まりあ、一息つく
陽がすっかり落ちた頃。
政影の『秘密基地』を後にしたまりあが大通りへと戻ると、銀次の待つ車の隣に一台の白い高級車が停まっていた。
「……はは。過保護なママのお迎えだぜ、お姫様」
「誠史郎さん……?」
助手席のドアが開き、中から姿を現したのは、桔嘉の従者である誠史郎だった。
相変わらず張り付けたような笑みを浮かべているが、まりあの姿を認めた瞬間、その目がわずかに細められた。
「お迎えに上がりました、まりあ嬢」
「まさか、迎えに来てもらえるとは……」
「政影様が約束を守るとは到底思えませんでしたので。……せめて『お遊び』に巻き込まれる前に、こちらから回収させていただこうかと」
「会うなり悪態が止まんねぇな、テメェは……」
「つい先ほど、会談をすっぽかされたばかりですので」
誠史郎の嫌味に、政影は呆れたように肩を竦める。
けれど、その口元にはどこか愉快そうな笑みが浮かんでいた。
「……どうやら随分と、政影様に鍛えられたようでございますね」
よほど酷い顔をしていたのだろう。
まりあに手を差し伸べながら、誠史郎が愉快そうにそう告げる。
「えぇ。……政影さん、ありがとうございました。とても勉強になりました」
「次はもっと楽しませてくれよ、お姫様」
政影はそう言って、誠史郎が用意した車のドアを開き、乗車を促す。
まりあが後部座席へ乗り込むと、誠史郎も静かに助手席へ腰を下ろした。
「それでは、失礼いたします」
誠史郎の言葉を合図にドアが閉まり、外界の喧騒がふっと途切れる。
やがて車は静かに発進し、薄暗い裏路地を離れていく。
後部座席へ身を預けたまりあは、何も言わないまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
■■■
誠史郎に送り届けられたまりあが自宅のドアを開けると、ものすごい勢いでノアが駆け寄ってきた。
「アナタ、鬼龍政影と接触したんですって!? どうしてそんな危険なことをっ……!」
切羽詰まった声だった。
どうしてノアがその情報を掴んでいるのか、まりあにはわからない。
けれども、あまりにも真剣な声音に、まりあは何も言い返せなくなる。
まりあの沈黙に、ノアはハッとしたように肩を揺らした。
「ごめんなさい、怒ってるわけじゃないの。ただ、その……心配で……」
みるみるうちに勢いを失くし、不安そうに眉尻を下げるノア。
その不器用な優しさに触れた瞬間、まりあは胸の奥で張り詰めていたものがふっと緩むのを感じた。
「いえ、大丈夫です。私こそ……勝手なことをしてっ、ごめんな、さっ……!」
謝ろうとした途端、ぽろり、と涙が零れ落ちる。
それをきっかけに、堰を切ったようにまりあの目から大粒の涙が次々と溢れ出した。
「えっ、ちょ、ちょっと……!?」
自分が責めたせいだと勘違いしたノアが、慌てて顔を覗き込む。
そんなノアに首を横へ振りながら、まりあは必死に涙を拭った。
「ちがっ……! これは、ノアのせいじゃ……でも、止まらなくって……!」
震える声でそう否定するが、涙は次から次へと溢れてくる。
はやく止めなければと目元を擦るが、拭っても拭っても涙は止まりそうになかった。
「そんなに擦ったら、傷になっちゃうわ」
まりあの手をそっと掬い上げたノアが、その大きな手で優しく包み込む。
そのまま小さく震える体を引き寄せ、静かに抱き締めた。
「頑張ったわね、まりあ」
「ふっ……う、ふえぇ……っ!」
ノアの腕の中に包まれた瞬間、胸の奥で押し殺していた感情が一気に溢れ出す。
縋るようにノアの背へ腕を回し、子どものように声を上げて泣き出してしまった。
「う、うぁ……わぁあんっ……!」
怖かったわけじゃない。
辛いことがあったわけでもない。
ただ、今日一日であまりにも多くのものに触れて、考えて、気を張り続けていたのだ。
だから、心配そうに自分を見つめるノアの顔を見た瞬間、「もう大丈夫だ」と心が勝手に安心してしまった。
―――可愛い。
と、言葉にできない想いがノアの胸に宿る。
腕の中で小さく肩を震わせるまりあが、あまりにも頼りなくて、愛おしい。
……そんな風に思う資格は、自分にはないのに。
「今は少し眠りなさい。……また明日、一緒にこれからのことを考えましょう」
ノアは泣きじゃくるまりあをそっと抱き上げ、そのままリビングへと運んでいく。
ソファへ腰を下ろし、幼い子どもをあやすように背中を撫でながら静かに抱きしめ続けていると、やがて腕の中から小さな寝息が聞こえてきた。
きっと、それだけ鬼龍政影という男の存在感とプレッシャーが強烈だったのだろう。
「そりゃ、疲れるわよねぇ……」
眠ってしまったまりあの髪を、そっと指先で撫でる。
―――君は、強いから。
どんな時でも前を向いて、弱音ひとつ吐かないから。
だから平気なんだと、勝手にそう思い込んでいた。
……そんなわけ、ないのに。
「おやすみなさい、まりあ。キミの心は……ボクが絶対に守るからね」
囁くようにそう告げたノアが、まりあの額へと優しく口づけを落とす。
化粧で彩られたその美しい横顔は―――大切な相手を想う、一人の男の顔をしていた。




