そして人は、立ち向かう
皆さま、こんにちは。
シルバーウィーク、如何お過ごしでしょうか。私は仕事が忙しすぎて色々としんどいです。
やらかす度に死にたいって思ってましたが、結構なやらかしをすると不思議と冷静になれるんですよね。理由は分かりませんが、今後も乗り切っていきますよ。
では、どうぞ。
小休憩から再び森を進み始めた俺たちは、気がつくと数時間ほど歩き続けていたようだ。時刻は夕暮れ時だろうか、昼間でさえ薄暗かった森は、既に漆黒の帷を下ろそうとしている。
「クソッ、どういうことだ……」
ボドロの口から、焦りの言葉が出始める。
いつもなら獣じみた鋭い鼻孔でわずかな風の匂いや土の臭気を嗅ぎ分け、着実に道を選び取っていたはずの男だ。そのボドロが、何度も立ち止まり、苛立ったように鼻を鳴らしている。
「おい、ボドロ。どうしたってんだよ」
「匂いだ……匂いが消えた」
「何だと?」
「風の匂いも、湿気の臭いも……まるで境界線を跨いだみたいに、プツリと消え失せやがった。嗅覚が死んだんじゃない。周囲の『匂い』そのものが存在しねえんだ」
「ちょっとボドロ、どうしたのよ! 昼間あれだけ余裕こいてたくせに!」
頭上から舞い降りてきたマヌランが、苛立ちを隠さずに捲し立てる。
だが、ボドロは返事もせずに地面に片膝をつき、鼻をピクピクと激しく蠢かせていた。昼間のようなど付き合いの空気はない。全身の毛を逆立て、本能的に敵を警戒する獣の顔だ。
「どうなってんだ。こんな時間まで森を歩くのはいつものことなのか?」
周囲はすっかり濃密な夜の闇に包まれ始めていた。俺が問うと、ボドロは苦々しく歯噛みした。
「いや、異常だ。本来なら小休憩を挟んでも、夕暮れ前には目的地に着いてなきゃおかしい」
犬耳を苛立たしげに伏せ、鼻を覆うボドロ。
五感が麻痺させられている恐怖。それを聞いて、俺の胸の奥で燻っていた不気味な違和感が一気に輪郭を持ち始めた。
「……異常事態か、分かった。実は俺も、違和感を感じていたところだ」
「おい人間! アンタみたいな素人が何を感じたってのよ!」
「さっきから、あまりにも景色が変わっていない気がしないか? いくら似たような巨木ばかりの森だとしても、流石におかしいくらいに」
ボドロとマヌランがハッとした表情で、弾かれたように周囲を見回す。
風もないのに葉が擦れ合う、微かな摩擦音。虫の声一つ聞こえない不自然な静寂の中、最初に息を飲んだのはボドロだった。
「おい……あれを見ろ!」
ボドロが指差した先。
闇の中に浮かび上がる一本の巨木――その幹には、白く削れた痛々しい皮と、はっきりと刻まれた『鉤爪の傷跡』があった。
「嘘……あれって、あたしの……」
マヌランの顔から血の気が引いていく。
「どうなってやがる! アレを付けたのは何時間も前の小休憩の時だぞ! まっすぐ進んでいたはずだ!」
異常事態の連続に、俺とマヌランの思考は追いつかず混乱する。だが、周囲の匂いと歪んだ景色を照らし合わせ、熟考していたボドロが、ハッと合点がいったように顔を上げた。
「そうか……! そういうことか……!」
「あ? ボドロ、何を言って――」
「良いかお前ら、全力で《逃げる》ぞ!」
ボドロの悲鳴に近い叫びと同時に、俺たちは泥を跳ね上げて走り出した。
背後を振り返る余裕なんてない。理由も分からず、ただ本能的な恐怖に背中を押されて闇の森を突き進む。
「おいボドロ! 逃げるって何からだ! 敵の影なんてどこにも――」
瞬間、視界の端から大太刀のような影が振り下ろされた。
「うおっ!?」
咄嗟に身を翻す。直後、耳元を切り裂いた猛烈な風圧と重苦しい衝撃音が、掠っただけで即死するという現実を嫌でも脳裏に叩き込んできた。
無理な姿勢で回避した俺は、湿った泥の中に激しく倒れ込む。慌てて立ち上がり、すぐさま迎撃姿勢を取った俺の視界に入ってきたのは――そこに「居た」、木の姿をした化け物だった。
「なんだ…なんなんだコイツは!」
俺の世界に怪物なんて存在しなかった。あるのは泥と、硝煙と、人間同士が殺し合う戦争だけだ。木が人を殺しに来るなんて、口が裂けても信じられるわけがない。
すぐさまGeW13の初弾を送り込み、引き金を引く。怒号のような射撃音が夜の森に響き、大口径の小銃弾が幹へと吸い込まれた。
だが――手応えが全くない。肉を穿つ感触も、敵が怯む素振りすらない。殺し合いの泥沼で絶対の信頼を置いていた相棒が一切効かないという現実に、頭が真っ白になる。
「どいて!」
頭上からの鋭い指示が、反射的に体を突き動かした。
直後、化け物に一撃が叩き込まれる。鼓膜を裂くような雷鳴が轟き、幹を撃ち抜かれた化け物は地響きを立てながら崩れ落ちた。射線の先へ目をやると、マヌランがスナイパーライフルを構えていた。
「走って! そいつはまだ死んでないわ!」
マヌランの切迫した警告が耳に届く。見れば、激しく破壊されたはずの化け物の傷口が不気味に蠢き、再生しようとしているのが見えた。
俺は咄嗟にGeW13を担ぎ直すと、マヌランの元へと駆け寄る。ボドロは木の下で短機関銃を構え、カバーの体制を取っていた。
「おいボドロ! アレは何なんだ!?」
「説明は後だ、今は早く脱出しねぇと!」
ボドロがポケットからくしゃくしゃの地図を取り出し、指で強く叩いた。
「この先にセーフハウスがあるはずだ。とにかくそこまで逃げるぞ。おいマヌラン! お前は空から行って先に待ってろ! すぐ追いつく!」
「分かったわ! 死ぬんじゃないわよ!」
マヌランは大きく羽を広げると、夜の闇を切って一気に上空へと跳び上がっていった。
マヌランと別れた後、俺とボドロは死に物狂いで森を進んでいく。辺りは完全な闇、ボドロの進む道が正解なのかすら分からないが、今コイツを見失えば死ぬことだけは確かだ。
「本当にこの道で合ってるんだろうな!?」
「大丈夫だ!幻覚の中だと自覚できれば頭の中で修正できる!信じろ!」
ボドロの言葉には確かな自信が込められていた。野生の勘だけを頼りに、ひたすら闇を駆け抜ける。
背後を迫る無音の気配に追われながら、必死に脚を動かす。だが――闇の中で踏み出した俺の右足に、異様な感触が走った。
「ぐっ!?」
グニャリと、足元の根が生き物のように蠢き、ブーツの足首をガッチリと締め上げたのだ。
「しまっ――」
勢い余って派手に倒れ込み、泥の中に顔面から突っ伏す。慌てて振り返ると、木の根に擬態していた太い蔓が、俺の脚を泥の底へ引きずり込もうと引き絞られていた。
『――ギギ……ギギギ……』
頭上から、一切の感情もない木肌の擦れ合う音が響く。
追ってきた怪物の巨躯が暗闇の中に立ち塞がり、大太刀のような大枝、倒れた俺を叩き潰すべく作業のように振り上げていた。
「おい、人間! 何やってやがる!」
直後、激しい光と連射音が、静寂と闇を切り裂いた。
ボドロが短機関銃の銃口を俺の足元へ向け、身を乗り出すようにして弾幕を浴びせかける。大口径の小銃弾すら弾く幹とは違い、細い捕食根は9mm弾の掃射に耐えかねて千切れ飛んだ。
「早く立て! 走れッ!」
俺の手を掴み、強引に引きずり起こすボドロ。
だが、その直後――ボドロの脚がガクガクと激しく震え出した。
「ガハッ……! ぐ、あ……っ!」
突如、喉を押し潰されたような悲鳴を上げ、ボドロが膝から泥の中に突っ伏す。見れば、獣特有の鋭い鼻から真っ赤な血が溢れ出ていた。
「おい、ボドロ! どうした!?」
「クソ……っ! なんだこの匂い……っ! 鼻が、頭が割れそうだ……!」
そのまま地面に突っ伏しそうになるボドロ。俺は慌てて受け止める。
「……くそったれが!」
俺は泥に塗れた手でボドロの体を強引に引っ張り上げると、己の背中へ担ぎ直した。GeW13を強く握り締め、軋む膝に力を込めて泥を跳ね上げる。
「生きるぞ! 2人で生き延びるぞ、ボドロ!」
自身を鼓舞するように叫び、俺は泥を蹴り上げた。
ただでさえ重いGeW13に加え、小柄とはいえ筋骨隆々なコボルトを担いでいるこの状態。化け物から逃げるにはあまりにも無謀な選択であることは承知していた。
足が重い。追い付かれたらという恐怖が先ほどよりも倍増しているのが分かる。そして、最悪の選択肢さえ頭によぎり始めた。
――だが、それで良いのか。
ハンスの最期を思い出す。俺の近くで、友人が死んでいくのは、もう、見たくない。
「……おい、人間……っ!」
背中で、血を吐き出すようなボドロの声が響く。
「喋るな! 舌噛むぞ!」
「うるせぇ……黙って俺の言う通りに走れ! 右だ! 右の巨木を迂回しろ!」
「なっ……!?」
視界は漆黒の闇。どこを走っているかも分からん俺に、ボドロが耳元で必死に怒声を張り上げる。
「匂いは消されたが……耳はまだ生きてんだよ! 木擦れの音と風の抜け方で解る……奴の太枝が右から来てる! 左へ跳べっ!!」
「くそっ……うおあああッ!?」
ボドロの指示通りに左の泥地へ体を投げ出す。直後、さっきまで俺たちが走っていた右手の空間を、大刀のような太枝が空間ごと薙ぎ払う凄まじい衝撃音が轟いた。掠ってすらいたら二人まとめて肉塊だった。
「ハァッ……ハァッ……たすかった……!」
「感謝なら……無事に着いてからにしやがれ! そのまま直進だ! あと五十メートルで……岩場に出る……!」
激痛に耐えながら、ボドロは尖った耳を必死にピクピクと動かし、死角からの攻撃をすべて聞き分けてナビゲートしていく。
俺の足と、ボドロの耳。
二人で一つの身体となった俺たちは、地獄のような闇の森を破竹の勢いで突っ走った。
突如、暗闇の頭上から風を切る鋭い羽音と共に、赤黒い光が夜の森を切り裂いた。
「2人とも無事!?」
マヌランだ。彼女は樹上の高所から身を乗り出し、手に持った信号弾を焚いて、闇に包まれた森を赤く照らし出していた。
その赤い閃光の先――大きな岩肌を背にして立つ、頑丈な石造りの建築物が目に飛び込んでくる。
セーフハウスだ。
「ボドロ、あれだな!?」
「あぁ……っ! あの鉄の扉の中に飛び込め……っ!」
「二人とも、後ろから来てるわ! 立ち止まらないで!」
叫びざま、マヌランが弾丸のような速度で急降下し、手にした『何か』を猛然と追いすがる化け物へ投げつけた。硬い容器が化け物の幹に激突して砕け散り、中の液体が一気に広がっていく。
「こんの……クソモンスターがぁ!」
直後、マヌランが構えたのは、例の大型ライフルではなく小型の信号銃だった。
ポンッ、というどこか間抜けな発射音と共に、夜空と同じ色をした美しい閃光が化け物目掛けて降り注ぐ。
――ボオオォ!
瞬間、化け物の全身から凄まじい火の手が上がった。さっきぶち撒けたのは、どうやら高濃度の燃料だったようだ。
「今のうち! 早く!」
マヌランが稼いでくれた千載一遇の時間。俺たちは泥を蹴り、セーフハウスの入り口へと滑り込む。だが奴は、全身を炎に包まれながらも俺たちへの殺意を削ぐことなく、狂乱した動きで追撃を仕掛けてきていた。
「マヌラン、こっちは大丈夫だ! 急げ!」
「分かっっってるわよぉ!」
マヌランが翼をたたんで低空を滑空し、弾丸のようなスピードでこちらへ突っ込んでくる。
彼女が敷居を跨いだ瞬間、俺は防壁の起動スイッチを叩きつけた。
ゴオオオォン……と重厚な作動音を響かせ、厚い鉄の隔壁が一瞬で落下する。
直後、外から化け物が隔壁を叩きつける凄まじい衝撃音が轟いたが、頑丈な防壁はビクともしない。どうやら、中まで入ってくることは無さそうだ。
俺たちは、生き残ったようだ。
拝読頂き、ありがとうございました。
そう言えばノーラン監督の「オデュッセイア」見ましたか?賛否両論みたいですが、私は最後の方でもう猛烈に感動してしまいまして、3回くらい見ちゃいました。ネタバレはしないので、ぜひ見に行ってください。
では、また会いましょう。




