第30話ー夕方の立ち回り②
ネルサンはスリの男から麻袋を剥ぎ取ると、持っていたロープで手際よく拘束した。
ロワナは立ち去りたかったが、ネルサンが取り返してくれた麻袋の中身は大切なものだ。観念してネルサンに向き合った。
ネルサンは戸惑っている。
「皇女殿下。何故こちらに?その格好も‥‥」
「ええと‥‥夜の散歩に‥」
服まで平民風に着替えて抜け出す準備万端で挑んでいるので、夜の散歩で迷ったと言うのも無理がある。
ネルサンはちらりとイーサクを見て、後ろも振り返った。護衛が付いているのを確認したのか、ため息を吐いた。
「なるほど。皇太子殿下や大公が、皇女を国から出すのを心配していたのはこういう事なのですね」
なんだか問題児認定されたような?
「ネルサン‥‥殿下。あの、お姉様には黙っていてほしいのですが‥‥」
下手に出るしかない。アリアナにバレてしまっては動けなくなる。
「ふむ‥」
ネルサンは顎に手を当てて思案した。
「いいでしょう。その変わり、この国で危険な場所や、夜などに動く際には私をお連れください」
「えっ」
そういえば、ネルサンは1人なのだろうか?護衛が見当たらない。
ロワナの視線に気づいてネルサンは言った。
「私にも護衛はおりますよ。1人ではありません。皇太子殿下や大公にも、皇女を必ずお守りすると約束しましたので、お供させてください」
ネルサンの実力は知っている。確かに護衛など必要としないほど腕が立つ。剣の腕もそうだが、弓では右に出るの者はいない程の腕前だ。
「ネルサン殿下がいらっしゃいましたら、心強いでしょうね」
ロワナが言うと、ネルサンは微笑った。
「ネルサンとお呼びください。何故か殿下に敬称を付けられると違和感を感じます」
「え、何故·‥」
ぎょっとして答えると、ネルサンは不思議そうに首をかしげた。
「そうですね‥·何故でしょう」
「はは」
冷や汗をかきながらロワナは言った。
(まさかネルサンも前世の記憶が?いえ、そうではなさそうね)
「では、ネルサン。私のこともロワナとお呼びください」
「はい。ロワナ」
回帰前のネルサンは、ロワナを敬称なしの呼び捨てで呼んだことはない。ネルサンにとって、ロワナは隣国の王妃だったからだ。いかに友人と言えど、2人の時でもネルサンはロワナの事を「陛下」と呼んだ。
ネルサンから名前を呼ばれた時、ロワナは嬉しかった。それと同時に、回帰前のネルサンと最後に会った日を思い出した。
――その日、ネルサンの訪問は突然だった。半年も間を開けての訪問。それもいつもの使節団を率いての訪問ではなく、従者をたった2名だけ連れて、夜通し馬を走らせたのかぼろぼろの姿だった。
カンカンカン!
夜に突然の訪問者の際に鳴らされる門鐘の音が響く。
ロワナは素早く起きて簡単に着替え、謁見の間に急いだ。
そこには玉座に眠そうに座るかつての夫、レバノン・ラダ・アデラジャと、跪いたネルサンの姿があった。
「どうされたのです?」
ロワナか口を開くと、レバノンがジロリと睨んだ。
「よい。もう話は聞いた。これ以上話す事はない」
「しかし‥·!」
「分かるだろう?我が国にも余裕がある訳ではないのだ。他をあたってくれ」
ネルサンは取り繕うこともなく、歯をぎしりと鳴らした。レバノンに好意は持っていないだろうと思っていたが、ここまであけすけにしたことはない。
レバノンはにやりと不快な笑みを浮かべ、ネルサンに言った。
「時間がないのだろう?早く去れ。ここに居ても時間の無駄だ」
ネルサンはかろうじて一礼し、その場を去った。
「ネルサン!」
ロワナは足早に去るネルサンの後ろ姿に叫んだ。
ネルサンは聞こえないように止まらなかったが、ロワナが駆け出すと止まって振り向いてくれた。
「すまない。情けない姿を見せたな」
「何かあったの?」
ネルサンの顔に深刻な色が浮かぶ。
「カスティヤでスタンピードが起きた。ワーウルフの群れだ。規模が大きく‥··我々だけではとても手に負えない」
「何ですって?」
スタンピード。魔獣か異常発生して押し寄せる現象だ。聞いたことはあるが、ここ数百年大陸では起こっていない。
「ワーウルフ··‥」
下位の魔獣だ。
「カスティヤの騎士では抑えられない数なの?」
カスティヤの騎士もネルサンを始めとして名のある騎士がいるはずだ。
「実は‥·半年前から疫病が流行り始めたんだ。国民も騎士達にも多く犠牲者が出ている。今の状態で制圧するなどとても不可能だ」
「そんな‥‥」
先ほどの様子だと、助力を申し出てにべも無く断られたと言うことだ。アデラジャは今王政が力を失い、反乱勢力が力を蓄えている。
「陛下はなんと?何か出来る事はあるはずだわ」
ネルサンは静かに首を振った。
(レバノンがアデラジャの国政を憂いて断った訳ではないわ。国が潤っていたとしても、助けることはないでしょう)
我が夫ながら、嘆かわしい。
「悪いが私はもう行くよ。他の国にも助力を仰いでみるが、こうなっては私がどれだけ多くの魔獣を殲滅出来るかにかかってくる」
「ま、待って!イーサク!」
少し後ろに控えているイーサクが気配を表した。
「イーサク。ネルサンの力になってあげて」
懇願するように言った。イーサクは苦渋の顔をしていたが、やがて頷いた。
「ネルサン殿下。私めもお供いたします。ロワナ陛下の御身のため、長く国を離れる事は出来ませんが」
疲れた顔をしたネルサンの表情が少し明るくなった。
「卿が同行してくれるととても助かる」
ロワナがひと月後、カスティヤに国民の半数近くの犠牲者が出た事を知った。
その後ネルサンとイーサクに会うことは叶わなかった。
間を置かず反乱軍が王城を占拠したからだ。




