第八十八話 ヨワヨワ
娘お姉さんが心ゆくまでくるぶしを蹴り終わったのち、いつものように遊び、お昼寝し、ラジオを録った。
ラジオの時に聞いたのだが、どうやら娘お姉さんは「配信者の切り抜き師」としてお小遣い稼ぎを始めたらしい。
まだ月の収入は一万円くらいらしいのだが、それでも娘お姉さんにとってこれは大きな一歩だ。
この話を聞いて、俺は自分でも思った以上に喜んでいた。
自然と口角が上がり、テンションも上がり、頬が熱くなり、瞳に潤いが増し、居ても立っても居られず、娘お姉さんの頭を撫で続けた。
俺自身ですら、飛び跳ねるように喜んだ自分に少し驚いていた。
これは、俺が父として娘の門出が嬉しかったからこんなに嬉しかったのだろうか。
もちろんそれもあるが、それだけでもない気がする。
「まっ、なんでもいいか」
よく分かんないなら、深く考えても仕方ない。こういうのは、いつか時がくれば自然とピンとくるものなのだ。
「さて、少し早いけど、ゲームにインしますかね」
土曜日の夜はゲーマーお姉さんとの一時だ。
乱高下していた彼女への好感度は、最近ではじわじわと右肩上がりとなっていた。それが前回の喫茶店デートで、俺の中にある一定のラインを超えた感覚があった。
このラインがどういうものかを言語化するのは難しい。ただ、今日のこの時を今までより圧倒的に楽しみにしていた気持ちだけは確かだ。
もちろん未だ毎日エロ自撮りを送りつけてくる件や、大学生となったことで闇落ちしたところなど、一概に褒められない部分も多い。
それでもどうしたって俺にはゲーマーお姉さんのダメな部分だけ見て切り捨てることはできない。
もう割り切って、そういう負の部分もひっくるめて心を通わせていこう。
俺が試し打ち場でウォーミングアップしていると、ゲーマーお姉さんから通知が来た。合流したいとのことなので、通話を繋げる。
「た、泰平! あのね!」
「……? ゲーマーお姉さん、こんばんはー」
いつもなら挨拶から入るのがお決まりなのだが、今日はそれがなかった。それほどまでに話したいことがあるようだ。
ほんの少し嫌な予感も感じつつ、ゲーマーお姉さんの言葉を待つ。
「あ、あの日! あの日は服こそ普段着だったけど、下着だけはちゃんとエッチなのを履いてたから!!!」
「………」
「そういうのはちゃんと持ってるから!! だから、次は遠慮しなくていいからねっ!!!」
「……おん」
どうしよ。さっきの言葉、前言撤回したい。負の部分をひっくるめて受け入れるの、俺には無理かも。
「前回のお出かけの時、それを伝えるのを忘れてたの! 泰平はノーパンより、履いている方が好きって中学の時に言ってたでしょ? えへへ……あっ、えと、それだけ! じゃあね!!!」
ピロン。
「えっ」
そう言い放つと、突然ゲーマーお姉さんは通話を切ってしまった。
おいおい、今から一緒に遊ぶんじゃないのか。一体何がしたかったんだ。
約一分後、もう一度通知が来たので、再度通話を繋げる。
「もしも――」
「もしかして、高校生となった今の泰平は、性癖が変わって、ノーパンノーブラの方が良かったりする!?」
……こいつ。ほんとさあ。
「ゲーマーお姉さん、そろそろ落ち着いてください。俺、聞いてられないです」
「またまたぁ〜。だって私は男に花丸を刻まれた女なんだよ! もう何しても勝ち確だって恋愛マスターのカオリが言ってたくらいだし! ね〜?」
「………」
「あれ? なんか反応悪い?」
「………」
「えっ、聞こえてる?」
「さっきからずっと聞こえてますよ」
「ええ、じゃあ……もしかして、私に引いて、言葉が出ない……なんて、ことは、ない……よ、ね?」
「おっ、ようやく落ち着きました? まさにそのとおりです」
「………………」
ながーい沈黙の後。
「〜〜〜〜〜〜!?!?!? うぎゃあああああ!! あっ、ちがっ、違うの!!! 全然、全然おちおち落ち着いて!」
絶叫。
シンプルにうるせえ。というか、あなたが落ち着け。
「違うの! あれから泰平のことで頭いっぱいで、おかしくなっちゃっただけなの! 幸せすぎて、舞い上がっちゃったの! 帰っても、一日経っても、二日経っても、いつまで経っても興奮が収まらないの! あれから花丸を刻まれた手のひらを見るだけで、幸せでとろけちゃうの!!!」
「そんなに喜んでもらえたのなら、こっちこそ嬉しいです。けど、あの時はこんなに混乱してなかったですよね?」
「違うの! 脳が、あまりのことに脳が現実を認識してなかったの! 遅れて致死量の幸せが押し寄せてきたの!」
「あー。なるほど」
「これってさあ! もはや私は悪くなくない?」
「……はい?」
じゃあ、俺が悪いってことか?
「ちょ、ちょっと! その『はい?』の言い方は怖い! 一旦落ち着いてって!」
こっちは全然落ち着いているんだが、まあ、さっきは確かに少し語気が強かったかもしれない。少しだけゲーマーお姉さんのテンションにつられたのかな。
「めちゃくちゃ落ち着いたので、一旦ゲーマーお姉さんの言い分を最後まで聞いていいですか?」
「うん。ちょっと待ってね。叫びすぎて喉が痛くなってきたから、一旦チルする。五分ほど試し打ちでもして待っててくれる?」
「いつまででも待ちますよ」
「ッ! あぅ、それ! そのほんのり甘い言い方! あと、喫茶店の時の「仕方ないなあ」みたいな甘い視線! それが私をおかしくさせ一旦ミュート!!」
ピロン。
「えっ」
本当に突然ミュートになった。どうも今日はゲーマーお姉さんのペースについていくのが大変だ。
きっかり五分後、ゲーマーお姉さんが戻ってきた。五分と言えば、ちゃんと五分で戻る。こういう部分は律儀でいいなと思う。
「おまたせ。一旦冷水シャワーを浴びて、龍角散ダイレクトをキメて、水分補給して戻ってきたよ」
「おぉう、それにしては早いですね」
「うん、待たせるのも悪いしね」
それから、ゲーマーお姉さんは一つ咳払いをして、続けた。
「てことで、泰平。ちょっと受け入れがたいことを言うかもだけど、落ち着いて聞いてね?」
「はい」
そんな重々しそうに、どうした?
改まって言われると、神妙な面持ちになってしまう。
「あのね。泰平って……」
ゴクリ。自然と喉が鳴った。
神妙な面持ちで、続きの言葉に耳を傾ける。
「泰平って、めちゃくちゃエロいの!!!」
「………はい?」
はい?
「ゲーマーお姉さんはマジで何を言ってるんですか?」
「泰平、これは真剣な話。割と真面目な話なの。だから、落ち着いてね」
「……とりあえず、続きを聞きましょうか」
「うん。あのね。実際に泰平と対面して、素直にこう思ったの。『あっ、これは明らかに自分の知っている雄じゃないな』って」
「続けて」
「なんて言うんだろう、雄としてのフェロモン? 声も匂いも視線も体つきも、妙に雄なの。一緒の空間にいるだけで、メスの本能が歓喜の声をあげるの。
しかも、首輪は茶色。頑張れば手が届く高嶺の花なんだよ。
つまり、泰平は普通じゃないくらいエロいの。エロすぎて困るの。分かった?」
「……そんなこと言われましてもねえ。ゲーマーお姉さんが大学生になって、こじれてるだけじゃないんですか?」
「情けないことに、それもあると思う」
「ほら。そんな真面目なトーンで言う話じゃないですって」
「でも、明らかにそれだけじゃないと思うの。特に私の手のひらに花丸をかいていた時の表情はヤバかった。
泰平は気づいてた? あの時、喫茶店にいる周りの女性、みんな立ち尽くして息が止まってたんだよ?」
「あー……確かに? なんか妙に静まり返ってたような……?」
「それは気の所為じゃないよ。あの時の泰平の笑顔は、本当に凶器だった。これは優しさで言うけれど、泰平はもう少し自分の存在を客観視したほうがいいかも」
「客観視、かあ。難しいことを言いますね」
俺って直感的に生きている分、客観視とか苦手なんだよなあ。
うーん……
「あっ、分かったかも。俺のそういう雄の部分は、ゲーマーお姉さんが引き出してくれたんじゃないですか?」
「……何を言ってるの? 私みたいな色気のない女の子が、そんなのできるわけないじゃない?」
「ゲーマーお姉さんこそ何を言ってるんですか? ゲーマーお姉さんってくっそ可愛いじゃないですか。
それに、俺は割と本気でデートだと思って行ったんですから、そりゃあ多少の雄らしさも漏れ出ますよ」
「ッ! また! またなんか甘い! 雄の声がする!」
ふむ、なるほど。どうやら俺は自分でも無意識のうちに、ゲーマーお姉さんを明確な異性として扱っているようだ。
きっかけはあのデートだろう。久しぶりに少し大人びたゲーマーお姉さんと生で出会って、俺の中で解像度が上がったんだ。
「ふへへ。これで俺達も立派な男と女の関係を築けますね」
「ちょ、雄が、雄が強い! もうちょっと手加減して! メスはヨワヨワなんだから、死んでしまいます!」
「ふふふ、次のデート、楽しみですねえ」
「う゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!! もう限界! 泰平!! 電話越しでいいから、私とセック――」
ピロン。
俺は通話を強引に切った。




