第七十五話 ランチデート
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
翼君には幼馴染という存在がいない。そりゃそうだ、なにせ高校二年生として、一生そこにとどまり続けているのだから。
王道好きな主人公君としては、幼馴染の女性と甘酸っぱい経験を過ごせないのはどうなのだろう。
その点、魅力的な幼馴染の有無だけで言えば、俺は主人公君に勝っているかもしれない。
ぶりっ子先輩は言わずもがな、ツンデレ美少女とも幼稚園時代からの付き合いだしな。
二人ともすっごく魅力的で、俺にいい影響を与えてくれる女性だ。女性が苦手になった時期ですら、母とぶりっ子先輩とツンデレ美少女だけは嫌いになれなかった。
これは幼馴染だからなのか、はたまたこの三人が魅力的な女性だからなのか……うん、後者な気がするな。
ってことは、あんまり俺にとって幼馴染という称号はどうでもいいのかもな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
今日は俺の家に白ギャル先輩が来ている。朝早くから一緒に勉強中だ。
「ねえ泰平、暑いんだけど」
「ねー、白ギャル先輩、今日も暑いですね」
「気温のことを言ってるんじゃなくて……まあいいけど」
言いたいことは分かっている。さっきから俺が先輩に向かって全力で密着しまくっているから、そのことを指摘しているのだろう。
もちろん俺はそんなことは分かった上でとぼけている。
「だってぇー。仕方ないじゃないですかぁー。部活を引退するしぃ、夏休みのせいで全然会えないしぃ……ねぇ? いいでしょぉ?」
「もう、泰平はいつからそんな甘えたになったのよ。キャラ変したの?」
「白ギャル先輩が俺を変えてしまったっす! 責任取ってくださいっす! うっすうっす!」
特に理由はないが、あざとい女子や舎弟系後輩などと、キャラをコロコロ変えてみる。
自然とこんなことをしてしまうのは、知らず知らずのうちに舞い上がっているからかもしれない。
「まあ、考えておくわ」
「えー、先輩、冷たい。もっと俺の相手してください。ほんとに寂しかったんですよー」
「一応今は勉強会なんだから、ダメよ」
「先輩も受験生ですもんねぇ。しゃあない、大人しく勉強しますかあ」
仕方なく俺が離れようとすると、キュッと袖を掴まれた。まるで自然に身体が動いてしまった。それくらいの動きの速さだった。
動きを止め、先輩の瞳を覗き見る。少しタレ目ぎみの目元が愛らしい。今日は涙袋の辺りにほんの僅かにキラキラとしたメイクをしているようだ。
メイクの世界はよく分からないが、可愛すぎて心を掴まれていることだけは確かだ。
俺が白ギャル先輩の様子を見ていると、黒目がわずかに上下に揺れた。
ほんの一瞬、何かを言うか言わまいかと、逡巡したような反応だった。
時間で言えば一秒にも満たない沈黙ののち、白ギャル先輩は唇をぎゅっと噛み締めて言葉を発した。
「ねえ、ホントにやめちゃうの?」
ドキューン! その甘えの混じった上目遣いに、世界の時が止まった。もちろん俺の心臓がとんでもなく高鳴ったのは言うまでもない。
「は? 可愛いんだが? やめませんが? 一生このままですが?」
「ふふっ、なんでキレ気味なのよ」
「こんなのキレなきゃ正気を保ってられませんって。先輩って俺の理性を溶かすことにおいては、まごうことなき天才ですね」
「なによそれ。変なの」
あー、何にも食べてないのに、口の中が甘え。青春だ。これぞ青い春だ。
「ねえー、もう一生このまま二人で勉強してたいんですけど! 俺は部活があるってのに、行きたくなーい! 今すぐ駆け落ちしたい!」
「もう、今日の泰平はわがままっ子ね。それに、そうは言いつつ部活にはしっかり行くんでしょ?」
「そりゃそうですけども。俺、一時のノリに任せて通すべきスジを通さないのとか、あまり好きじゃないですからねえ。そんなことばっかりしてたら、人間として終わっていきそうですもん。あー、そうは分かっていつつも、今日だけは人間として終わりてー」
「泰平って部活大好きっ子なのに、珍しいこと言うわね」
「今が幸せすぎるのが良くないんですよ。なんかなあ。宙ぶらりんの関係ってもっともどかしいのかと思ってたのに、幸せすぎて辛い」
これが俺の素直な気持ちだ。別に疑似結婚式をしたからといって、あれは俺の一方的な宣言に他ならない。いわば告白して、返事待ちの状態といえる。
それでもこれだけ幸せなのは、白ギャル先輩が俺の気持ちにできる限り誠実に応えようとしてくれるからだろう。
俺が好意をダダ漏れにして伝えると、白ギャル先輩の全身から態度で反応してくれる。お互いに心と心を通わせ合うことに抵抗がない。その事実がどうしようもなく俺を幸せにする。
「もう、バカね。ほら、そろそろ勉強を再開しましょ」
「はーい」
それから俺達は一時間半ほどガッツリ集中して勉強に明け暮れた。
こういう切り替えの速さこそ、俺達が秀才たる所以かもしれない。
「さて、そろそろお腹も空いてきた時間ですし、ちょっとしたランチデートと洒落込みましょうか」
「ふふっ、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
普通っ子が俺が他の女性に愛情表現をコンプリートしているように、白ギャル先輩にも野望のようなものがある。
『あーしはユウカよりももっと欲張りだよ。前世を含め、泰平が経験した“人生の引き出し”にある素敵なもの、全部あーしに味あわせてほしいの』
要は俺の人生経験をフル動員して、楽しませてみろとのお達しだ。
幼馴染でも、俺の同級生でもない白ギャル先輩は、俺の過去をそこまで知らない。だからこそ、これから始まる未来くらいは、誰よりも楽しみ尽くしたいとのこと。
「ふふふ、欲張りな白ギャル先輩のために、ちゃんとリサーチしておきましたよ。今日行くところはちょっとした背伸びご飯です」
「背伸びご飯?」
「はい。俺みたいな庶民派の男や、若者では普段は決して行かないような、ちょっとおしゃれ感強めの店ってことです。でも、ちゃんと値段はランチ限定でリーズナブルですから、安心してくださいね」
まだ学生である俺達には、驕り合うことをあまりよしとしていない。そうやってカッコつけたい気持ちも少しはあるが、そういうのはお互いがもう少し大人になってからでいいだろう。
俺はスマホを操作し、店の詳細を見せる。
「この店です」
「あー、確かにこれは背伸びご飯だね。高校生がこんな雰囲気のあるバーになんて行けないもの」
「でしょ?」
俺が今日行こうとしている店は、夜は少し敷居の高いバーをやっているが、昼には宣伝としてランチをやっている店だ。千円以内で高そうな料理を食べられるので、おそらく利益率をギリギリまで抑えてくれているのだろう。
夏休みに入るにあたって、こういう「夜は高級店で、昼だけリーズナブルな店」を何個かピックアップしておいた。
白ギャル先輩とはお昼を食べに行くデートを夏休み中に何度か重ねるつもりなので、二回に一回くらいはそういう店に行く予定だ。
俺達は自転車を漕いでその店に向かった。
店の場所に着き、ランチ営業中と看板がぶら下がっている木目調の扉を開き、中へと入る。
「いらっしゃいませ」
女性としては少し低めの声のお姉さんに案内され、カウンター席へ着く。女性のことをこう表現するのはあれだが、「ジェントルマン」みたいな雰囲気のある人で印象が良い。
店内は小さく、カウンター席が十個と、テーブル席が一つしかないようだ。間接照明が店内を優しく照らし、心地よい薄明かりに包まれている。バックで流れているBGMがやけにジャジーだ。
なるほどこれが大人の世界の片鱗か。ランチ営業でこれなら、夜はもっと雰囲気があるんだろうな。
「うん?」
……今、俺の茶色の首輪を見たマスターが、獲物を狩るハンターのような目になったような?
「気の所為か」
一度まばたきした間に、もうジェントルマンのような品格ある表情に戻っている。
俺の直感からすると、確実にさっきのは気の所為ではない。だが、ちゃんと取り繕うプロ根性が嬉しかったので、見逃してあげよう。
俺達は二人とも「自家製デミグラスの煮込みハンバーグプレート」を頼んだ。
なんとランチ営業ではメニューはこれだけだ。一品しかないからこそリーズナブルな価格で提供できるのだろう。
おしゃれな空間に身を任せながらいつもより小声で会話を楽しむ。
薄暗いライティングに照らされた先輩の横顔と、健康的な太もも。たった一歳しか年上でないとは思えない色気に、少しくらっときた。
どうもこの空間は白ギャル先輩をいつもより大人に見せるらしい。
「おまたせしました」
すぐに料理が来たので、提供された料理をゆっくり食べていく。
肉汁溢れるハンバーグはもちろん、自家製デミグラスソースがやけに美味しい。奥深くも角がない優しい味がして、いくらでも食べられそうだ。
和やかな雑談を交わしつつも、食べ終わったらすぐに退店した。
本当はもう少し居たかったが、店の外で待っている客が数名いたので仕方ない。
「おいしかったわね」
「そうですね。それに、店の雰囲気もよかったですね」
「ええ、もう少し大人になったら、夜にあの店に行ってみましょ」
「はい!」
先輩から未来の話をされるのってすっごく嬉しいんだよなあ。
「あ、そうだ。白ギャル先輩、もうちょい食べたい気分なんで、ちょっとコンビニ寄ってもいいですか」
「ええ、いいわよ」
俺達はコンビニに寄り、ホットスナックのチキンを買って食べた。
最後にジャンキーな味で台無しかもしれないが、高校生なんてそんなものだ。
さて、このまま俺の家に着いたら、白ギャル先輩とお別れだな。
「じゃあ、お互いがんばりましょうか」
「そうね。じゃあ、またね」
「はい、また今度俺から誘いますね!」
俺は遠くなっていく先輩の背中が見えなくなるまで、目一杯手を振った。
「……さて、と」
満足するまで手を振ったのち、ダダダッと自室へ向かう。
「むふっ」
扉を開け、自室のベッドに飛び込み、即座に枕に顔を埋めた。
「(うがああああああ!!!! 白ギャル先輩、可愛すぎだろ!!!!)」
魂から出た叫びを枕に受け止めてもらい、自身を少し落ち着ける。
「うひ、うひひひひ。やべ、ニヤケが止まらん。部活までにしゃっきりしないと」
さて、次のデートはどこへ行こうか。
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