まりあ、本領を発揮する
ノアの謎の人脈を使って公邸にハウスキーパーとして潜入したまりあは、さっそく屋敷中を騒然とさせていた。
「えっ、なんでメイド服……?」
「あの子って……あの有名な皇財閥のご令嬢でしょ? 何か勘違いしてるじゃない?」
当然だが、公邸のハウスキーパーの制服はメイド服などではない。
動きやすさを重視したパンツスタイルだ。
(えっ……もしかして私、ノアに騙された?)
まさかの裏切りに愕然とするまりあだが、
(いや、根拠もなく疑うのはよくない。きっとこの格好にも意味があるはず……!)
そう信じることにして、他のハウスキーパーたちの視線を一身に集め、後ろ指をさされまくりながらも、黙々と―――けれども完璧に仕事をこなしていった。
「嘘!? あれだけあった洗濯物がもう全部片づけられてる!」
「ねぇ見て。屋敷中の鏡が新品みたいに輝いてる……!」
「なんだこの繊細な味のまかないは……!? 見ろ、シェフが自信を無くして泣いてるぞ!」
掃除、炊事、洗濯……そのすべてにおいてまりあの動きには無駄がなく、更にそのクオリティの高さに心が折れる者まで出現している。
「大財閥のお嬢様なのに、家事なんてできるんだね……!」
ある者が好奇心を堪えきれずにそう話しかけると、
「炊事洗濯は生活の基本だと、家事全般は父から徹底的に身につけさせられましたので……」
と、まりあは照れくさそうに謙遜する。
ちなみにまりあは父の教えにより、家事・料理に関する資格をいくつも取得している。生活の基本にしては、徹底的にも程がある……が、きっとそのくらいのスキルは備えていないと、大財閥のご令嬢は務まらないのだろう。
「ですが、ここにいる以上は私もただの新人です。皇 臨成の娘だということは、どうぞお忘れください」
奢らず、偉ぶらず、常に周囲への気配りと配慮を忘れない。
そんなまりあの立ち振る舞いに、最初は戸惑いや警戒心を抱いていた使用人たちも、親しみを感じ始めていく。
そして、そんなまりあの活躍の様子は、官邸にいる屋敷の主の耳にも届いていた。
■■■
「は? 皇財閥の令嬢がメイド姿で働いてる……?」
部下からの報告に怪訝な声を挙げたのは、この国の首相・大倭桔嘉。
鋭い目元と強気な面差しが印象的な桔嘉は、尊大な口ぶりで部下をじろりと睨みつけ、圧をかける。
「つか、そもそもなんで雇ってんだよ。おかしいだろ、普通に考えて」
「それが……正式な採用の書類が申請を通っていまして……」
「……チッ。どんな裏技を使ったんだか」
イライラとした態度でそう吐き捨てた桔嘉は、手にしていたペンを乱暴に置き、席を立つ。
どうやら、この国の政界を統べるトップエリートといえども「皇臨成の娘」を侮る気はないらしい。
……もっとも、まりあを潜入させたのはノアの手腕に他ならないが、それは大倭側の人間の知るところではない。
「俺が帰るまで、絶対に敷地内から出すなよ……俺が直接追い出してやる」
■■■
一方。ひと通りの仕事を終えて休憩室に移動したまりあは、従業員たちに囲まれてすっかり人気者になっていた。
「もー、まりあちゃんってば、私が困ってることにすぐ気付いて助けに来てくれるんだもん!」
「たまたま私が一番近くにいて、手が空いていただけです」
「そんなに細いのに、重い荷物も軽々運んじゃうし」
「父の勧めで古武術の心得があるんです。色々と応用が利くんですよ」
賛辞に対してはにかみながら答えるまりあに、従業員たちが感嘆の声を漏らす。
「聞けば聞くほど凄いお父様だ。財閥をのし上げた人は考え方が違うんだな」
「ちゃんとしてるっていうか……優秀な人って、やっぱり子育ても上手なのねぇ」
「ありがとうございます。父を褒めてもらえるのは、とっても嬉しいです」
そう言って心から嬉しそうに微笑むまりあに、従業員たちも目じりを下げる。
気品のある所作と、人を見下さない柔らかな物腰、そして飾らない素直な言葉たちが、皆の心をつかんでいた。
しかし、穏やかな時間は、唐突に終わりを告げる。
「何を企んでいやがる、皇まりあ」
怒気を孕んだ、威圧するような低い声にまりあが顔を上げる。
そこに立っていたのは―――大倭桔嘉その人だった。
まりあが立ち上がるとすかさず桔嘉が距離を詰め、後ずさるまりあを壁際へと追い込む。
まりあを冷たく見下ろすその赤い双眸には、猜疑と苛立ちが燃えていた。
「皇財閥は今、財政難だって話だ。……俺に取り入って来いとでも父親に言われたか?」
乱暴にまりあの顎を掬い、顔を近づけて挑発の言葉を吐く桔嘉。
けれども、まりあの表情は揺るがない。
「父は他人を利用するようなことはしません。私は自分の意思でここに来ました」
桔嘉の迫力に臆することなく、真っすぐに目を見て凛とした態度を返すまりあ。
一瞬だけ、桔嘉の目が驚いたように見開かれる。
「あなたを―――私のものにするために」
「は……?」
続くまりあの言葉に、桔嘉の意識が緩んだ瞬間―――
桔嘉の腰と肩に手を添えたまりあは、そのまま体勢を入れ替え、桔嘉を壁へと押し付けた。
「っ痛ぅ……!」
予想外に洗練されたまりあの身のこなしに動揺し、桔嘉の思考と動きが鈍る。
その隙に、桔嘉の両手首を掴んでそれぞれ壁へと押さえつけ、反撃を封じた。
「は? おま、マジかよ……?」
―――さて、ここからどうしよう?
せっかく得たこのアドバンテージをどうにか有効活用しようと思考をフル回転するまりあの頭に、ふとノアの恋愛アドバイスが蘇る。
■■■
それは、皇家で作戦会議をしているときの会話だった。
まりあの淹れた紅茶を飲んでいたノアが突然、
「ねぇまりあ、気づいてた? 今、アタシとアナタはずっと同じタイミングで紅茶に口をつけているの」
と、尋ねてきたのだ。
突然の問いかけに、まりあは自分の手元のカップとノアのそれを交互に見比べる。
「もしかして、ミラーリング……ですか?」
そう言って首を傾げると、ノアは意外そうに目を見開いた。
「あら、知ってたの?」
「心理学のテクニックだと、父から教わったことがあります。優秀な営業ほど、無意識に使いこなすと」
「流石はあの人の娘さんね、よく教育されてるわ。……ご存知の通り、今やってたのはミラーリング。相手の動きを真似することで、相手から親しみや信頼感を得られるようになる心理テクよ♡」
「知識としては知っていましたが……言われるまで気づきませんでした。ノアは優秀なんですね」
「うふふ、ありがと♡ もちろん恋愛にも使えるテクだから、ターゲットと接近したら、相手をよく観察して、意識して動きを合わせてみて♡」
そう言って微笑むノアに、まりあは真剣な表情で大きく頷く。
その横顔には、父を助けるために一つでも多くのことを吸収しようとする強い意志が宿っていた。
■■■
(そうだ、ミラーリング……!)
意識を目の前の桔嘉に戻し、真っすぐに向き直る。
そして、桔嘉にされたように顎を掬い、唇が触れ合いそうなくらいに顔を近づけ―――
「私の虜になってもらうつもりなので、覚悟しておいてくださいね?」
と、口説いてみせた。
その姿は、まるで乙女ゲームや少女漫画に出てくるヒーローのようだが、ミラーリングの使い方は全くもってそうじゃない。ノアからもお叱りの声が聞こえてきそうだ。
だが、本人の中では大成功を収めた認識らしく、桔嘉を解放してぺこりと頭を下げる。
「では、今後とも末永くよろしくお願いしますね、桔嘉さん」
そして満足げに微笑むと、何事もなかったかのように部屋を出て行ってしまった。
―――バタン。
ドアが閉まる音が静かに響くのを聞いた後、桔嘉はその場にズルズルとへたり込む。
……ちなみに、休憩室には他の従業員たちも当然いる。突然繰り広げられた謎の見せつけを前に、ギャラリーたちは言葉を失って固まっていた。
「なんなんだよ、あの女……。腕力どうなってんだ」
若干の痛みの残る手首をさすりながらそう呟く桔嘉の耳は、不自然なほどに赤く染まっていた。




