第14話
ハァ、ハァ、ハァ。
息が荒くなる。鼓動は激しくなる。
銃を構え、小屋に背をつけて、大通りの様子をうかがう。
道の先には鐘楼があった。
忌々しい。
彼は舌打ちをした。
彼は敵軍の前進部隊を率いる若い士官だった。
あと一つ、市街の区域を制圧すれば、砲兵を前に出せる。
あの鐘楼を砲撃で吹き飛ばせるはずだ。
迂回した者たちもそろそろ、着くだろう。
そうすれば、あの上に陣取る狙撃兵も一巻の終わりだ。
爆発音が聞こえた。
別働隊が進んでいた方向、そこから聞こえた。
王国軍は街そのものを罠にしていた。それに引っかかったのだろう。
彼は首を振る。役に立たないと、落胆していた。
決心するしかなかった。
彼は士官だ。決めるのが仕事だ。
手を振り、部下に命令を告げる。
その時、気づかなかった。小屋の影から出ていることに──
銃声。
彼の軍帽が落ち、彼も倒れた。
◇ ◇ ◇
「恋人よ……どうか泣かないで……」
シャーロットはスコープを覗き込みながら、歌を口ずさむ。
あの流行歌謡。悲しくも、希望に満ちた歌を。
「山を超え、川を超えて……貴女のために……」
歌を歌う。
ヘスターが叫ぶ。その相手を狙う。
空薬莢の落ちる音と、射撃音を伴奏にして。
歌声に合わせて、敵兵が踊る。踊った後に動かなくなる。
歌声に合わせて、敵兵が歌う。歌った後に動かなくなる。
「さよなら……私は戦場に……きっと……」
勝利を持ち帰る、その日まで待っていてくれ。私は必ず戻る、愛しい貴女のもとに。
歌はそう続く。
しかし──
シャーロットは決して、その歌詞を歌わなかった。
街の広場に王国兵は集められた。
奮戦虚しく、敵兵の前進を止められなかった。
区画をまた一つ制圧され、取り戻そうとした友軍は壊滅した。
敵軍は砲兵を前進させたようだ。
射撃できるようになるまでは、まだ時間はあるだろう。
それが終われば、王国軍防衛隊の指令所まで射程に収まる。
終わりだ。後は、砲撃の圧力で叩き潰されるのみだった。
整列した兵たちの前に将軍が立った。
防衛部隊の指揮官。元帥。王国陸軍、最高階級。
「元帥閣下に敬礼!」
将校の言葉に皆が敬礼をする。
「諸君、楽にしてくれ」
元帥が手を振り、それを見た兵たちが休めの姿勢になるのを、確認してから話し始めた。
「皆も知っているだろう。敵が最終防衛線を超えた。市街全域は敵の砲の射程範囲だ」
兵たちは顔を崩さない。
不満げな顔をすれば、元帥を非難していると取られる可能性がある。
「……首都よりの街道にも、敵兵を通した。私の判断の遅れだ。食料も足りずに、皆には難儀させている」
後方線の安全すら確保できていない事を認めている。
落ち着いた様子の元帥だが、彼も混乱しているのだろう。
「私は……」
喉を鳴らし、言葉を選ぶ。
「撤退を選ぶことにした」
誰かが息を呑む音が、広場に不自然なほど大きく響いた。
この部隊は死守命令を受けている。
撤退など許可が降りるはずがない。
無許可の撤退。命令違反は明白だった。
元帥の言葉は続く。
「首都に戻り、補給と軍備を整え、反攻する。これしか、道はないと考えた」
理屈はわかる。承認されないことを除けば……
「そこで、志願を募りたい。撤退するまで敵を抑える殿を」
最悪だ。死刑宣告に等しい。
「友軍を守る勇者。その栄誉は王国軍に響き渡るだろう!」
元帥は叫ぶ。
「昇進、勲章も私が用意しよう! 望みのままだ! 当然だ、英雄なのだから!」
冗談ではない。無許可で戦場を放棄した元帥の言葉に何の価値がある?
元帥自体が軍法会議の場所で、昇進の打診でもするつもりだろうか?
兵を生贄にしようとしているだけだ。
罪悪感から、志願の形を取ってるに過ぎない。
兵たちはそう理解していた。
こんなものに志願する者は居ない。
結局、運の悪い部隊が残されるだろう。兵たちは視線を逸らした。
「はい。志願しますわ」
その声は静かに、水面を伝わる斑紋の様に広がった。
鐘楼に籠もり、敵を撃っていた狙撃兵の声。
ボサボサの金の髪。不健康そうな肌に、全てを恨むような目つき。
肩に下げる狙撃銃だけが、妙に磨き上げられていた。
その兵の名は、シャーロットと言った。
「シャーロット!? お前、何を考えてる!」
隣りにいたヘスターが叫ぶ。
「何を? 志願を募られたから、志願しただけですわ。何が、おかしいと言うの?」
「馬鹿野郎! こんなところに残ったら……」
言葉を元帥が遮った。彼はヘスターを押しのけ、シャーロットの前に立った。
「素晴らしい! 我が軍にまだ英雄が残っていたとは……」
少し、困った元帥に将校が駆け寄って、耳打ちをする。
シャーロットの名前がわからなかったのだろう。
「シャーロット一等兵! 君は英雄だ!」
肩を叩く。激励のつもりだろう。
「勿体ないお言葉ですわ。元帥閣下」
ヘスターは言葉が聞き取れない。崩れるような、足元がぬかるんだ泥に変わるような、感触がした。
シャーロットは死ぬつもりだ。
そう確信した。全てを捨て、この場所で死ぬつもりだと。
シャーロットが流し目で、ヘスターを見ながら、唇を動かす。
声は出さなくてもわかる。
ずっと、一緒だったのだから──
『これが、私の選んだ道ですわ』
その言葉に、手が震えた。する必要はない。
自殺志願者などに付き合うつもりはない。
下らない、感情に共感する気もない。それなのに……
「ヘスター上等兵! 同じく、志願いたします!」
彼女は手を上げていた。
◇ ◇ ◇
鐘楼の上に土嚢や弾薬、銃器が運び込まれ、要塞化していく。
忙しそうに作業するヘスターとは、対象的に椅子に腰掛け、机で銃弾の選別をしている、シャーロット。
「……意外でしたわ」
「何がだよ?」
「貴方は、自分の命がいちばん大事な人だと、思っていましたわ」
シャーロットの言葉を聞きながら、ヘスターは階下を見る。
哀れに残された兵たちが、同じように作業をしていた。
最悪の末路にならないようにと。
「お前に言ってなかったことがある」
「何かしら?」
ヘスターは少し考え、話し始めた。
「アタシはな……食べるのが好きだ」
「……はぁ?」
急に何を言い出すのだろう?
「特に肉料理が好きだ。シャーロットも知っているだろう? アタシの料理の腕が中々なのを」
ヘスターはシャーロットに向き直る。
「そんなアタシが料理人になったら、繁盛間違いなしだと思わないか!?」
机を叩き、詰め寄ってくる。
「軍隊生活で、金もそこそこ貯まった。元帥の言う通りなら、望みのままの褒美がもらえるんだろう? それで、退役。クソッタレの軍隊とはおさらばだ!」
彼女はシャーロットに顔を近づける。
「だがな……一つ問題がある」
「も、問題……?」
「アタシはな……雑談ってのが苦手だ。客の対応は出来る気がしない。手が出ちまいそうだ」
シャーロットはヘスターの迫力に押されるばかりだ。
「だから、考えた。シャーロット! お前を、雇ってやる!」
「は?」
「お前はペラペラと口が回るし、見てくれも中々だ。給仕……いや、今はウェイトレスとか言うんだったか? それにしてやる!」
「ヘスター……貴方、一体何を言って……」
バンッと机を叩いたヘスターが叫ぶ。
「アタシとお前で大金持ちになるんだ! こんなクソッタレの泥の中で死んでたまるか!」
そう言って、ヘスターは背を向けた。
褐色の肌の耳が紅く、色づいていた。
死なせない。ずっと一緒にいよう。
そう言われた気がした。きっと、そうだと思った。
ヘスターは機関銃を仕掛けるようだ。重い機関銃を鐘楼の窓に掛けていた。
答えは……返答は聞けないのだろう。
不器用な背中に、思わず吹き出してしまう。
シャーロットは立ち上がり、ヘスターを手伝うことにした。
機関銃を持ち上げる手に、軽く触れた。
「……私の……給金は高いですわよ?」
ヘスターは触れた手を払わなかった。
「……がめつい女だ」
シャーロットは笑う。その目はきれいに澄んだ翠の瞳だった。
「勿論ですわ。なにせ……」
二人は見つめ合った。
「公爵令嬢ですもの」
二人は語り合った。店の場所はどこがいいと。
外壁は白がいいとか、屋根は赤にしようとか。
夢が形になっていく。
料理は美味いが、気難しいシェフと、
貴族が何だとうるさい、変わったウェイトレスのいるレストラン。
毎日、店の外にまで客が溢れ、休む暇もない。
幸せのレストランの名前は……
【ノブレス・オブリージュ】
あぁ……それなのにその幸せが消えていく。
夢は覚めてしまう。
料理を焼く香ばしい音は、銃声に──
笑い合う客たちの声は、悲鳴に──
白いレストランは砲撃の爆風で粉々に砕け散った。
鐘楼は瓦礫の山に変わった。
第十四話 終わり




