第八十七話 娘お姉さん
「今日もどうせお姉ちゃんと遊ぶんでしょ? なら、今から来ちゃいなさいよ」
「んー。少し早いけど、それもありかあ」
歯医者終わりに一緒に帰っていると、ツンデレ美少女にそう提案された。
娘お姉さんに「今から行っていいか」と一報を入れると、「もちろんいいよ! 早く来て!」とすぐに返信が来た。
「じゃ、一緒の家に帰ることになるな! いやあ、この光景を翼君に見られて、勘違いされたらすまんな!」
「ふんっ、泰平なんかじゃ当て馬ですら役不足よ。もう少し細身イケメン男子になってから出直してきなさい」
「たはー、痛いとこ突くなぁ。でも、役不足って『実力が足りない』って意味じゃなくて、『実力に対して、仕事や役目が軽すぎる状態』を指すんだぞ」
「そ、そんなこと知ってるわよ」
「そっかそっかあ、ツンデレ美少女は俺のことを褒めてくれてたわけか。へえ〜、ふぅん〜、そっかそっかぁ〜」
「死ね」
「痛って! そうやって言い返せなくなった時、すぐに暴力に訴えかけるのは良くないと思います! くるぶしがへっこんだら責任取れよな」
そんな風にじゃれあって帰っていると、すぐにツンデレ美少女の実家の喫茶店に着いた。
裏口から入り、俺もお邪魔させてもらう。
一緒に手洗いうがいしたのち、二人で二階へ上がっていく。
「ねえ、私はそろそろお昼を食べるつもりだけど、泰平もいる? つっても、そうめんなんだけどね」
「お? いいのか?」
「ええ、どうせお姉ちゃんの分もそうめんを茹でるつもりだったしね。なんなら今日は気分がいいし、豪勢にツナ缶も開けてあげるわよ」
「ういー、くっそブルジョアじゃん。ラッキー」
ノリで答えたものの、そうめんとツナ缶をどうやって食べるのかは知らない。言い方的に、この家では定番なのだろうが……
とりあえず食べれば分かるだろうし、楽しみにしていよう。
「じゃ、すぐにお姉ちゃんの部屋に持っていくわ」
「へーい。ありがとな。じゃあ、お言葉に甘えて俺は娘お姉さんと遊んでるわ」
「……ねぇ、前から思ってたんだけど、その“娘”ってやつ……いえ、なんでもないわ」
「ん? なんだよ言い淀んで。気になるなあ」
「あんまりあなた達の関係に口出しすると、お姉ちゃんに怒られちゃうのよ。だから、聞かなかったことにしといて。じゃあね」
軽く手を上げてひらひらさせると、するりと俺の元から去っていってしまった。
別にただそうめんを茹でに行っただけなのに、なんだか妙に胸の中が寂しい。
少し頭を振り、切り替えて娘お姉さんの私室の前に来た。
ノックをしようとした瞬間、すぐさま中から扉が開かれ、飲み込まれるように手を引っ張られた。
「パパ! おかえり! 今日は早く帰ってきてくれて嬉しい!」
部屋に入ると、全力で前から抱きしめられた。
今日の娘お姉さんの出迎えは、いつもより勢いがいい。
女性特有の柔らかさを感じるのと同時に、ほんのり甘さのある、色々混じった生々しい匂いが広がる。
ある程度抱きしめられた後。彼女は俺の胸の中で顔を上げ、何かを期待した目で見てきた。
うむ、今日もウチの娘は可愛い。
「うん。ただいま」
自然と娘お姉さんの頭を撫でる。最近になって付けるようになったピンクのヘアピンがキラリと光った。
「えへへっ、パパに撫でられるの、大好き」
娘お姉さんは俺の撫でる手に自ら頭をこすりつけながら、無邪気に笑った。
「パパ! 今日はパパに報告したいことが……あれぇ?」
「ん? どうした?」
「なんかパパから妹の匂いがして、落ち着かないかも」
「えぇ……そんなことある?」
ツンデレ美少女ってそんな特徴的な香りがするような女性じゃないんだけどな。
どんな香りかというのは少し難しい。ただ、一緒に過ごしていて、とにかく心地良い香りではある。
強い香りでも、弱い香りでもなく、無臭でもない。ただ当たり前にそこにあるという、俺にとってそんな印象だ。
「うん、メスの匂いがプンプンしてる」
そう言ったのち、娘お姉さんは何故か先程までより強く甘えてきた。ほっぺたで俺の胸をスリスリしたりなど、とにかく全身で俺の体を隅から隅までこすりつけてくる。
「マジ? 俺には全く感じないんだけどなあ」
「そう? パパは妹の匂いに鼻が慣れちゃったのかな?」
「あー。かも? いやうーん……そうだな。あんまり気にならないっていうのが正しいかな」
常にそこに流れている空気や、普段飲んでいる水。そういうものにいちいち感動しないように、ツンデレ美少女の香りも俺にとって似たような場所にカテゴライズされているのだろう。
「そっか、そうなんだ――うん、これでよし! 上書き完了!」
「あらら、いつの間にか娘にマーキングされちゃったのか」
なるほどね。さっきまでのは甘えていたのではなく、香りを上書きしていたのか。
「ねえ、パパって妹のこと、好きなの?」
突如、娘お姉さんから平坦な声でそう告げられた。
「うん、好きだよ」
「どれくらい?」
「どれくらい、かあ。うーん、難しいなあ」
「………」
娘お姉さんはやけに真剣な目で俺の目をじっと見ている。ここで誤魔化したりするは許してはくれなさそうだ。
ただ、俺は現状その問いに対して、明確な答えを持っていない。それでも無理やり言葉にするのなら……
「そうだなあ。友情も感じているし、尊敬もしてるし、異性としてもめちゃくちゃ魅力的に思ってるし……とにかく、幸せになってほしいし、できることなら俺が幸せにしてやりたい気持ちもある。って感じ、かな?」
「それは……どうなんだろ?」
どうなんだろ、とはなんだろう?
「うーん、私が聞きたかったのは――」
と、ここでツンデレ美少女の足音が聞こえてきたからか、娘お姉さんは口をつぐんで気配を消した。
ほむほむ。そうめんを持ってきてくれたんだな。
……そうだ、いいこと考えた。
お腹にしっかり力を入れてっと。
「いやあー、俺ってツンデレ美少女のこと、めちゃくちゃ愛してるわー。まじビッグラブでさあ! ……あっ、ヤベッ! もう扉の外に来てるのー!? どうしよっ! 俺の内なる秘めた想いが本人に聞かれちゃったかも!?」
「……そんな棒読みの演技で言われても、全く嬉しくないわよ。ほら、そうめん置いておくから」
「へーい」
俺はツンデレ美少女が帰ってしまう前に扉をそっと開け、大げさにウインクして感謝の意を示す。
「……ふん」
俺のラブコールを真面目に受け取らず、くるりと身を翻し、ツンデレ美少女は自分の私室へ帰っていった。
その頬がほんの僅かに赤くなっていた気がしたのは、おそらく俺の願望が見せた錯覚だろう。
俺はそうめんがたっぷり乗せられたお盆を手に取り、部屋へと持ってくる。
我が家のようにめんつゆとそうめんが別のお椀に入っているのではなく、それぞれのそうめんが乗ったお皿に、直接めんつゆがぶっかけてある。同時にネギとツナマヨが豪快に上から乗せられている。
なるほど、これがツンデレ美少女の家庭の普通なんだな。
「むぅー」
「ん? 娘よ。そんなにほっぺを膨らませて、どうしたんだ?」
「だってぇ……なんでもない! パパのバカ!」
「いた……くはないけど、くるぶしを蹴らないでくれ。ほんと、姉妹そろって俺のくるぶしがそんなに憎いのかよ。くるぶしが凹んだら責任取ってくれよ?」
ツンデレ美少女は力が強いので一撃が重いが、娘お姉さんは虚弱なので蹴りの威力が弱い。でも、何故か連打してくる。
「分かった。じゃあ、女の敵であるパパのくるぶしを頑張って凹ませて、娘の私が責任取るからね!」
「ちょ、痛い痛い! 連打によって痛くなってきた! やめれー!」
「パパのくるぶし、全然凹まない……力が欲しいっ!」
「そりゃそうだって! 実は俺のくるぶしは、ただの骨なんだって! ゲームのコントローラーみたいに、ボタンになってないの! 痛いっ!」
「……あっ、なんか今、背筋がゾクゾクした。なんでだろ、パパを蹴るの、すっごく楽しい。えへっ、えへへへへっ」
「ヤバいっ! うちの娘が何か変なのに目覚めたかも! 戻ってきてくれ! そこまでいくともうセクハラだって!!」
「そんなこと言っても、全くセクハラって思っていないことは表情でバレバレだよ! 実はパパも楽しんでるでしょ?」
「ぎくっ! 何故分かった!?」
「えへへっ、パパの一番素敵なところは、女の子のセクハラのラインに関して、やたら懐が深いところだもん。男の子と目を合わせただけでセクハラになる時代に、パパみたいな人がいてくれて本当に嬉しいの。生きていることを“許された”みたいで、本当に息がしやすいんだ」
「………あう、そっか」
なんか……なんだろう。
今の娘お姉さんの何気なく言った言葉が、妙に俺の身体にするりと入ってきた。
……そっかあ。セクハラって言葉に囚われて、「全てが悪いもの」と思い込んでいた。
けど、そうじゃないんだ。
俺の中ではセクハラのラインがかなり緩い。そりゃそうだ。俺には前世の感覚もあるんだから、この世界の基準とズレてるのは当然なんだ。
そもそもセクハラなんて「された側がどう思うか」が大事なんだから、この世界の基準に合わせなくてもよかったんだ。俺がコミュニケーションの範疇だと思えば、それが基準だ。
セクハラのライン、ね。
これからはそういうのも考えていかなきゃいけないな。
それで、ライン越えのギリギリまできたらデコピンして警告。それでも止まらずラインを超えてくるようなら……
うん、そこまでいけば、毅然とした態度で法律の力に頼らせてもらおう。
「娘よ、俺がまるで気づいていなかった良いことを指摘してくれた。褒めて遣わす!」
「あれ? パパ……ちょっと照れてる? もしかして、パパにMっ気が目覚めた?」
「違う!」
このラインは……全然セーフ。
でも、ちょい恥ずかしいから、照れ隠しに軽くデコピンしてやろ。
「痛っ」




