第七十四話 合同練習
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
これは自分でも知らなかったんだけどさ。
好きな人が歯磨きをしている仕草に、妙にキュンと来てしまった。
自分の性癖はとことんノーマルだと思っていたのだが、まさかこんな変わったフェチがあるとは……
しかも、それが発覚したのが心が読める普通っ子だというのだから、たちが悪い。
今朝はものすごーくニヤニヤしながら、見せつけるように歯磨きされたよ。
そして、多分白ギャル先輩にも、ぶりっ子先輩にも俺のフェチは共有されるだろう。
別に俺個人としては性癖を暴露されること自体は嫌ではないのだが、これは普通じゃないフェチだけに、妙に気恥ずかしいんだよ。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
今朝は普通っ子とちょっとしたデートを繰り広げた。
ランニングが終わって、朝ごはんを食べた後、近くの公園に行ってフリスビーでキャッチボールし、近くの図書館で一緒に勉強し、お昼前に普通っ子の家に送り届けた。
こんな風に、普通っ子とは「特段話すようなことでもないちょっとしたデート」をして過ごすことが多い。
日常の延長線上のちょっとしたデートなので、刺激は少ない。派手さはないし、小さな幸せを噛み締めるようなデートでしかない。
それでも、心の奥底から暖かくなるような満足感に満たされる。それでも、溶けるように時間が流れていく。
そうした時間を過ごしていくにつれ、元々可愛すぎるくらい可愛かった普通っ子が、よりキラキラと可愛くなっていく。もしかしたらこの世界の女性は、愛されることによってどんどん可愛くなっていくのかもしれない。
とにかく、普通っ子とは一生こうして過ごしたいものだ。
まあ、だからといって派手でドラマチックではないデートを計画していないわけではないがな。特別なデートだって別腹なので。
さて、今日の合同基礎練習は、野球部とだ。
野球部には特段親しい人はいない。クラスメイトで言えば外部生の「女騎士」と「人外娘」が所属しているのだが、この二人とはほぼ話したことがない。
この機会に少しでも仲良くなれるといいな。
「野球部のキャプテンは女騎士なんだな。今日はよろしくな」
「ああ、よろしく頼む」
俺達は固い握手を交わした。少し豆ができていてゴツゴツとしていつつも、柔らかいところは柔らかい、いい手だ。
「「………」」
うむ、会話が続かない。なんだかちょっと気まずいな。
こういう時は俺からガンガン話題を振ることが多いのだが、さて何を話しかけようか。
あまり話したことがないとは言え、クラスメイトではあるのだ。何にも取っ掛かりがないわけではない。
それに、俺は女騎士が纏う清らかな雰囲気は嫌いではない。なんだか一緒にいるだけで癒されそうな女性、というのが俺の認識だ。
この辺りの印象をきっかけに会話を広げていけばいいかな。
などと、俺が少しの間逡巡していると。
女騎士の目があちこちに泳ぎ、茶色の首輪に視線が固定され、また目があちこちに泳ぎ始める。最後には顔がどんどん赤くなっていった。
……ふぅん。なるほどねぇ。
その反応を面白く思った俺は、女騎士の手の甲を包み込むようにもう片方の手で添えた。
それから、意味ありげににやにやと笑ってみせる。
「ゴクリっ」
おいおい、こいつゴクリって口で言ったぞ。珍しい反応をするやつだ。
「と、とにょかく今日はよろしく頼む! では!」
真っ赤になった女騎士は、強引に俺の手を振り切った。
それから、「私の浮気者! 私は翼が好きなんだああ!!!」と叫びながら、逃げるように野球部メンバーの元へと集まっていったのだった。
へえ、女騎士とはほとんど話したことがないので知らなかったが、なかなか面白い奴なんだな。正直気に入ったわ。
そう思いながら走る女騎士を眺めていると、突如なにかに気がついた表情を浮かべたかと思えば、ばっとUターンしだした。何故か知らないが、野球部女子達から全力で逃げ出しているように見える。
野球部女子達も、鬼の形相を浮かべて女騎士を追い始めた。
その後、結局逃げ切れずに捕まり、全員からもみくちゃにされ始めた。
「くっ! 殺せ!」
「お望み通り殺してやるよぉ!」
え? ん!? 突然女騎士が野球部女子達にタコ殴りにされ始めたぞ? どうしたどうした?
野球部顧問の先生も「ああ、また始まったよ」みたいな呆れた目で見るだけで、止めようとしない。
それから野球部女子達は、女騎士の手の甲に鼻を近づけてクンカクンカしたり、ちゅーしたり、スリスリしたりし始めた。
「キャプテンだけいい思いしてズルいぞ!」
「そうだ! 私達にも男を分けろ!」
「このむっつりスケベがよぉ! 鼻の穴ふくらませやがって! お前ら! この膨らんだ鼻に砂をツッコんでやれ!!」
「キャプテンは前にも翼先輩に事故で胸を揉まれてただろ! あの時からズルいと思ってたんだ!」
「キャプテンみたいな無口で真面目なだけの女がモテるのだけは許さんからな! キャプテンは一生独身で苦しみ続けてくれないと!」
「ねえキャップ? 泰平先輩ってやっぱり清楚系ビッチでしたっしょ? あの薬指の長さは絶対にビッチですって!」
おい最後のやつ、誰が清楚系ビッチじゃ。
さて、最後のやつは置いておいて、もしかしてこれは……
そんな風にあの集団を呆れた目で見ていると、野球部の顧問が俺の元へ近づいてきた。
「泰平君。すまんなぁ。ウチの野球部、男に飢えたバカばっかりなんだ。だが、男の目があると超露骨にパフォーマンスが上がるタイプの子達だから……大目に見てくれると助かる」
「ああ、そういう」
なるほど。ここの野球部はバカ。よーく覚えたうえで、野球部とは付き合いを深めていこう。
それから何事もなく合同練習が始まり、終わった。タイヤ引きとか、坂道ダッシュとか、メニューは普通にきつかった。
あと、おんぶダッシュの時に俺が大人気となって、久しぶりに「そういえば俺って一応貴重な男だったわ」と実感させられた。
ついでに、俺をビッチ扱いした可愛い後輩に復讐もしておいた。といっても、おんぶされた状態で左右に体重を傾けて邪魔しただけだがな。しかも「意地悪な泰平先輩もこれはこれで……うしし」と喜んでいたので復讐の効果はなかったが。
その時に意外な気づきがあったのだが……
(もしかしたら、俺ってチヤホヤされるのがあまり好きではない?)
いや、正確には違う。クラスメイトとか、関係性のある奴らにチヤホヤされるのは好きだもん。ってことは、初対面の美少女にチヤホヤされるのがあまり好きではないのか。
いや、ちょい違う。これはあれだ。
くっそ可愛い美少女どもに、鼻の穴を膨らませながらハアハアされると、なんか萎える。ただそれだけだわ。
……にしても、翼君がいるから高校ではこんな人気者のような体験はすることないと思っていたが、場所が変われば扱いってこうも変わるんだな。集団には独自の個性が顕著に出て面白い。
二部練習の全てが何事もなく終わり、ぶりっ子先輩との帰り道。
「ねえ、泰平」
「なんですか? ぶりっ子先輩」
「師範からの課題は順調のようね」
「あー。そう見えます? 俺なりに頑張ってはいるんですけど、空回りはしていないですか?」
「ええ、大丈夫よ。その調子で行きなさい」
師範からの宿題――俺が主将になるにあたり、主将として乗り越えるべき「柔道部全体としての課題」を少し前から提示されていた。
『泰平なりのやり方で、柔道部を組織として成長させろ』
今の柔道部の学校での立ち位置は、そこまで大したものではない。
なにせ正式な部活動ではないのだ。他の部活と比べると、部としての知名度はあまりに弱い。それを改善するのが俺の主将としての役目だとか。
今やっている合同基礎練習を俺が提案したのも、柔道部という存在をより浸透させるためだ。
そんなふうにだべりながら二人で肩を並べて歩いていると、ぶりっ子先輩が唐突にこんなことを伝えてきた。
「そうそう。話は変わるけれど、処女を殺すセーターを編んだのよ。ちょっと着てみてくれない?」
「…………今なんて言いました?」
なんだか聞いたことがあるようでない単語が聞こえてきた。
「だから、処女を殺すセーターよ。ほら、あなたの前の世界にはそんなのがあったんでしょ? それにインスピレーションを受けて作ってみたわ」
「おい受験生」
この人さあ……
いや、何も言うまい。
「俺は絶対着ませんからね。そんなのは自分で着て自殺でもしててください。ていうか、せっかくなら童貞を殺すセーターの方を作ってくださいよ」
「そんなものを作っても需要がないじゃない。男って性欲に対してそこまで貪欲じゃないもの」
「いやいや、俺には果てしなく需要がありますよ。全然殺されたいです」
「それは泰平が特殊なだけよ」
「ぶりっ子先輩が俺を特殊にしたんでしょうが。もう引き返せないんですから、最後まで面倒見てくださいね」
そもそもこの世界じゃ、男は十八歳になるまであまり性欲は強くならないはずなのにな。
『性欲なんて目覚めさせ得でしょ?』
そう言って俺の変態性を目覚めさせた張本人なのだから、その責任は取るべきだと思います。
「ふふ、当然よ」
「当然と思ってくれるのなら、何も言うことはないです。やっぱり性欲がある方が人生にハリがありますからね」
「そうね。特に泰平は大切な人から情欲を向けられることに敏感だしね。それに、性欲面での感受性が豊かなせいか、無意識のうちにその気持ちに応えようとしてるわ。そして、それがいい方向に働いているみたいよ」
「あー、そういや俺達が明確に今みたいな関係になった時、似たようなことを手紙に書いていましたね。『私が愛すれば愛するほど泰平は魅力的になっていくから、面白い』とかなんとか」
「ふふっ、泰平は根がクソ真面目だから、自然とそうなっちゃうのよ。特に最近はカエデやユウカのお陰で、容姿まで良くなっているわよ」
「マジ?」
「ええ、若干だけどね。同時に雄としての香りも強くなってるわ。いい感じに仕上がってきたわね」
ぶりっ子先輩は本当に嬉しそうに笑った。
その笑みは母のようでもあり、親友のようでもあり、恋人のようでもある、とにかく魅力的な表情だった。
こういう特別な笑顔を見た時、俺はぶりっ子先輩に惚れ直す。
もう何度惚れ直したのかは分からない。当たり前に好きで、当たり前に愛おしい。それが俺がぶりっ子先輩に向ける素直な感情なのだから。
「ということで、処女を殺すセーターを着てほしいのだけど」
「嫌ですって」
「じゃあ、私が童貞を殺すセーターを着るわ。その姿で歯磨きしてあげる。それならどう?」
「ほぅ……それならまあ、やってやらんことはないですね」
「ふふっ、泰平が変態で助かるわ」
その後、処女を殺すセーターを着た俺の写真を客観的に見て、あまりの変態性に死にたくなったのはまた別の話。




