第15話
「クソッ! 全く、点かないぞ」
「だ、旦那……速くしてくださいよ、凍えちまう」
狭い部屋。木のテーブルとベッドしかない粗末な部屋で、男が二人縮こまっていた。
彼らは壁に備え付けられた暖炉の薪に、火をつけようと必死だった。
「今どき、薪式の暖炉なんて……ガス式になったはずでしょう?」
「……ガスは好かん。すぐに使えなくなった」
「ガス代、滞納してるだけでしょう? この寒さで、よく死にませんでしたね」
旦那──そう呼ばれた男は、新聞記者だった。と言っても、殆ど自称である。
自分が書いた記事を新聞社に売り込み、日銭を稼ぐ日々。
本人曰く、権力に負けないためには自由である必要があると言っているが、その結果はこれ。日々の生活にも困窮していた。
もう一人は少年と言えるほどには若い男だ。
彼は情報屋。日々、見聞きした話を金に変える仕事をしていた。
若い割に、この一帯では腕利きと知られ、警察ともつながりが有るという。
ネタが欲しい。そう言われて、記者の家に来てみたら、毛布にくるまってガタガタと震える記者が居た。暖房代が払えなくて、いつもこうだというのだ。
呆れ返った情報屋は薪を買いに行き、こうして悪戦苦闘しているわけだった。
「……それで? なにを聞きたいんです?」
暖炉で薪がパチリと弾ける音を聞きながら、
情報屋は記者の入れた温かい飲み物に口をつけた。
「そうだな……巷では今、何が流行ってる?」
記者の言葉に、情報屋はこめかみを押さえる。
それぐらい知っていてほしいと思う彼だった。
「そうですね~……ご婦人方に『オールド・ファッション』とかって、大戦時代の小物とかが、流行ってるみたいですよ?」
「う~む……」
お気に召さないようだ。それもそうだろう。こんなものは世間話程度のものだ。
情報屋にとって、情報は商品だ。財布の軽い客に売る商品はない。
「来月は終戦記念祭だろう? 大戦の話で、なにか無いか?」
「……もう他の新聞社が、何十回も書いてますよ。旦那、本当に新聞を読まないんですね」
それに、大戦時の話は擦られすぎている。
大抵の英雄、大勝利、悲劇的な戦いは周知の事実だ。
「大戦の話かぁ~……」
情報屋は考える。皆の知らない話で、記者でも払える程度の情報といえば……
「旦那? こんな話、聞いたことがありますか?」
ずいっと、前のめりになる情報屋。
「『泥濘のお嬢様』って言うんですがね」
記者は首を傾げた。
「泥濘のお嬢様? なんだ、それは? 聞いたこと無い」
「まぁ、そうでしょうね。北の帰還兵の噂話ですよ」
「……北か」
記者は手帳を取り出す。北の戦線は大戦時の激戦地として有名だった。
「どんな話なんだ?」
「何でも、公爵家のご令嬢が前線で戦っていたらしいんですよ」
「公爵……久しぶりに聞く言葉だ。それで? 貴族ということは士官か将官。公爵家だと、将官か?」
「いえ……二等兵だそうです。最後は一等兵になったとか」
「はぁ~? 何で貴族令嬢が二等兵なんだ?」
「知りませんよ。泥濘のお嬢様ってのは、そのお嬢様と、もう一人の女兵士のコンビのことらしいです」
情報屋の言葉に記者はニヤリと笑う。
「わかったぞ。その女兵士が高級将校なのだろう。令嬢は泊付けのためであり……」
「上等兵。下から三番目の階級ですね」
「なんだその話は、荒唐無稽すぎるぞ」
お話にならない。前提がおかしい話に、記者は首を傾げるばかりだった。
「見た目は美人さんらしいですよ。お嬢様は白い肌に長い金髪。相棒の兵士は褐色に短い黒髪。方向性は違いますけどね。どうですか、旦那はどっちのほうが好みです?」
「茶化すな。それで、どんな活躍をした? やはり、噂になるほどだ。大活躍だったのだろう?」
「それがですね……」
情報屋が話す戦線の名前は、どれも王国軍が敗退したものばかり。
そもそも、二等兵が戦場で大活躍したところで、戦争は変わらない。
「ひどいな、書くような活躍もないのか」
記者はメモを取る必要性を感じなくなったのか、テーブルの上に手帳を投げた。
「北のキツいところばかりに居たみたいですね。それで生きてたんだから、大したものじゃないですか?」
「そう言う問題じゃない。これでは記事にならんし、それに実話とは思えん」
「まぁ、まぁ。それで、最後は……」
「いや、もう、いい。どちらにしろ人気の出る話じゃない。負け戦ばかりの話など、誰が聞きたがる?」
「そりゃ、そうですけど……それだと、旦那は記事書けないじゃないですか?」
「馬鹿にするな。ストックは有る。それを校正して持ち込むことにする」
机の紙束から、一枚、紙を取り出し情報屋に渡した。
「……『海の向こうから来た甘味! 今年はこの甘さが舌を溶かす!』?」
「新しい通商条約が結ばれただろう? その取材中に食べた物のレポだ。……残念ながら、通商条約の闇は暴けなかったが……」
情報屋はその内容を読んで驚いた。
面白い──
不思議な食べ物の味や、その美味さが走り書きであるのによく分かる。
思わず口の中に涎が出るほどに……
「いいじゃないですか、旦那。これは、金になりますよ」
社会派の記者などではなく、もっと、庶民的な記事を書けば大成するのに……
上手くいかないものだと、情報屋は思った。
◇ ◇ ◇
「それじゃあ、旦那。その記事、売れたらたまったツケの精算頼みましたよ?」
情報屋の言葉にテーブルで記事を書く記者は手を降るだけだった。
その様子に情報屋は肩をすくめ、部屋を後にした。
扉を閉めると、粗末な暖炉から与えられた暖かさと真逆の寒さが、身体を包んだ。
外は小雪がちらついていた。
(やっぱり……信じないか……)
そう思った──
この話は色々な人間にしたが、皆、信じなかった。
ありえないと、下らないと言われた。
【泥濘のお嬢様】は父親に聞いた話だった。
父は帰還兵だった。
情報屋が物心付く前に出征したために、最初は顔もわからなかった。
片腕のない男を見て、いつも気丈な母親が泣き崩れて初めてわかった。
彼は幼い情報屋を残った腕で強く抱いた。
「……よかった……“お嬢様”の言う通り、諦めないで……本当に……よかった」
彼はそう言いながら泣いた。情報屋も泣いた。
家族は寄り添って泣いたのだった。
父は“お嬢様”の話をよくしてくれた。
一度の戦いを一緒にしただけらしく、話す度に細かい部分が脚色されていくが、情報屋は気にしなかった。
それは──死んだ父親との大切な思い出。
「うう……寒ッ!」
情報屋を突き刺さるような冷たさの風が吹いた。
ぼっとしてる暇はない。新聞記者からは小遣い程度の金しか回収できなかった。
今夜中にもう一件ぐらいは、仕事をしなければいけなかった。
急ぐあまり周りも、よく見ずに駆け出した情報屋は……
「痛ぇッ!」
案の定、通行人とぶつかり、鼻を強かに打ってしまった。
ぶつかった相手は二人組の女だった。
金の長い髪の女。もう一人、褐色の肌の女が居た。
服は揃いのロングコート。分厚い軍の払い下げ品だろう。
オールド・ファッションとかいう流行りの格好だ。
「すいませんね……前を見ていなくて、ご婦人にぶつかるなんて……」
恐縮した様子で謝る情報屋に、女たちは顔を見合わせ
気にしないで──
とでも言うように、手を振り、並んで歩いていった。
最近、街を照らすようになったガス灯の薄暗い明かりの先に消えていく。
(美人さんだったなぁ~)
失礼を働いてしまったが、名前ぐらい聞いておけばよかったかなと考えながら、情報屋は彼女たちとは反対方向に歩いていった。
『見た目は美人さんらしいですよ。お嬢様は白い肌に長い金髪。相棒の兵士は褐色に短い黒髪。方向性は違いますけどね。どうですか、旦那はどっちのほうが好みです?』
自分の言葉を思い出した。
(まさか!?)
情報屋は自分の直感に動かされ、振り返る。
女たちは影もなかった。
ガス灯が雪の中、地面を照らしているだけだった。
(……まさかな……)
情報屋は彼女たちの後は追わなかった。
それよりも次の仕事に向かわなければいけなかった。
空は灰色。雪はますます強くなり、朝には白銀の世界になるだろう。
石畳の隙間に僅かに残る泥を、覆い隠して──
泥濘のお嬢様 ――公爵令嬢、塹壕に立つ 完




