽虫。
この地域特有の種類で、彼等は雨に濡れた泥を好む。それは新居の材料。
顎と足を使い、器用に丸めると、それを持ち、飛び立つ。
その先にいたシャーロット。
「きゃ! もう、困った虫さんですわ」
彼女は手を振り、羽虫を追い払う。その様子にヘスターはため息を吐きながら、作業を続ける。だから、気づかなかった。
羽虫によって、爪の先にも満たない、小さな泥が無くなった。
そのことで水たまりが決壊し、塹壕に水滴が落ちていく事に。
水滴が静かに、塹壕に積まれた泥を穿つ事に気づかなかった。
塹壕掃除が一段落する頃には、日が高く登っていた。
士官たちの厳しい言葉を受けながらの作業は、体に堪えた。
やっと休憩になり、シャーロット達は食事をとることにした。
「疲れましたわ~」
シャーロットは受け取った昼食を持ちながら、木箱に腰掛ける。
「あれだけの雨だからな。仕方ないさ」
ヘスターは手頃な椅子に変わるものがなく、仕方なく塹壕の地面に座ることにした。
「あ! そ、その……座ります?」
シャーロットは慌てて立ち上がる。ヘスターに怒られると思ったのだ。
「……いや、いい。まぁ……真面目にやっていたからな」
手のひらをヒラヒラと振った後、食事を始めるヘスター。
「あ、ありがとうございますわ。それでは遠慮なく」
シャーロットは木箱に座り直すと、食事を見るが、やっぱり気になることがある。
「なんか……侘しいですわね」
「食えるだけありがたいだろ。文句言うな」
「それはそうですけど……」
「死なない。飯が食える。寝れる。これが軍隊の贅沢だ。よく覚えておけ」
ヘスターの言葉に、シャーロットは嫌な顔をする。代用パンに、野菜くずのスープ。これが、贅沢だろうか?
「チーズもあるぞ? 貴族様はカビのついたチーズが好きなんだろ?」
「これは……ただ、カビてるだけですわ……」
ハァ~と、ため息が出るが仕方ない。食べなければ体が持たない。
パンと呼ばれる物体を、ぬるいスープに付けて口に運びながら、
「午後からは、何をするんでしたっけ?」
「鉄条網の敷設だな。ところどころ壊れているところがあるからな。今日中に全部、直すそうだ」
「き、今日中!?」
がっくりと肩を落とすシャーロットに目もくれず、ヘスターは食事を口に運んでいた。
「鉄条網があれば敵は来れない。安全第一ってわけだ」
「それは事故を起こさないってことで、攻撃されないという意味ではありませんわ」
シャーロットはそう言って、味のしない食事を口の中に押し込むのだった。
──そう、安全。鉄条網があれば安全なのだ。
敵はそれを乗り越えられない。そのはずである。それが、常識だった。
◇ ◇ ◇
空は真っ暗闇。今夜は月が出ない日なのだろう。塹壕には光が少ない。燃料を節約するためだ。少ない照明に、見張り用の焚き火が少しあるだけ。
疲れ切った兵士たちは皆、夢の中に落ちていた。起きているのは哀れにも当直になった者と虫たちだけ。
そんな暗い塹壕を小さなカンテラを持ち、歩く二人がいた。
「……ったく、折角、寝付けたところなのに」
ブツブツと文句を言うのはヘスターだった。
「だって……私、急に……」
気まずそうに言うのはシャーロット。夜遅くにトイレに行きたくなったシャーロットが、ヘスターに付き添いを頼んだのだ。
「起きてるやつはいただろ? そいつに頼めよ」
部隊では何事も複数人で行動するようにとされていた。
たとえ、それがトイレだとしても。
緊急事態に対応出来るようにするためと、何よりも──
脱走を防ぐためだった。
「そんな!? 殿方に付き添ってもらうなんて! お嫁にいけなくなりますわ!!」
ギャーギャーと騒ぐシャーロットに額を抑えるへスター。
光が漏れないように、幌をかけたカンテラが揺れる。
瞬間、何かが光った。シャーロットはその光が気になって、暗闇に目を凝らす。
そして……
「あ、ああ……」
「なんだよ? 間抜けな声を出して」
顔面蒼白になったシャーロットが震えながら指を指した。
しかし、暗くてヘスターには何も見えない。
「まさか、幽霊でも見たとか言うんじゃないだろうな?」
「あれ! あそこを見てくださいな! ヘスター!」
シャーロットがあまりに言うので、ヘスターは仕方なく、周囲を見渡してから、カンテラを掲げた。
光が暗闇をかすかに照らす。
「……マジかよ……」
いつもぶっきらぼうな表情のヘスターですら、その顔を崩した。
「ど、どうしましょう!? どうすればいいの、ヘスター?」
ヘスターの肩を激しく揺さぶるシャーロットに、ヘスターは方針を決定した。
「状況を確認しに行く。風で外れただけかも知れない」
彼女は肩に担いだ銃を構える。
ゴクリ。
シャーロットは喉を鳴らし、同じように構えた。
二人は頷き合うと、暗い闇の中の塹壕を走るのだった。
昼間、額に汗をかき、必死で修理した。
完璧に敷設した鉄条網が……
壊れていたのだった。
——まるで、外側から押し広げられたかのように。
第五話 終わり




