道しるべ 1
朝食の席には、ロゼリオの姿はなかった。
いつもなら何気なく隣に座ってくるのに、今日は紗凪一人。昨夜の出来事が頭をよぎり、思わずスープの中へスプーンを落としてしまう。
(⋯⋯朝から、あんなの⋯⋯バカ⋯⋯)
赤面しながらパンをかじり、ようやく気持ちを落ち着けて宿の階段を上がる。
けれど、部屋の前まで来たところで、足が止まった。
目の前の扉。そこには、ロゼリオがいる。
(⋯⋯なんか、顔合わせづらい)
扉の前に立ち尽くしたまま、ドアノブに手をかけようとして――やめる。けれど躊躇したその瞬間、カチャリと音がして、向こう側からドアが開いた。
「やはり、いらっしゃいましたか。扉の前で立ち尽くす気配、まるで小動物のようでしたよ」
涼やかな声と共に、赤い髪がふわりと揺れる。いつもと変わらない、けれどどこか愉しげな目。
「⋯⋯ち、違うし。
ちょっと考え事してただけ⋯⋯」
視線を逸らしながら言い訳を口にすると、ロゼリオは微笑んだ。
「なるほど。
では、その考え事とは、“今日も神殿に行くべきか否か”というものでしょうか?」
「⋯⋯なんでわかるのよ」
「紗凪さんの“行動と呼吸”はもう覚えましたから」
さらりと、とんでもないことを言う。
「⋯⋯ちょっとだけ。気になることがあるの。
昨日の本、やっぱり、もう一度ちゃんと見てみたい」
「承知しました。では、お供いたしましょう。⋯⋯聖女様のお出迎えがあるかもしれませんが」
「⋯⋯はいはい」
そう答えたものの、心は静かにざわついていた。
神殿に到着すると、まるで待ち構えていたように玲奈が現れた。
「きゃっ、今日もロゼリオさん素敵ぃ〜! あ、紗凪ちゃんもいたの? おはよ〜!」
手を振って駆け寄ってくる玲奈は、何の迷いもなくロゼリオの腕にしなだれかかる。
「昨日の続きの話ね?
ロゼリオさんって、ほんとミステリアスでドキドキしちゃう。
もっと私のこと、知ってほしいなぁ〜」
わざとらしく胸元を押しつけるような動きに、紗凪の眉がひくつく。
(⋯⋯なにそれ)
隣でロゼリオは相変わらず無表情だったが、はがしもしないその態度が紗凪をモヤモヤさせる。
(⋯⋯勝手にしなさいよ)
そう思いながら、昨日読んだ資料棚へと足を向ける。
目を逸らすように、無心でページをめくる指先。その途中、ふと、一冊の古びた本が視界に止まった。
(⋯⋯これ⋯⋯?)
革表紙に金糸で綴られた文字。擦れて読み取りづらいが、「記録」とだけは判読できた。
紗凪は静かにそれを開く。黄ばみかけたページの中に、まるで日記のような筆跡が連なっていた。
《異世界召喚に巻き込まれた。聖女ではない。けれど帰る手段を探した》
《神聖なる森に伝承あり。“月と泉に映る月が重なる夜”――その瞬間、異世界と繋がる道が開く》
《その機会は百年に一度。見逃せば、次はもう来ない》
目が釘付けになる。
(⋯⋯そんな⋯⋯)
自分が――本当に帰れるかもしれない方法。それが、ここにあった。手の中にある。
信じられない思いで、紗凪はページを何度も読み返す。
(ロゼリオに、伝えなきゃ⋯⋯!)
弾かれるように振り返った視線の先。神殿の入口で、玲奈がまたロゼリオにまとわりついていた。
「ロゼリオさ〜ん、今日は一緒にお茶でもどう?」
笑顔の玲奈と、そっと視線を逸らしているロゼリオ。その姿が目に焼きつく。
唇が、強く結ばれる。
「⋯⋯なんでもない」
紗凪は、手の中の本をそっと閉じ、元の場所に戻した。
(伝えるの、やめとこう。
⋯⋯だって、きっと、ロゼリオには関係ないもん)




