(5)舞台設営
俺たちは体育館の舞台の下手袖に待機していた。
舞台上では、有志チームによる「ダブルダッチ」のリハーサルが行われている。
(懐かしいな。)
小学生の頃、よく遊んだのを思い出す。
二本の縄が回る中で、さまざまな技を競う縄跳びだ。
音楽を掛けながら、ステップやターンのバリエーションを披露している。
アップテンポなリズムに乗って繰り出される小技は小気味よく、息の合った入れ替わり技や、ダンスステップで魅せる構成らしい。
クライマックスでは、回転するロープのスピードを上げながら、次々とジャンパーが飛びこみ、フォーメーションを変化させていく。音楽が最後の一節に入ると、ジャンパーたちはロープから鮮やかに飛び出し、ターナーはロープを止める。全員が一斉に前へ向いてポーズを決めた。
本人たちも納得のいく出来栄えだったようで、舞台上には高揚感と達成感が溢れた。
ハイタッチを交わしながら、メンバーたちが袖に戻ってくる。
「よし、行くぞっ」
と亀井先輩の掛け声。タイムキーパーは助っ人忍者の早島さんだ。
「ではいきまーす。用意、スタート!」
十五分の制限時間内に、舞台セットを運びこむ予行演習だ。
黒く長いロープを持った一年生女子が駆け出していく。
「家臣C」の彼女は、袴にちょんまげ姿だから、頭の上の髷がぴょこぴょこと揺れた。
セットの設置位置がわかるように、ロープにはあらかじめ目印、いわゆる「バミリ」がついている。
亀井先輩と大津、そして俺の男子三人組はまず、畳と箱馬を取りつけた平台を設置する。
「いっせーの、でっ」
この掛け声にも昨日は戸惑って、俺だけタイミングが合わなかったのだが、もう慣れた。
ロープの目印を頼りに台を置き、引き返して次の平台を運ぶ。
その間に、女子班員たちは長い背景幕を舞台の後ろに運びこみ、「美術バトン」と呼ばれる金属棒に取りつける。取り付けが終わった順に「オッケイ!」と声をかけ合い、六人の声が揃ったら、スイッチ盤の前で待機していた早島さんがバトンの巻き上げスイッチを入れる。
家臣たちが投げ飛ばされる体操マットも女子たちが運ぶ。
草を模した装飾がしてあって、マット部分を客席から隠すようになっている。
俺たち男子は四台の平台を舞台に据え付け、楔形の器具で連結させた。
最後が「玄関」だ。
重い屋根を男子三人で支え、四人の女子が柱を押さえながら運ぶ。
設置位置で立ち上げれば、屋敷の玄関になる。
「早島さん、時間は?」
「はい、九分です!」
順調だ。演者たちは袖に戻って、呼吸を整え、衣装をチェックし合う。
「よし、幕開けるぞ。」
制限時間より三分早く、緞帳が上がり、演技のリハーサルが始まった。
人数がギリギリなので照明効果は使えない。
舞台中央を照らす、黄白色の照明の中で、舞台が進行していく。
「おのれ、徳川に刃を向けてただですむと思うなっ!」
早島さんの威勢のいい啖呵が体育館に響く。
襲いかかる家臣をマットに転がし、家臣たちが逃げていくと、いよいよ葛葉と佐助の対決シーンだ。
(あ…)
班室での通し稽古の時は気がつかなかったが、屋敷の中と外で段差があることで、殺陣のシーンは勝手が違うようだった。
例えば、斬りかかる葛葉の刀を躱し、佐助が屋敷に跳びあがるシーンがある。
佐助役の北都さんが、葛葉に背を向けて段上に飛び乗るのだが…。
(これはさすがに…)
猿飛佐助といえば、さまざまな忍術、妖術を極めた忍者、ということになっている。
戦闘の最中、敵に背を向けて屋敷に飛び乗る姿には違和感があった。
無事、葛葉の寝返りで終幕になった後、演者同士で最後の詰めを話し合う時間があったので、その点だけは言わせてもらうことにした。
「北都さん、屋敷に跳びあがる場面だけど、あそこは後ろ向きに跳んだほうがいいんじゃないかな。」
「えっ、後ろ向きに?」
「そう、葛葉と相対しているわけだから、そのまま。」
「そんなことできないよ。」
「えっ」
わずか三十五センチほどの段差だ。何か演出上の都合があるのだろうか、と思った。
「やってみなさいよ。」
そう言ったのは葛葉こと早島さんだった。
「えっ、俺が?」
演者でも振付師でもないのに、それは差し出がましいのではないだろうか。
班長の亀井先輩を見ると、腕を組んで黙ったまま大きく頷いた。
「柳瀬君が言い出したんだから、まず手本を見せてよ。」
なるほど。俺の説明が悪くて、言いたいことが伝わらなかったようだ。
たしかに伝えたいことは見せた方が早い場合もある。
「わかった。」
俺は平台の前に進み出た。
早島さんが目の前で忍び刀を構える。姿勢も重心の位置も見事で、立ち姿だけで迫力を感じる。
この場面の振り付けは、佐助の斬撃を葛葉が受け、逆襲の刃を振り下ろす。
佐助が身を引いて躱すと、葛葉が踏みこんで下から斬り上げる、というシーンだ。
空を切るものの、斬り上げた葛葉の姿勢が美しく、一番の見せどころになる。
俺は北都さんの刀を借りて構えた。
「じゃあ、行くね。」
早島さんの受けの動作に合わせて刀を振る。刀同士が軽く接触するタイミングで、弾かれたように引き戻す。
そこへ、早島さんが右上から斜め斬り。
身を引いて躱す。
返す刀で斬り上げながら、早島さんが踏みこんでくる。
正面から見ても、左右にまるでブレのない、美しい太刀筋だ。
鋭く、直線的な軌道を描いて刃先が目の前を通過していった。
振付を知らなければ躱しきれるかわからないほどの斬撃。
俺は跳びあがった屋敷の上で、その残像を堪能させてもらった。
「えっ」
と、声を出したのは――早島さんだった。
「え?」
思わず聞き返すと、早島さんは、
「絶対当たったと思ったのに…」
と呟いた。
(おいおい、当てちゃダメだろ。佐助、死んじゃうじゃん。)
「えっと、こんな感じなんだけど。」
北都さんを見たら、口をあんぐりと開けて、目を見開いている。
仕方がないので、一度舞台の床に降りて、解説することにした。
「葛葉の刀がこう、右上から来るから、身を引いて、刀を返す仕草が見えたら、両足で踏み切って後ろに跳べば屋敷に上がれる。」
「そ、そんなことできないわよ!」
「できると思うよ。北都さんの動きは見ていたけど、身体能力的には問題ない。あー、でもちょっと怖いのはわかるな。」
見えない場所に跳び上がるのは、たしかに恐怖心との戦いだ。
だが、岩の上に跳び乗るわけではなく、真っ平らな畳の上なのだから、踏み外しても尻餅をつく程度だ。
怖がらなければすぐにできるようになる。
「もしよければ、後で怖さを克服する方法は教えてあげられるけど・・・。」
なんだか、周囲の空気が重い。
これは何かやらかした時に感じる重たさだ。
(俺、何もしてないよな。)
佐助の動作のおかしい点に気がついて、それを話したけど伝わらなかったから、やってみせた。
それだけだ。
特別な技術は何も使っていない。
「あなたって、何者なの?」
早島さんはなぜかすごく驚いている。
「いや、いつも隣に座ってる柳瀬だけど…」
「それは知ってる。武道とか格闘技を何かやってるんじゃないの、って意味よ!」
「やってないよ。」
武道も格闘技も本当にやってない。
「と、ともかくさ。」
亀井先輩が間に入ってくれた。
「柳瀬君が言うことももっともだと思う。北都さん、ちょっとチャレンジしてみたらどうかな。あそこはこの芝居の見せ場になるところだし。」
さすがは演劇班の班長だ。
「あ、亀井先輩…実はもうひとつありまして。」
「うん?」
「玄関のところなんですけど」
あらためて早島さんと北都さんの殺陣を見ていたが、やはりあの柱は危ない。
何かの拍子にまともにぶつかると、瓦を乗せた屋根が倒れてくる危険があった。
「一杯飾りなんで簀の子から吊ってもいいですか?」
と言いそうになった。
「舞台セットが変わらないんで、天井の梁からロープで吊るしてもいいですか?」
演劇の専門用語を、普通の言葉に言い直す。
「早島さんか北都さんが柱にぶつかると倒れてくるかもしれないと思って、心配なんです。」
「たしかに、上が重いのは間違いないけど、吊るす時間なんかあるかな。」
「今日は六分くらい余りましたし、五分あればできると思います。」
簀の子というのは、照明や幕などを吊るすために、天井に渡してある格子状の梁だ。
舞台袖の壁に固定されている金属のはしごで登ることができる。
高さは十メートルほどだろう。
本格的な演劇用の舞台や撮影スタジオであれば、機械で上下できる「バトン」が何本もあるからセットを吊るすのは簡単にできるが、この舞台には、バトンが二本しかない。一本は背景用、もう一本は照明器具が取り付けられていて、通常は下降できない。
となると、簀の子からロープを垂らして吊るすしかない。
宙吊りにする必要はなくて、柱にぶつかっても屋根が落ちない程度に吊ってあればいい。
「わかった。あとで方法を聞かせてくれるか。それを聞いて判断するから。」
「はい、わかりました。」
「今はとりあえず、セットを撤収しよう。その後、北都さんにさっきのジャンプを伝授してほしい。」
「あ、はい。」
伝授とは大げさな、と思ったが、今はともかく撤収が先だ。
また全員に役割があるから、それぞれの持ち場に散っていった。
舞台からの撤収は八分あまりで完了。その後、袖でセットを隅に寄せたり、セットが倒れないようにロープで固定するなどの作業をした。
それから、俺は北都さんを段差の低い階段に連れて行った。
何をするということもない。
一番下の段から、地上に降りる。降りたら、その逆の動作で一段上の段に戻る。
低い階段で慣れたら、少し段差の高い階段に行って、同じことをする。
最初は足元を見ながら、慣れてきたら足元を見ずに。
そのくらいは誰にでもすぐできるようになる。
最後に、箱馬を二段重ねにした。
演劇班の箱馬は高さが六寸だから、二つで一尺ニ寸、約三十六センチくらいの高さが作れる。
これも、すぐに昇り降りができるようになった。
「うん、できそうな気がしてきた。」
「怖かったら、片足ずつ着地すればいいからね。」
「うん。バランス崩したら支えてね。」
北都さんも、徐々に恐怖を克服できたようで、最終的には両足で踏み切って跳び、着地するところまでできるようになった。
こうして「目立たないように役に立つ」という当初の方針は少しだけ歪んでしまったが、裏方らしい働きができた、と思うことにしよう。
それに舞台に関わった以上は、少しでも完成度を上げる手伝いがしたい。
(これで早島さんも一躍スターだな。)
斜め下から斬り上げた刀が、振り終わりのところでピタリと静止する。
軸足から頭の先までが一直線に前傾し、踏みこんだ足がその前傾を完璧な重心で支える。
どの角度から見ても、その機能美は感じ取れるだろうし、角度によっては竹光刀の刀身に貼った銀箔が照明の光をとらえて冷たく輝くだろう。
「ありがとう、柳瀬君。きっと素晴らしいシーンにしてみせるわ。」
練習の終わりに、北都さんはそう言って微笑んでくれた。




