(2)演劇班
翌朝、学校に着くと、さっそく早島さんが話しかけてきた。
「おはよう、柳瀬君。」
「ああ、おはよ。」
「お願いが二つあるの。」
「ごめん、合気道同好会には入らないよ。」
「うん、それはいつでもいいんだけどね。」
諦めたわけではないらしい。
「その合気道同好会の、入会募集動画を作りたいのよ。で、演武のシーンを撮りたいんだけど、柳瀬君、出てくれない?」
「え、動画に出てほしいってこと?」
「うん、そう。」
要するに「やられ役」ということだろう。それはかまわないのだが。
「あー、それって動画サイトとかに載せるってこと?」
「うん、そうなるわね。」
「そうか、それは悪いけど難しいな。」
「大丈夫。受け身はちゃんと教えるし、基本的な技だけだから簡単よ。」
「そういう問題じゃないんだけど…。」
「柳瀬君ならきっとすぐ合気道の楽しさに気がつくよ。」
どうやら、動画出演にかこつけて、俺に合気道の魅力を伝える魂胆らしい。
作戦としては悪くないと思うが、俺には乗ってやることができない。
「動画はダメなんだ。ごめんな。で、もうひとつは何?」
動画に出られない理由を説明するのはややこしくて面倒だから、早く話題を変えよう。
「うーん、わかった。もう一つはね、文化祭のことなんだけど。」
早島さんは意外にあっさりと納得してくれた。
「私、演劇班の公演に出るのよ。」
「へえ。」
早島さんはたしかに整った顔立ちをしている。化粧っ気がなく、自然のままだが。
いつも黒髪を後ろでまとめ、紫色のリボンで結んでいる。
姿勢がよく、バランスのいい歩き方をするのは「武道の心得」というものなのだろう。
「それはまあいいんだけど、演劇班で大道具が足りないらしいの。」
「大道具の補充に、ってことか。そんな人集めまでやらされてるのか。」
助っ人出演に加えて、スタッフの募集までとは、早島さんも人がいい。
「うん、実はちょっと舞台のセットに注文つけちゃってさ。」
人がいい、は訂正させていただきます。なるほど、身から出た錆ってやつね。
「まあ、材木切るくらいならできるよ。」
どこの班も文化祭には出展するし、有志団体を作って参加する人たちもいるから、余剰の人材は少ないのかもしれない。
「ほんと?」
早島さんからの頼みはことごとく断っているから、ひとつくらいは聞いてやらないとな。
しかし、よりにもよって演劇班とは…。
「で、どんなセットを作るんだ?」
「うん、これなんだ。」
早島さんが設計図っぽい資料を見せてくれた。
「真田幸村が、大坂冬の陣に招聘されて、九度山の蟄居屋敷から抜け出す話なの。」
真田家は上田市民に慕われていて、家紋の「六文銭」を町のいたるところで目にする。
「屋敷のセットがへぼいとさ、舞台として映えないじゃない?」
へぼい、というのは長野の方言で「不出来」とか「下手」といった意味らしい。
「まあ、そうだな。」
舞台上に、九度山の真田屋敷のセットを作るようだ。
舞台面を一段高くする「平台」の上に畳を敷き、出入口として庇のついた玄関をつけるらしい。
「来週の月曜日から毎日でもいい?」
「ああ。」
「ありがとう、助かる。」
早島さんは大道具要員を一人確保したことで安心したのか、嬉しそうだ。
トレーニングの時間を削ることにはなるが、たまには同級生の役に立っておくのも悪くない。
それに大道具は肉体労働だから、筋肉をさぼらせることにはならないだろう。
文化祭は一週間後、六月の末に三日間行われる。
「来週の水曜日に舞台稽古があって、本番は土曜日ね。」
演劇班の公演は最終日に予定されているらしい。
設計図の裏に、スケジュールや注意書きが書かれていた。
「舞台セットの搬入と撤去はどっちも十五分でやらなきゃいけないんだって。」
それはたしかに人手がいる。
スケジュールによると、大道具班の製作作業はすでに始まっていて、来週の月曜日に完成予定。
火曜日は倉庫への搬入と通し稽古、水曜日は体育館にセットを設置して舞台稽古、撤収の練習もする。
木曜と金曜は文化祭が始まっているから、大道具班は実質休みで「セット最終調整」とだけ書かれていた。
つまり、月火水の三日間と、本番の土曜日、計四日間を手伝えばいいらしい。
そこに、いつも早島さんの席に来る女子がやってきた。
彼女は北都亜悠さん。そういえばたしか演劇班だと言っていた。
関西の某歌劇団出身の女優さんのような名前だが、当然本名だ。
「ああ、亜悠、大道具の助っ人、見つけたわよ?柳瀬君。」
早島さんが得意げに俺を指差すと、北都さんはこちらに顔を向けて、
「え、柳瀬君が…?」
と、俺の頭から爪先まで、値踏みするように見てから、戸惑うような表情を浮かべた。
「あ、うん、助かるわ。でも大道具ってけっこう力仕事だけど…」
(頼りない助っ人に見えるんだろうな。)
筋肉を大きくしないように気をつけているから、俺の体は平べったいし、細い。
制服の上から見れば、さぞかし非力に思えることだろう。
「心配ないわよ、亜悠。柳瀬君、昨日杉元君にぶつかられたけど、簡単に受け止めてたもの。」
「そ、そうなんだ。よろしくね、柳瀬君。」
複雑な表情を作る北都さん。さすが演劇班だ。
「それより、ユイ、台本読んでくれた?」
女子の交友関係の深さは呼び方でだいたいわかる。
早島結菜さんの場合で言うと、「早島さん」「結菜ちゃん」「結菜」「ユイ」と仲良くなるにしたがって呼び方が変化する。
男子の場合は名字で呼ぶか、名前で呼ぶかの二択だが、どちらかと言うと呼ぶ側の性格に拠るところが大きい。
「うん、読んだよ、面白かった。」
「感想じゃなくて、できそうかどうか聞いたんだけど?」
「ああ、そっか。でもセリフは少しだし、平気じゃないかな。」
「ユイが出てくれることになってから書き直してもらったからね。」
「そうなんだ、出番を少なくしてくれたってこと?」
「うーん、セリフは減らしたけど、出番は多くなったかな。戦闘シーンを長くしたから。」
「えー、私みんなに恨まれないかな…」
「平気よ。脚本の那奈恵さんも、班長の亀井さんも期待してたわよ?」
抜けるタイミングを失って、早島さんと北都さんの会話を聞いていると、
「柳瀬君も驚くと思うよ、ユイ、かっこいいから。」
と北都さんが俺に顔を向ける。
「合気道でね、相手をどんどん投げ飛ばす役で…」
「あ、亜悠、それは…」
早島さんが北都さんの袖を引っ張った。
「なによ、ユイ。それでね、最後に私と対決するんだけど、また合気道で」
「亜悠、ストップ!」
「なに、どうしたの?」
「えっ、ほら、ネタバレになるしさ。」
(そういうことか。)
どうやらこれも俺を合気道同好会に勧誘する作戦の一つだったらしい。
間近で合気道を見せれば、興味を引けると思ったようだ。
「まあ、そうね。ともかく、稽古になれば見られるから、楽しみにしてて。」
「ああ、わかった。」
と、俺は苦笑いを返す。
「あれ、そういえば柳瀬君って…東京から来た人だっけ?」
異星人に言うように聞かれても困るんだが。
「住んでたことがあるだけで、詳しくないけどな。」
と、予防線を張っておく。
去年、入学早々の自己紹介で「東京にある上目黒中学の出身で」と言ってしまったのは失敗だった。
当然だが、東京の中学生が全員、渋谷や原宿で遊んでいるわけではない。
俺が特に疎いのは認めるが、聞かれたって答えられないことが多いし、満足に会話もできない。
中学の修学旅行が東京だったとか、自由ヶ丘が意外に有名だとか、そっちのほうが驚いた。
彼らと共通の話題にできたのは、近所の「目黒川の桜」だけだった。
それ以来、東京のことを聞かれるのが億劫になっている。
「ねえ、東京だとさ、街で俳優さんに会うこともあるんでしょ?」
演劇班の北都さんの関心はそのあたりらしい。
記憶を辿ってみる。
「秋名京弥は見かけたことあるな。」
秋名京弥さんは日本人なら誰でも知っている大物俳優だ。
コミカルな父親にシリアスな医者、時代劇からSFまで、さまざまな役柄で活躍している。
「え、秋名京弥!すごい、何してた?どんな感じ?」
「えーと、普通に歩いてたけど、すごいオーラが出てたな。」
中学一年の時、中目黒駅前の横断歩道ですれ違った。
「でもそのくらいだよ。」
「ふーん、そうなのかあ。」
露骨にがっかりされてもなあ。
そもそも、中学生と芸能人は活動時間も移動手段も違う。
「長野にだって芸能人は来るじゃない。」
早島さんが横から助け舟を出してくれた。
「そうだけど、ロケとか、コンサートとか、芸能活動じゃない?普段の姿を見られるわけじゃないし。」
知らない方がいい裏側もあるとは思うけど、気持ちはわからないでもない。
興味がある分野で知らないことがあれば、知りたいと思うよな。
「あ、じゃあさ」
と、早島さん。
「合気会は?」
「あいきかい?」
「合気道の総本山みたいなところよ。本部道場が新宿にあるの。」
「……。」
早島さん、それはたぶん東京でもほとんどの中学生が知らないと思うぞ?




