第八十六話 歯医者
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
この世界では翼君は歳を取らない。じゃあ、翼君の母は歳を取るのだろうか。
その辺りの話を昨日宇宙人美少女からちらっと聞いたのだが、『えっとね、目が覚めるほど美女でー、すっごく若く見えてー、色んな世界を股にかけていてー、裏の仕事をしていてー……あっ、これは言っちゃあダメなやつだった!』とかなんとか。
おいおいおい。
もうこのことに関してはあまり詮索しないでおこう。この平和な世界で「裏の仕事」とか初めて聞いて、怖いし。
俺、突然消されたりしないよね? 本当に触りしか聞いてないから、大丈夫だよね?
……ま、悲観しすぎてもしゃあないか。こんなので消されるなんて、自分にだけ隕石が当たるレベルの理不尽だし、考えるだけ無駄だな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
今日は土曜日。普段なら朝から昼までみっちり練習なのだが、母の都合で急遽練習がなしとなった。
母にこうして急に謎の用件が入るのはよくあること。大人には色々あるのだろう。
急に予定が空いた俺は、定期検診として歯医者に来ていた。
小さな頃ここの先生に優しくされて嬉しかったこともあり、俺が昔から通っている歯医者だ。
扉を開き中に入ると、外気とは違う清潔な香りが鼻腔に広がった。
緑色のスリッパを履き、もう一つの扉を開く。
「……おん?」
今日も待合室には数人程度しかいないなー。癖が強い先生だから、流行らないんだぞー。なんて呑気に考えながら目に入ってきたのは、よく見知った顔。
「……あら、奇遇ね」
「そうだな」
ラフな私服姿のツンデレ美少女がそこにはいた。
「………」
俺はとりあえず受付を淡々と済ませ、ツンデレ美少女の隣に座った。
「ねえ泰平。なんでわざわざ私の隣に座るのよ。他にいっぱい空いてるじゃない」
「別にいいだろー。待ってる間、暇なんだから」
「まあ、そうね」
「「………」」
あれ? 学校や喫茶店、登下校中とかなら気軽に話せるのに、今日は上手く会話が弾まない。どんなトーンで、何の話題を出せばいいんだっけ?
それに、なんだこの謎の緊張感。思わぬ場所で会ったってだけなのに、なんか変な感じだ。
俺は座り直し、改めてツンデレ美少女と向き合ってみる。ツンデレ美少女は頬をポリポリとかき、所在なさげにしている。彼女も俺と同じように、少し落ち着かないのだろう。
(そういえば……)
久々にツンデレ美少女の私服姿を見た気がする。
白のシンプルなスニーカーに、少し色落ちしたデニムパンツ、淡い水色のインナー、薄いグレーのUVカットパーカー。
本人的には相当気合の入っていない格好だろう。
それなのに、俺は不思議と彼女にいつもよりも女性らしさを感じていた。
普段のツンデレ美少女は、少し自分を大きく見せたがるところがある。制服の袖をまくったり、スポーツバッグをラフに肩へかけたりと、何かとカッコつけがちだ。
幼馴染の俺にはそれが背伸びだと分かっているのだが、困ったことに、彼女のそんな仕草はやけに様になっていた。
(きっとそういうイメージの積み重ねで、かっこいい女性って印象が俺の中にあったんだな。でも、今日の無防備な姿にはそういうのがない。だからぐっときたのかなあ)
「……何よ」
俺がツンデレ美少女の私服姿を見続けながら、ぼんやりと考え事をしていると、俺を少し非難するようなニュアンスでそう言われた。
「いや、そういう格好も可愛いなって見惚れてたんだよ」
「はいはい。恥ずかしいから、あんまり見ないでくれる?」
「へーい。す◯んこすま◯こ」
「……はぁ」
「「………」」
なんでだろ。やはり微妙に会話が続かない。
なんか俺、ちょっと緊張している? さっきからずっと視線の置き場所が定まらない。
理由は分からないが、今日の俺はツンデレ美少女を異性として意識しすぎているみたいだ。
「なんか……」
俺は続きを言いかけて、やめた。
「何よ。気になるじゃない」
「いや、本人に直接言うことじゃあない気がしてさ」
「はあ? 泰平がそんなことを気にしてるの? 普段から教室で堂々と『脇の毛の処理が甘い』とか『後ろから見るとブラがスケスケだぞ』とかクラスメイトに言っちゃうような、あなたが?」
「それはさあ。別にしゃあないじゃん。思っちゃったんだから、つい言っちゃうんだよ」
「なら、私にもためらわずに言いなさいよ」
「……だなあ」
まあ、言っちゃうかあ。
自分でもなんで言いたくなかったのか、よく分かんないしな。
「なんか今の俺達、両片思いの思春期の男と女みたいだなって」
俺がそう発言した後、0.0001秒だけ、時が止まった気がした。
「……ふっ、バカじゃないの?」
「ほら、鼻で笑われた。だから言いたくなかったんだよ」
なんか知らんが、ちょっとだけ耳が熱い。なんでだろ。
「ふふふっ、まあ、私のあまりの可愛さに、泰平が一時の勘違いをしてしまう気持ちも分からなくないけどね」
「うっせ。お前こそちょびっとだけ緊張してただろ。俺の内側から溢れるオスっぷりに、メスとしてひれ伏したくなったか? おん?」
「はあ? そんな訳ないでしょ? バカ」
何故か俺の言葉を一蹴されたことにムカついて、俺は咄嗟に言い返してしまう。
「バカはそっちじゃ。昔、【医師も推薦!】って決まり文句のことを、【意思も推薦!】だと思ってたくせに」
「ちょっと。昔のことを持ち出すのは卑怯よ。それを言うなら、あなただって昔、人知れず自転車を両手を離した状態で運転して、がっつりコケたことがあるくらいバカなくせに」
「ちょ、なんで知ってるんだよ! それを言うのなら、ツンデレ美少女は【驚き価格】って決まり文句の意味を、『高すぎるってことよね?』なんて言ってたくせに!」
「……そ、そんな昔のことは覚えてないわ。それを言うのなら、小学生の頃の泰平、カッコつけて足を組もうとして、足をつったことがあるくせに!」
「おいおい。なんで必死に我慢して誤魔化してたのに、そんなこと知ってるんだよ! それを言うのなら、ツンデレ美少女は【骨粗しょう症】のことを、【骨素数症】だと勘違いして、骨が素数の数になる病気と思ってたくせに!!」
「その勘違いシリーズやめなさいよ!! なんでそんなこといちいち覚えてるのよ!!!」
「そっちこそなんで俺の知られざる過去を知ってるんだよ!!」
「「はあ……はあ……」」
息を整えているうちに、なんだかおかしくなってきた。
どうして俺達はこんなことでムキになっているのだろう。
どっちもバカで、どっちもそれを補うために努力してて、どっちもお互いのことを大切に思っている。そんなこと、分かりきっているのにな。
「「ふふふっ」」
カラッとした笑い声が重なった。
「あっ、ツンデレ美少女が俺にだけ笑顔を向けるの、久々に見たかも。やっぱお前、ゾクゾクするほど可愛いな」
「でしょ? あなたも能天気に笑っている方が、あなたらしくて素敵よ。泰平は笑ってると器が大きく見えて、周りの女性を素直にさせるんだから、ずっと笑っていたほうがいいわ」
「それはツンデレ美少女もだからな。お前が笑ってると、明らかにその場所の輝度が上がるもん」
「それは言い過ぎよ」
気づけば少し前まで気まずかったことなんて忘れ、俺達は笑い合っていた。
「そういやこれをずっと聞きたかったんだけど、ツンデレ美少女が雑な告白をした後、どうなったんだ?」
「後日、ちゃんとした告白もしたわよ。同時に『今決めてほしい』と、壁ドンと顎クイしながら返答を迫ったわ」
「やるじゃん。で、結果は?」
「別に普通よ。どれだけ迫ろうが、お決まりの言葉で振られて終わり」
「たはー、ツンデレ美少女の本気の告白を振るとか、信じられないなあ」
「ふふっ、でも、私は後悔していないし、諦めるつもりもないわよ」
「いいね! その調子だ! 言っておくけど、俺はお前に一番幸せになってほしいから、これからも恋のサポートは陰ながらさせてもらうからな」
「いらないわ。あなたって的外れなサポートするのだもん。前のテストの時、赤点回避してビンタをおねだりしたら、すっごく引かれたんだからね」
「ははっ、ワロスワロス」
「ムキーッ! 何よその言い方! 振られたのはそんなサポートをしたあんたのせいでもあるんだからね! もう!」
ああ、楽しい。楽しいなあ。
「でも、俺ほど恋のキューピット役が似合う人なんていないぞ。だって、俺はどんな状況になっても、ツンデレ美少女だけは見捨てることはないからな。高校だけじゃなく、大学でも、社会人になっても――」
仲良くしゃべっていると、ふと、いやーな視線を感じた。
視線を感じた方に首を向けると、そこには俺達のやり取りをじーっと見ていた歯医者の先生が佇んでいた。
目が合うと、意地悪そうにニヤニヤ笑いながら、謎に羽織っている黒のマントをバサリと広げた。
「フハハハハ! お前ら、仲がいいのはいいが、少し声が大きいぞ! もっとやれ!」
この歯医者の先生、腕はいいんだが……何故か真っ黒な白衣(?)を着て、魔王様みたいなロールプレイを普段からしてるんだよな。
そんなんだから子どもがビビって、流行らないんだぞ。
「よーし! お前ら二人まとめて相手してやろう! どうせお前ら、無駄に健全な歯の持ち主だろうからな! フハハハハ!」
とは言いつつも、結果、丁寧に一人ずつ診察してくれた。虫歯などの問題は一切なく、お互い「健康すぎてつまらん」と、理不尽な評価を下されたのだった。
その後。しっかり約束をしたわけではないが、それでも俺達は互いの診察が終わるのを待ち、当然のように同じ歩幅で、同じ場所へ歩き始めた。




