第八十二話 気だるげ宅
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
たまーに「調子に乗ることは本当にいけないことなのか」だとか「プライドが高いというのは悪口で使われがちだが、いいことではないのか」といったテーマで、思考が支配されることがある。
別に考えようとしているわけでもない。勉強からの逃避中や、合同基礎練習で走っている最中など、決まってそういう時だ。
割と直感的に生きている俺としては、こういうお前が考えそうなことを頭に思い浮かべるのは珍しいことだ。
こういうのがふっと降りてくるということは、普段から俺はそのようなことを無意識的に考えているのだろうか。それとも、昔どこかで聞きかじった記憶が急に引っ張り出されただけなのだろうか。
俺はゼロからそんなことを思い浮かべるタイプじゃない。ただ、人間の脳なんて思いもよらない場面で色々思いつくものだ。
うーむ……
まあ、どちらにせよ、だ。
その時の俺が直感的に正解だと思ったこと。それが俺の中の決定的な一つの答えだ。
つまり、今の俺の答えは「やっぱりそんなこと、くっそどうでもいいや」となる。
さて、今日も日々を全力で淡々と生きていこう。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
今日は朝から気だるげの家の前まで来ていた。
気だるげ――過去の俺が女性全てが苦手となるきっかけとなった人であり、最近わだかまりが解けたクラスメイトだ。わだかまりといっても、俺が一方的に怖がって避けていただけだがな。
まともに話せるようになってから、俺達はラインでちょくちょくやり取りするようになっていた。
内容は大体気だるげの飼っているペット自慢で、ニシキヘビのザギ丸や、シナワニトカゲのザギ助の写真。他数種類の飼育している爬虫類の可愛い写真が送られてくる。
爬虫類には造詣が深くなかったのだが、トゲトゲしている見た目から繰り出される案外チャーミングなしぐさに、すぐにメロメロになった。
そんなタイミングで『実際に見てみませんか?』とメッセージが来たので、気だるげの家へ来たというわけだ。
インターホンを押すと、少し眠そうな表情をした気だるげがすぐにやってきた。もう朝の十時なのにも関わらず、目元をくしくしとこすっている。
「泰平君、おはようございます」
「おう、おはよーさん。入っていいか?」
「ええどうぞ」
「おじゃましまーす」
気だるげに部屋に案内されたのち、「あっ、お茶持ってきますね」と部屋を出ていった。
椅子や座布団がないので、気だるげが寝ていたであろうベッドに腰掛けながら、ぼーっと帰ってくるのを待つ。
ベッドがまだほんのりと温かい。さっきまでここで寝ていたのだろう。
(にしても、部屋着の気だるげ、可愛かったな)
気だるげはオーバーサイズのTシャツに、セットアップのショートパンツを着ていた。猫っ毛ロングの髪をゆるく後ろでまとめているのも合わさって、破壊力は抜群。
あのなんとも言えない無防備感は、全男が好きなやつだ。
「おまたせしましたー」
「おう、ありがと」
気だるげは市販のペットボトルの緑茶を二本持ってきた。冷えたペットボトルの一本をベッドの下の地べたに置き、気だるげも俺の隣に座った。
それから、俺の座っている場所の隣にピッタリとくっつき、コテンと俺の肩に首をしなだれかかってきた。
「え、えっと……」
「………」
俺がどうしていいか分からないでいると、気だるげは無言で俺をじっと見ながら、俺の手の上に自分の手を重ねてくる。
「………」
それでも何も言わない。ただ俺をじーっと見て、スキンシップを取り続けるだけだ。
「あのー……あんまり恋人でもない人にこういうのはちょっとどうかと……」
「ねえ、泰平君」
「どうした?」
「世の中、泰平君みたいな男の人ばかりならいいのになあ……」
「えと、マジでどういうこと?」
「ううん。なんでもないです」
それから気だるげは本当になんでもなかったようにスキンシップをやめ、一口お茶を飲んだ。
おいおいおい、なんだったんだ。マイペースにもほどがあるだろ。今のやり取りの真意がまったく読めなかったんだが。
……まあいいや、考えても分かんねえし、あんまり気にしないでおこう。
「さて、そろそろ私の飼育部屋に案内しましょうか」
「おう」
手を引かれるように俺は気だるげに隣の部屋に連れて行かれた。
その部屋は湿った土の匂いと、乾いた草の甘い匂いが漂っていた。
部屋全体の照明は少し落とされており、部屋全体にはクーラーが効いている。部屋の隅からサーキュレーターが静かに働く音がする。
気だるげによると、クーラーとサーキュレーターは二十四時間稼働しているらしい。
「私が飼っているペットは、全員ここにいます」
「この壁一面のスチールラックに置いてあるケース、全部がペットなんだ」
「壮観でしょう?」
上段のほうには小型トカゲなど小さめの生物。中段、下段にはカメの水槽や、ニシキヘビがゆったりとぐろを巻ける横長のケースなどが置いてある。
「ん? このコロコロとした音は?」
「ああ、餌用コオロギのコロニーがあるんです。その隣にはミルワームも飼っていますね。レオパやニシアフちゃんの大好物なんですよ」
気だるげはピンセットでコオロギを掴んだかと思うと、「この子が一番食いつきがいいんですよね」と呟きながら、一匹の丸々としたトカゲに餌を与えた。
パクリと口でコオロギを捉えると、すっ、すっ、すっ、と三口くらいで、引っ張るように飲み込んだ。
「かんわいい……」
「でしょう?」
思わず小声で呟く。この独特の食べ方には、どこか癖になる魅力があった。
「ですが、あまり上げすぎるとデブってしまうので、おやつはこれくらいにしておきましょう」
「えっと、いつもはどれくらいの時間に、どんなペースで与えてるの?」
「時間もタイミングも様々ですが、上段の子達は二日に一回、カメ系は毎日、ヘビ系は二週間に一回程度でしょうか」
「ほうほうほう、そんなもんなのか、じゃあさ――」
それから。
感心する俺に、彼女は実際に飼っている者だからこそ分かる「飼育のリアル」を語ってくれたのだった。
「うーむ、飼うとしたら犬一択だと思ってたけど、爬虫類もいいなあ」
「ふふふ、爬虫類沼へようこそ。それにしても、ザギ丸を怖がっていた過去があるとは思えませんね」
「ザギ丸、あの時は怖がってすまんなあ。よく見たらこんなに可愛いのに、申し訳ないことをしたわ」
「でも、男性で爬虫類が平気な人って、かなり珍しいですよ。大抵の男性は餌用のコオロギやミルワームがキモいとわめき、爬虫類達のマット感を苦手とする生き物ですもん」
「まあ、その気持ちも分かる。俺も気だるげに教えてもらうまで、あんまり得意じゃなかったから」
「何にせよ爬虫類クラスタ仲間ができそうでよかったです。今度クラスタ仲間と即売会へ行きませんか? 数千匹の爬虫類が並ぶ姿はなかなか壮観ですよ?」
「うん、是非誘ってくれ」
「はい!」
突然、地べたに座り込んでいた俺の背中に、彼女が吸い付くように優しく抱きついてくる。そのまま、体を丸ごと預けてきた。
背中に感じる柔らかい感触に動揺しつつ、なんとか言葉を紡ぐ。
「……えと、気だるげって翼君が好きなはずだよね? こんなことして――」
「ねえ、泰平君」
俺の言葉を遮り、気だるげは甘えの混じった声色で俺の瞳を覗き見る。
「今日、ずっと思っていたのですが……」
「……?」
「泰平君って、警戒心がなさすぎませんか?」
「……おん?」
彼女が醸し出す甘く妖艶な雰囲気と、予想外の言葉によるズレ。
思わぬ角度からの言葉に、自然にこもっていた熱がスンと冷めた。
「だってですね。今まであんなに避けていたのに、少ししがらみが解けた程度でホイホイ家まで上がり込んできてしまうんですよ。そんなこと、普通の男の子ならありえませんよ」
「ああ……確か、に?」
言われてみれば、こういう所が俺の悪い癖だ。今まで首輪や周りの人に守られていた癖が抜けていない。せめて大学へ行くまでにはこの悪癖は直さないとな。
「でもさ、やっぱり、気だるげってどう考えても翼君が好き――」
気だるげは、俺の口を人差し指で直接黙らせた。
どうしてもその話を俺にしてほしくないらしい。
「そんなに無防備なら……」
そこで一度言葉を溜め、俺の耳元に口を寄せる。
「つまみ食い、しちゃいますよ?」
たっぷりと愛欲のこもったセリフを、脳に直接注がれた。
一瞬だけ思考が真っ白になり、心臓が大きく高鳴る。
「……って、つまみ食い? つまみ食いって言った?」
「はい、つまみ食いです。泰平君は“つまみ食いご飯”としては、特上じゃないですか。ずっとそう思っていたんですよねえ」
「………」
「だから、ね? 私と浮気、しましょ? 手始めに、キッスの練習でもしませんか?」
あー、なるほど。
こいつ、貞操観念がぶっ壊れているタイプだったのか。
いや、壊れていると言うより、貞操観念に正直なタイプってところか。
要するに浮気をどうとも思わないタイプね。この世界の女子高生としてはかなり珍しい。
なるほど、なるほど……
前世でも浮気が当たり前のように蔓延っていたことや、ここでは男女比が偏っているから、分からないこともないよ?
でもさ……
「痛いっ!」
俺は気だるげのおでこに、強めのデコピンを食らわせてやった。
そんな世界だからこそ、泥臭く誠実さを貫くことが大事なんじゃないか。
「はあー。ったく、そういうの良くないぞ。もっと自分と俺を大切にするように」
「むー。泰平君は翼君と好みが似ているので、イケると思ったのになあ……あざとくて無防備な女子、好きですよね?」
「あー、うん。正直ぐっときた」
俺と主人公君の好みが似ている、かあ。地味に初めて言われたが、確かに的を射ているな。
こいつ、ぼーっと生きているように見えて、なかなかの観察眼をお持ちだ。
「でしょー。玄関で私の寝巻きを見て、目がぐっと開いたのを見た時から、『チョロ』って思ってました」
「ほぉん。そうかそうか。もう一度デコピンをくらいたいようだな」
「す、ストップストップ! 泰平君のデコピン、やけに痛いのでやめてください! 興奮が覚めてしまうんですよ!」
なるほど、なら、これからは必要以上に女性にアプローチされたら、デコピンして身を守ろう。それがいい。
泰平は、武器を手に入れた!
てことで……
「痛いっ!」
こういう邪な方向に調子乗る奴には、成敗するに限る。




