第八十一話 元気っ子を抱きしめたい
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
あまり俺は他のクラスや一年上、下の人達と交流することがない。交友関係が狭く、今まではクラスメイトと柔道部のみんなくらいとしか関わってこなかった。
それには特に理由はなく、狭い範囲でとにかく楽しもうとする俺の性質が由来しているだけだ。
だが、最近では運動部と交流することが増え、他クラスの同級生や後輩と関わることも増えた。
そこで改めて実感したことがあるんだ。
二年A組。主人公君の所属するクラスの女子は、他のB組、C組の二年女子達と違い、明確にキラキラと輝いている。放つオーラ、雰囲気が一段上レベルで魅力的なんだ。
薄々思っていたことだが、やはり二年A組に所属できるかどうかは運ではないと思う。
二年A組になれる女性は、主人公君が選んでいるのか。はたまたそうなるのが世界のルールなのか。先生方が魅力的な女性をあえて選んでいるのか。それとも本当はただの運で、主人公君の近くにいることで魅力が増しただけなのか。
色々な仮説が思い浮かびはする。
俺はなんとなく、「それがこの世界のルール」派の考えだ。
でもなあ……それが真実だとしたら、絶対に元気っ子後輩は来年二年A組になるんだよなあ。あいつ、明らかに飛び抜けて可愛いし、魅力的だもん。
はぁ。やだやだ。やだなあ。今更元気っ子後輩を諦めるなんて、俺にはどうしても無理だぞ。
俺はとっくにあいつの魅力にやられている。心の奥深く、脳の奥深くまで根深くやられている。全身の細胞があいつを求めてやまない。
もしかしたら主人公君と恋のライバルになるかもしれない。そんな未来を考えると気が滅入るが……その時は俺なりに全力で戦わなきゃなあ。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
柔道部の練習中。受け身の練習と打ち込みの練習の合間の休憩時間に、元気っ子後輩に声をかける。
「てことで元気っ子後輩よ。今日の俺はちょっとメンヘラ入ってるから、抱きしめさせろ」
「泰平先輩、急にどうしたんですか?」
「うーし、抱きしめるぞー、っておい、逃げるな」
「その前にちゃんと理由を話してください。納得したら私のこの華奢な体を抱きしめる権利をあげますよ?」
元気っ子後輩は俺の目を挑戦的に覗きながら、いたずらっぽく笑った。
小柄な元気っ子は、俺と目が合うだけで上目遣いになる。
今日も彼女はなんの他意もなく、無自覚に、俺の心を簡単にかき乱す。
「……ちょっと待って。元気っ子後輩が納得できるようなストーリーを考えるから――」
「はい、もうだめでーす。嘘をつくような人には、この大切な体を預けることはできません。残念でしたー」
得意げに笑いながら、ぴょんぴょんと小刻みに跳ねて俺をからかってくる。
「オーマイゴッシュ! ジャパニーズ美少女ー、リーサル、オーバーパワー!」
「あはは! 落ち込みすぎてめちゃくちゃ言ってますよ! もう、ほんとに泰平先輩は私のこと好きですねー」
そう言った元気っ子後輩の表情の、なんと甘く無防備なことか。
やはり以前とは笑い方が明確に違う。
そんな幸せそうな表情を浮かべられると、男ならどうしたって嬉しくなってしまうだろう。すでに心を奪われまくっている俺はもちろん致命傷だ。
くっそー、キョトンと無害そうな顔しやがってよお。表情がコロコロ変わるところも可愛いなクソめ。
俺はパンと頬を強めに叩き、切り替える。それから、主将としてみんなに指示を出した。
「よーし、休憩終わり! 次は打ち込みするぞー。各々今日掲げた最低目標、最高目標を忘れないように!」
最低目標、最高目標。俺が主将となってからは、この二つを掲げて練習に挑むことにしている。
俺なりのリーダーシップというものがまだ見つかっていないので、「リーダー論」「強豪運動部が強豪たる所以」などの実用書を読み、真似している最中なのだ。
今はとにかく模索しているが、果たしてうまくいくのやら。
まあ、普通っ子も俺なりのリーダーシップを見つけることに協力してくれているし、ぶりっ子先輩や師範はあえて何も言わず、温かく見守ってくれている。元気っ子後輩もリーダーとして未熟な俺にしっかりついてきてくれている。
そんな最高の環境で情けないことは言ってられない。精力善用、自他共栄精神を忘れず、今の俺にできることを全力でやっていこう。
「おし、元気っ子後輩、打ち込みやるぞー」
「うっすうっす!」
「あとついでに主将命令として、俺に抱きしめられるように」
「さあ、ガンガン体を動かしましょー!」
「無視はいけませんよ! ねえ!」
その後も「もっとこうしたほうがいい」など、柔道についての見識を深めつつ、ちょっとした雑談も適度に加え、打ち込みを続けていく。
「でさあ、俺の主将っぷりは後輩から見てどう?」
「うーん、まあいいんじゃないですかね?」
「だよなあ。可もなく不可もなくって感じだよなあ」
「ですです。でも、何にも困ってはないですし、問題はないんじゃないですかね?」
「いやあ。どうだろ。色々変えたとはいえなあ。ぶりっ子先輩が築き上げた土台の上に乗っかっているだけ感は否めないもんなあ」
「一年上が優秀だと、後輩は大変ですねえ」
「そうだな。そして、おそらく来年主将になるであろう元気っ子後輩は、もっと大変になると」
「なにおー! 泰平先輩ができるのなら、私にだってできます! というか、泰平先輩なんて軽々超えてやりますからね!」
「おおう、言うねえ。でも、新しく後輩が入ってきてくれるか、分かんないんだけどね」
「ですです」
にしても、柔道部は来年どうなっているだろう。
今年の一年生は元気っ子後輩しか入部してくれなかったので、全ては来年の新一年生次第。
俺個人としては、柔道部は永遠に細々と続いてほしいのだが……
ただなあ、あくまで柔道部はヒロイン失格のはぐれ者達の居場所であってほしいんだよ。あまり積極的に人を呼び込みたくない。
とはいえ人が来なければ、来年には元気っ子後輩が一人になってしまうから……
などと、思考が一生ループしている。
にしても、この問題は俺が主将の間に、何としてでも片付けておきたいものだ。
打ち込みが終わり、適度に筋トレと休憩を挟みつつ、どんどん練習メニューを進めていく。
「よーし、次は乱取りいくぞー」
「「「はい!」」」
「よし、元気っ子よ。やろうか。今日は勝たせてもらうからな」
「へへへっ、最近は少しですが私が勝ち越してますから、胸を貸してあげましょう!」
「おう、言うねえ。だが、一時の勝ち負けに目がくらんで、この俺を甘く見ていると痛い目に遭うぞ。そろそろ俺の“リスペクト柔道”が形になってきたんだからな」
「そのリスペクト柔道とやら、勝率悪いじゃないですか。私の得意なフィールドでわざわざ戦うなんていう“弱い柔道”にこだわるようなら、今日の勝負もいただきましたね」
「ふっ、言ってろ。俺は今日もリスペクト柔道にこだわるからな」
別にヤケになっているわけでも、直近の負けに落ち込んでいるわけでもない。今は試行錯誤の最中なのだから、負けを恐れるより勝つための方法を試す方が百倍大事だ。
俺が掲げるリスペクト柔道は「相手に百パーセントの力を発揮させたうえで、真っ向勝負で勝つ」ことを流儀としている。
本来、相手に全力を出させるには相応の実力が要る。そのため、扱いは難しいはずだが、驚くほど俺の体に馴染んでいる。
なにせこれは、普通っ子が俺のために編み出してくれた特別な技だ。
俺自身も気づいていなかった癖を念入りに観察し、深層心理まで見通した上で授けてくれた――言わば、俺専用の必殺技。
まだ俺の練度が追いついていないだけで、ポテンシャルはめちゃくちゃ高い。この理論を磨き上げれば、将来的にぶりっ子先輩にも、師範にだって勝てるはずなのだ。
「なら、もし泰平先輩が勝ったなら、抱きしめてもいいですよ? 絶対に負けませんから」
「よっし! 言ったな? はい言質取った。俺のリスペクト柔道でボッコボコにしてやんよ」
俺達は互いに向き合う。
目が合う。
熱い。相手は見るからに闘志剥き出しだ。
自然と俺の魂が負けじとメラメラ燃えていく。
なんだか、やけに楽しい。
全身にハリがあり、心技体全てが一つのエネルギーの奔流となっていくような。
思考がどこまでもクリアに澄み渡っていく感覚。
――今の俺は過去最高に絶好調だ。
お互い襟を取り、技を仕掛ける。
動きがスローモーションに見える。
いつもは素早くて追いきれないような後輩の動きが、今日は鮮明だ。
あえて隙をさらしてみる。
後輩の目の奥が光る。
予想通り仕掛けてきた。
わずか外側へすっと足を踏み入れ、体軸をほんの数センチずらしてやる。
もう力む必要はない。
最高の仕掛けをいなし、俺が出せる最高の仕掛けで返す。
バォォン!
あっさりとした、だが見事な一本だ。
「ふぅー」
大きく息を吐き出す。
お互いしっかり礼。
まだ元気っ子後輩はぽかんとしている。
最近の成績から考えて、接戦はありえても、ここまであっさり負けることなんて考えていなかったのだろう。
さて、そんなことよりも、だ。
「ふへへ、さあ、元気っ子後輩ちゃぁ~ん。大人しくこっちへおいで~」
手をワキワキさせながら、ニタニタと意地悪に笑う。
「ちょ、泰平先輩! まぐれで勝ったくらいで調子に乗らないでください!」
「おう、ぶっちゃけ今日のはまぐれもまぐれだ。今日のコンディションを毎回出せるのかと言えば、正直無理。だが、それでも勝ちは勝ちだよなあ。と、い、う、こ、と、で〜」
じりじりと後輩に迫り、俺はギュッと抱きしめた。
小柄な元気っ子後輩は、俺の腕にちょうどすっぽりと入る。
おさまりがとてもいい。
ほんのりと甘いシーブリーズの香りがする。
ああ、幸せだ。もうここが俺の終の棲家でいいんじゃないかな。
そうだ、きっと俺は、この日のために生まれてきたんじゃ――
「ぱい! ――先輩!」
「……ん? おっと。幸せ過ぎてちょっとトリップしてた。すまんすまん」
「ぷはー! もう! 私を殺す気ですか!? 息できなかったじゃないですか!」
はあはあと息を荒げる元気っ子後輩。顔が首の後ろまで真っ赤で、涙目まで浮かべている。
「にしても、そそる表情してるなあ」
「うぅ〜、泰平先輩のバカ! 泰平先輩なんて変態、嫌いです!」
「うそうそうそうそ! 嘘ですやん! ね? おねがいだから、機嫌直して! 全部嘘だから!」
その後、俺は後輩の機嫌を直すため、帰りに色んなものを奢った。
ちなみに後日、俺は後輩にあっさり負けた。
あの絶好調モードをいつでも出せるようになるには、もう少し時間が必要そうだ。




