(3)通し稽古
翌週の月曜日の放課後。
俺は学校の「班室棟」を訪れていた。
細長い二階建てアパートのような建物で、各部屋が班に割り当てられている。
今週開幕する文化祭に向けて、どの班室からも熱気が漏れてくるような雰囲気があった。
演劇班の班室は一階の一番端の部屋だった。
今日は全体ミーティングなので、演劇班の全員が集合するらしい。
早島さんと俺は助っ人だから、入口の近くに立っていたのだが…。
「全員揃ったな。じゃあ始めようか。」
班長の亀井先輩が部屋の奥中央に立って、声を張った。
ついさっき、北都さんに紹介してもらって、挨拶をしたばかりだ。
(えっ、これで全員?)
八人しかいない。男子が二人、女子が六人。早島さんと俺を含めても十人だ。
「いよいよ、本番まで一週間を切った。今日から新しい助っ人が来てくれている。二年の柳瀬君だ。」
「柳瀬光希です。よろしくお願いします。」
ワーッ、と歓迎の声が上がり、拍手が起こる。
その後、亀井先輩からスケジュールと役割分担の確認、今日の作業内容などの説明があった。
屋敷のセットは、すでにほぼ完成しているらしい。
「平台は箱馬で嵩上げして『しゃく』に組んだ。屋敷の畳までが低いと絵にならないから。」
箱馬というのは木製の箱で、平台の嵩上げに使う。『しゃく』というのは一尺のことで、平台と箱馬を合わせて一尺、つまり約三十センチの高さにする、という意味だ。
その上に畳を敷くと、ステージの床面から三十五センチほどの高さになる。
一台の重量はおそらく五十キロくらいだろう。
「あ、箱馬っていうのはこの箱のことでね、『しゃく』っていうのは…」
亀井先輩が助っ人の俺に解説してくれた。
「ありがとうございます。」
「で、今日組み立てるのはこれ。屋敷の玄関な。」
材料の加工はだいたい終わっているようだ。
「この柱、発泡スチロールですか。」
茶色く着色され、木目が描かれた角材のような棒が四本並んでいた。
「ああ、よくできてるだろ?舞台セットは軽くしなきゃいけないからね。」
角材に似せた発泡スチロールの柱の上にベニヤ板を固定し、その上に瓦を乗せるという。
「瓦は本物ですよね。」
「うん、親戚の家で余ってたのがあったからもらってきた。経費節減ってやつだな。」
「そうなんですね。」
瓦は四列三段の十二枚。
べニアに打ちつけた角材に、釘と針金で固定する。
屋根部分に発泡スチロールの柱を四本、金具で取りつけた。
一緒に作業したのは、二年生の大津平吾という男子だ。
「柳瀬君、すごく手際がいいね。」
と褒めてくれた。
「うちは農家だから。」
木を切ったり薪を割ったりする作業は長野に来て覚えたから、そう説明しておいた。
台本ももらった。なかなか面白い。
大坂冬の陣を前に、大坂城への入城を求められた真田幸村が招きに応じ、武将としての一花を咲かせる覚悟を決める。しかし、家臣たちはまるでやる気がなく、さまざまな理由をつけて幸村を屋敷に留まらせようとする、という騒動が、コミカルに描かれていた。
翌日の火曜日は全員で、セットの資材を体育館に近い倉庫に運びこんだ。
搬入の後、空きスペースができた班室で通し稽古が行われた。
演出も脚本も、大道具も小道具も美術も、全員が出演者だ。
「殿、大坂方の使者はなんと?」
劇は、大坂城からの使者が帰ったところ、という場面から始まる。
幸村の家臣役は四人。全員が男装の女子だ。
袴姿の衣装で、ちょんまげのカツラをかぶっている。
「うむ、徳川との決戦を前に入城せよとのことじゃ。」
真田幸村を演じるのは班長の亀井先輩。
幸村が豊臣家への恩顧に報いるため、招きに応じると宣言すると、家臣たちは大げさに首を振って、口々に思い留まるよう説得を試みる。
説得の文句が「村の娘が寂しがる」とか「いつも来る野良猫に餌がやれない」とか、どうでもいいようなことばかりなのだが、幸村はいちいち「たしかにのう。」と悩んでみせる。
そこへ、徳川の監視役、大津平吾が登場する。それっぽい名前だからか、役名は本名のままのようだ。
「これはこれは、大津殿。よく参られた。」
大津が護衛に連れている女忍者、葛葉を早島さんが演じていた。
普段通りに紫色のリボンで髪を結び、紫色の忍者装束を着ている。
大坂方からの勧誘を隠そうととぼける幸村と、監視役に悟らせようと「失言」を繰り返す家臣、それをごまかそうとする幸村のやり取りも面白い。
呑気な大津が気づかずに帰ろうとすると、葛葉だけが不穏な様子を察して忠告する。
「なんじゃ、そなたは用心が過ぎるぞ。そうまで申すならそなたが見張っておれ。」
家臣たちが葛葉をわざとらしく歓待していると、幸村の腹心である猿飛佐助が帰還する。
黒い忍者装束に身を包んだ北都さんだ。
佐助は幸村と二言三言、小声で会話を交わすと、葛葉に向き直って、さらりと刀を抜く。
「葛葉、そなたに恨みはないが、殿の大望のため、死んでもらうぞ。」
「おのれ、徳川に刃を向けてただですむと思うなっ」
早島さん、意外に演技が上手くて驚いた。
佐助の斬撃を葛葉が二度三度と躱すと、幸村が家臣たちに命じる。
「おぬしらもかかれ!何をしておる!」
やる気のない家臣たちは刀も抜かず、順番に葛葉に襲いかかっては、苦もなく投げられてしまう。
合気道の技なのだろう。早島さんは流れるような所作で、家臣役の女子たちをマットの上に転がしていた。
家臣たちは一度投げられただけで戦闘を諦め、「そうじゃ、洗濯物が」とか「夕餉の買い出しがまだじゃった」とか言いわけをして逃げていく。
ここまでは軽いタッチのドタバタ喜劇なのだが、早島さんが背中の忍び刀を抜くと、空気が変わった。
忍者同士の戦いが刀で斬り合うのかどうかはともかく、殺陣の振り付けもなかなかのものだ。
早島さんの動きは鋭く、流麗な立ち回りを見せる。
(合気道って刀は使わないよな…)
しかし彼女の姿勢、重心、足運びが、凛とした美しさを放っていた。
彼女が動くたび、紫色のリボンが揺れる。
ついに佐助を追い詰める葛葉。
佐助は敗色を悟り、葛葉に寝返りを勧め始める。
さまざまな誘い文句に動じることなく、佐助を斬りつけようとする葛葉だが、
「残念だ、一緒に参れば大坂鶴屋の菓子も思う存分食べられたものを」
という佐助の一言に、「なに、大坂鶴屋の菓子だと?」と動きを止め、あっさりと寝返ってしまう。
最後は、佐助と葛葉が肩を組み、幸村と杯を交わして、終幕となる。
「柳瀬君、どうだった?」
幸村こと亀井先輩に感想を聞かれた。
俺を除く全員が演者だから、観客役は俺しかいない。
「面白かったです。楽しめました。」
正直、期待以上だったから、俺は拍手をしながらそう答えた。
「喜劇として面白かったですし、二人の殺陣もよかったと思います。あと、早島さんがきれいでした。」
細かいところで改良の余地はあるのだが、高校の文化祭なら十分に観客を楽しませることができるだろう。
素直にそう思った。
動きやセリフ回しの確認、反省点の話し合いなどが行われた後、「女子が着替えるから」と男三人は班室の外に追い出された。
「いやあ、柳瀬君が来てくれて助かったよ。」
と亀井先輩。
「ほんとっすね。運びこみが楽だったから体力が残ってましたもん。」
と大津。たしかに約五十キロのセットをいくつも運んだから、男手が「二人」と「三人」では大きく違う。
「お前の役は体力なんか必要ないだろ。」
「いえいえ、気力も含めてってことですよ。」
二人だけの演劇班男子ということもあってか、兄弟のような親しさを感じた。
「それより先輩、大津の役なんですけど、本当に気づかなくて呑気に帰る感じでいいんですかね。幸村の志を察した上で手練れの葛葉を残していく、って解釈もありますよね。」
「そうだな、俺も実は決めかねててさ。『では真田殿』のセリフのとこだろ?」
「ええ。今日はまるで気づかない態で、特に間を取りませんでしたけど。」
そんな演劇談義をそばで聞いているのも嫌いじゃない。
「柳瀬君はどう思う?どっちが面白いか、って話だけど。」
急に振られて驚いたが、
「そうですね。今日のまま、大津は気づかないほうが、葛葉の有能さが引き立つんじゃないでしょうか。」
と意見を返した。
二人には申しわけないが、この舞台の主役は間違いなく葛葉だ。
脇役は主役の引き立て役に徹すればいいし、なるべく「意味を含んだ芝居」をしないほうがいい、と思った。
「たしかにそうだな。」
亀井先輩は大きく頷いた。
「じゃあ、大津、明日の舞台稽古もそれでいこう。」
「了解っす。」
「なあ、柳瀬君、演劇班に入る気ないか?俺は文化祭で引退だし、大津が男一人で取り残されるからさ。」
弟思いの兄のような優しい表情で亀井先輩が言った。
「すみません、班活はしないつもりなんです。祖母と二人暮らしですし。」
ばあばはまだ介護が必要な年齢でもないし、健康状態も良好だけど。
「そうか、大変なんだな。でも気が向いたらまた手伝ってやってくれよ。」
「はい、わかりました。」
そう答えたが、文化祭の舞台が成功すれば新入部員も来てくれるだろう。
(早島さんもまず演劇班に入って、合気道に興味を持つ子を見つけた方がいいんじゃないかな。)
今日くらいの出来で本番をこなせれば、早島さん目当ての入部希望者がいてもおかしくない。
(次に早島さんから勧誘を受けたら提案してみるか。)
明日は舞台稽古だから、本番さながらにセットの搬入と設置、撤収がある。
助っ人として、目立たないように気をつけながら役に立とう。
そう考えていた俺なのだが、翌日、ちょっとした失敗を仕出かすことになる。




