フォルス王国 3
「では、明日から覚悟なさってくださいね」
ロゼリオの微笑みは艶やかで、ぞっとするほど甘やかだった。
紗凪はベッドの上で固まる。鼓動が早まるのを止められない。
瞳を逸らそうとしたが、ロゼリオの指がそっと顎を取り、強引に視線を絡めてきた。
「貴女が誰を見て、誰に揺れていようと――」
赤い瞳が覗き込む。そこに映るのは紗凪だけ。まるで、それ以外の全てを拒むような執着。
「私から逃れられるとは思わないでくださいね?」
「⋯⋯っ、冗談⋯⋯よね?」
「さあ、どうでしょう?」
耳元に囁く声が、背中をゾクゾクと撫でた。
紗凪は言葉を返せず、唇を噛みしめる。けれど胸の奥――心臓のすぐ隣に、なにか熱いものが落ちたのを感じていた。
翌朝。王国の宿に差し込む光で、紗凪は目を覚ました。まだ体が火照っている。
けれど昨日のことを思い出すと、寝ぼけてなどいられなかった。
起き上がると、部屋の扉の向こうからノックが響く。
「おはようございます、紗凪さん」
ロゼリオが、銀の皿に載せた赤い林檎を差し出してきた。
「朝食代わりにどうぞ。フォルス王国特産の“紅涙の果実”です。貴女の唇が似合いそうな色をしていたので」
「⋯いちいち言い方が気持ち悪いっての⋯」
顔を逸らしながらも、林檎を受け取る。ロゼリオは薄く笑って言った。
「ええ。でも⋯ちゃんと受け取ってくださいましたよね?」
心を読むような口ぶりに、紗凪は思わず林檎にかじりついた。
その後、2人は宿を出てギルドへ向かった。昨日戦った魔物の素材や採取した薬草などを換金すると、なかなかの金額になった。
「これだけあれば、しばらく困りませんね」
そう言ってロゼリオは財布をポンと叩く。
そのまま王都を散策し、露店の串焼きや焼き菓子を食べ歩く中で、紗凪はある店の主人からこんな言葉を耳にした。
「召喚についてなら、神殿の“聖書室”が詳しいぞ。あの子――聖女様がたまに閲覧してるらしいからな」
「⋯⋯神殿、もう一度行ってみよっか」
林檎飴を舐めながら紗凪が言うと、ロゼリオはすぐに頷いた。
神殿に再び足を運んだ2人は、難なく聖書室へ入ることができた。
厳重な封印や制限があるかと思いきや、意外にもあっさりと通された。
静かな書架の間を進むと――見覚えのある聖女服の少女が、分厚い書を抱えて振り返る。
「⋯⋯あ、また会ったね! 紗凪ちゃんに、ロゼリオさん!」
西園寺玲奈が笑顔で駆け寄ってきた。
玲奈は昨日にも増して華やかで、今日もまたロゼリオに視線を送っていた。言葉巧みに話しかけ、距離を詰めようとする。
「ロゼリオさんって、手⋯⋯綺麗だね。
何か香水つけてるの?それとも天然?」
「⋯⋯植物ですから。香りは持って生まれたものです」
「へぇ〜やっぱりすごい! じゃあ触っても――」
「⋯お気になさらず、触れた指は戻ってこないかもしれませんよ?」
笑みを浮かべながら、ロゼリオはゾッとするようなことをさらりと口にする。玲奈は一瞬固まったが、すぐに愛想笑いを浮かべた。
その様子を見ていた紗凪は、なぜか息苦しさを覚えた。胸の内がざわつく。言葉にならない感情が渦巻いていく。
(⋯⋯どうして⋯⋯こんなに苦しいの?)
ロゼリオが他の女に冷たくしているはずなのに、自分の心は、なぜこんなに不安定になる?
夜。王国で見つけた宿に戻った紗凪は、着替えを終えてベッドに座っていた。今日一日のことが頭の中を巡る。
すると、扉がノックもなく開いた。ロゼリオが、夜の空気を纏って入ってくる。
「紗凪さん。貴女に伝えたいことがあります」
「⋯なに?もう、今日は色々あって疲れてるの」
「⋯⋯なら、夢の中でお会いしましょうか?」
近づいてくるロゼリオの影に、思わず身を引く。しかしその背にはもう壁がある。
ロゼリオは手を伸ばし、紗凪の頬に触れる。手袋のない、植物のような柔らかい指。
「貴女が誰を羨み、誰を疑おうとも――私は、貴女を欲することに変わりはありません」
「⋯⋯どうして⋯⋯」
「理由など、いりますか?」
そう言って、ロゼリオは紗凪の額にそっと唇を押し当てた。昨日と同じ、けれどどこか熱を孕んだキス。
「“聖女”などに惑わされないでください。私の目には、紗凪さんしか映らないのですから」
頬が、耳が、心臓までもが真っ赤に染まる。
(こんなの⋯⋯ずるい⋯⋯)
それでも――嬉しいと思ってしまった自分に、紗凪は気づいてしまった。




