閑話休題 女神たちの休息
「この後、時間ある?」
本日の撮影が終わり、帰路につこうとしていたまりあを、美依菜が呼び止める。
首を傾げながらも誘いに応じたまりあが連れてこられたのは、自動販売機とベンチが置かれた簡素な休憩スペースだった。
「えっと……好きな飲み物とか、ある?」
「紅茶は好きですが……あまり清涼飲料水は飲んだことがありません」
「そっか……そうよね、あなた、お嬢様だもんね。じゃあ……この中の商品で皇が関わってるものってある?」
「はい。これとこれは、開発段階で試飲したことがあります。美味しかったですよ」
「……じゃあ、これにする」
そう言って三本の飲み物を購入した美依菜は、そのうち一本をまりあへ、もう一本をノアへ差し出した。
「えっと……?」
「あげる……から、飲んで。ここで」
そこで一度言葉を切った美依菜は、慌てたように付け加える。
「あっ、別にこの程度で皇に貢献できたなんて思ってないからね!? ただ、何を選べばいいかわからなくて……その、あたしが一緒に飲みたかっただけ」
「ありがとうございます、いただきます」
(も、もどかしい……!!)
あまりにも不器用な二人のやり取りを前に、ノアは心の中で悶絶する。
懸命に言葉を繕う美依菜と、その意図にまったく気づかず素直にペットボトルを受け取るまりあ。
美依菜は必死に歩み寄っているのだろうが、その想いはまりあにはまるで届いていない。
(もしかしてこの娘たち……友達いたことないのかしら……?)
そんな悲しい予感がノアの脳裏を過る。
大財閥のお嬢様として育ったまりあと、天才子役として幼い頃から芸能界を生き抜いてきた美依菜。
立場こそ違えど、二人とも「普通の女の子」とはかけ離れた環境で育ってきたのだ。その可能性は、決して低くない。
「隣……座って」
「はい」
「あとさ……えっと、まず、まりあって呼んでもいい?」
「えぇ、かまいません」
「あたしのことも、美依菜って呼んで。まりあってあたしより年上でしょ?」
「はい。美依菜の二つ上ですね」
自然(?)に名前で呼び合う流れになった二人だったが、そこでノアはふと疑問を抱く。
芸能人としてプロフィールを公開している美依菜ならともかく、一応は一般人であるまりあの年齢を、なぜ美依菜が知っているのだろう。
思わずノアが尋ねると、美依菜はきょとんとした顔で答えた。
「だって、某フリー百貨に載ってるし」
「……そんなことまで知られているのね」
改めて、ノアはまりあの置かれた立場に小さくため息を吐く。
生まれた瞬間から誰かの視線に晒され、値踏みされ、肩書きだけで判断される。
そんな人生は、果たして息苦しくないのだろうか。
そう案じていると、当のまりあは困ったように微笑んだ。
「さすがに私個人のページはありませんよ?
お父さんのページの年表に『第一子誕生』と記載があるだけです」
自分は単独で記事になるほどの人物ではない。とでも言いたげなまりあに、
(いや、ここは謙遜するところじゃないのよ……)
と、ノアは思わず額に手を当てる。
そんなノアを見て、まりあは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
その様子を見ながら、美依菜は改めて思う。
皇財閥の令嬢として知られる少女なのに、まりあ自身はどこまでも素直で、気取ったところがない。
だからこそ、美依菜には気になることがあった。
「ねぇ、その口調は? どうして敬語なのか聞いてもいい?」
「そう言われてみれば……特に理由はありません。癖のようなものです」
幼い頃から常に大人に囲まれて育ったまりあは、ただ単に敬語で話す機会が多かっただけだ。もちろん、両親には敬語など使わない。
ちなみに、相手を名前に「さん」付けで呼ぶのも似たような理由だ。苗字より名前で呼ばれたほうが年配の男性たちは喜ぶため、自然とそうするようになった。一種の処世術のようなものだ。
「じゃあ……あたしには敬語、使わないで。お願い」
「うん、わかった。美依菜には使わない」
「……あり、がと。嬉しい」
あまりにもあっさりと口調を変えたまりあに、美依菜のほうが照れくさそうに視線を逸らす。
口元をもごもごと動かしながら、何かを言おうとしては飲み込む……。
そんな逡巡を何度か繰り返したあと、美依菜は小さく深呼吸をする。
そして意を決したように、まっすぐまりあへ向き直った。
「あたしも……同年代の人とこうやって話すこと、あんまりなかったからさ。上手く言えないんだけど……」
美依菜は一度言葉を止め、伺うようにまりあを見る。
「あたしね、さっきまではまりあのことを『皇財閥の子』としか見てなかったの。
だから……さっきも『親の金と権力で役を取った』なんて言っちゃったけど……。
でも、あたしが知ってるつもりだった『皇まりあ』と、今ここにいるまりあは、なんだか違う気がして。
だから……ちゃんと自分で話して、自分の目で見て知りたいなって――きゃあぁっ!?」
たどたどしく言葉を紡いだ美依菜が終えるより早く、まりあが力強く美依菜を抱きしめる。
―――美依菜は、知らない。
「皇財閥の令嬢」として生きてきた、まりあの人生を。
芸能人でもないのに、生まれたその日から誰かの視線にさらされ、勝手な理想を押し付けられ、値踏みされ、レッテルを貼られ続ける。
それが自分の生まれた環境なのだと受け入れ、そういうものなのだと言い聞かせて生きてきた。
だからこそ、「知りたい」と言ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。
肩書きでも噂でもなく、まりあ自身を、自分の目で見て知りたい。
そんな言葉を向けられたのは、初めてだった。
「ちょ、ちょっと……まりあ?」
「美依菜……大好きっ!!」
ほとんど押し倒されるような勢いで抱きしめられ、美依菜は目を白黒させる。
けれど、目の前にあるまりあの表情を見て、言葉を失った。
そこにあったのは、今にも泣き出してしまいそうな顔で嬉しそうに笑う、飾らない少女の顔だった。
「ありがとう。本当に本当に、嬉しい……!」
こんな気持ちを、どう表せばいいのだろう?
嬉しくて、愛おしくて、胸の奥から溢れてくる想いを抑えきれない。
戸惑う美依菜の頬に、まりあがそっと手を添える。
その温もりを確かめるように、そして溢れ出した感謝を伝えるように、そのままゆっくりと顔を近づけ―――
「ちょ、ちょ、ちょ! ストップ~~~~!!」
次の瞬間、ノアの絶叫が休憩スペースに響き渡った。
まりあの唇が重ねられるより一瞬早く、ノアが全力で二人の間へ割って入る。
(……危ない。さすがに、同意も得ずにキスをするのは駄目ですね。痴漢行為になってしまう)
素直にそう反省するまりあだが、問題はそこではない。
そんなまりあを見て、ノアは内心大きなため息を吐いた。
(やっぱり、こうなったか……)
予想はしていた。けれど、まさか本当にここまでとは。
ノアの知るまりあの父――皇臨成も、そういう人間だった。
愛情深いと言えば聞こえはいい。実際、彼は誰に対しても惜しみなく愛情を注ぐ人間だった。
ただし、その愛情の向け方には少々問題がある。
基本的にパーソナルスペースがバグっているのだ、あの愛情過多な人類大好き人間は。
「気に入った者は全員身内」くらいの気安さで、相手の懐へ何のためらいもなく踏み込んでいく。
そんな臨成の人柄をノアは好ましく思っていた。けれど――
その気質まで、しっかり娘へと受け継がれているとは思わなかった。
……いや、兆候はあったのだ。
初対面のノアをあまりにもあっさり受け入れた時点である程度は予想していたし、「練習」と称してキスの相手をさせられた時点で、薄々と懸念は抱いていた。
だが、まさか気に入った相手へ、ここまで躊躇なく愛情を向けるようになるとは。
ノアの懸念は、見事に的中してしまったのだった。
「ま、まりあって……キス魔なの?」
「どうなんだろう? キスは、さっき輝夜さんとしたのが初めてだったけど……美依菜が大好きって気持ちが溢れたら、つい」
「えっ、何? 待って、えっ!?」
次々と放り込まれるまりあの衝撃発言に、美依菜が思わず固まる。
先ほどのキスがまりあにとって初めてだったという衝撃。
そして、自分もまた、まりあから恋愛対象として見られているのではないかという動揺。
二つの意味で混乱した美依菜は、思わず後ずさる。
先ほどまでカメラの前で凛としていた気高き女神は、今やまりあの予測不能な言動にすっかり振り回されていた。
「嬉しい気持ちを、言葉だけじゃ伝えきれないって思ったから……」
「……あ、そういうこと」
首を傾げるまりあを見て、美依菜はふっと肩の力を抜いた。
どうやら、まりあにとってキスは恋愛感情を示す特別な行為というよりも、大切な相手へ想いを届けるための手段のひとつらしい。
とはいえ、まりあの感覚が一般的なものとは少し違うことに変わりはない。
天然というか、少しばかり変わっているというか……。
それでも、美依菜は少しずつ理解し始めていた。
これが「皇まりあ」という少女なのだと。
「別に、キスくらいいいけどね。減るもんじゃないし」
何度もキスシーンを演じてきた美依菜にとって、キスそのものに特別な意味はない。
「記念に一回しとく?」
そう冗談めかして笑いながら、美依菜がまりあの顎へそっと手を伸ばす。
けれども、まりあはゆっくりと首を横に振った。
「ううん。美依菜は大事だから……軽い気持ちで、キスしたくない」
「……まりあって、天然タラシよね」
呆れたように呟く美依菜だったが、その表情にはもう先ほどまでの警戒心は残っていなかった。
そんな二人の会話を聞きながら、ノアはただ呆然と立ち尽くす。
(「練習」って言いながら、散々ちゅっちゅされたアタシの立場は……!?)
そう叫びたい気持ちを、必死に飲み込む。
どうやら、よりにもよって厄介な二人が意気投合してしまったらしい。
この二人が仲良くなった先に待っている未来を想像し、ノアは深いため息を吐くのだった。




