第七十三話 合同練習
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
夏休み初日は看病に時間をとられたとはいえ、部活も、部活後も色々と楽しかったので、なんだかんだいい日となった。
それに、こんなこと言っちゃあ悪いが、看病自体も結構楽しかったんだよな。
俺も母も全然風邪をひかない体質だから、看病の経験が少ない。俺なんて実は人生初だ。だからこそ水を得た魚のように張り切ってしまった。
よく体調を崩すオタクに優しいギャルとかは、かなり仲がいいっちゃいいけど……看病に行くって感じの関係じゃあないんだよな。
その点、あっちから「看病してほしい」と遠慮なく呼んでくれた外国人美少女に感謝だな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
「おう! スポーツ万能美少女がサッカー部の新部長になったんだな。相変わらず最高に八重歯がキュートだな! 今日はよろしく!」
「……ったく、合同基礎練習で気が滅入るってのに、泰平までいるのね。はぁー、まあいいわ。部長同士、今日はよろしく」
俺が主将になるにあたって、どうしてもやりたかったのが他の部活との交流だ。
柔道部は正式な部活ではないので、部活間の交流があまりに少ない。
その問題に対処するために今年からやり始めたのが、合同基礎練習の申込みというわけだ。
夏休み中は、一時間ほど他の運動部と一緒に合同基礎練習をすることになっている。俺達がお邪魔させてもらう側なので、基本的には相手の部活のやり方に倣うつもりだ。
スポーツ万能美少女がやけに優しげな顔で握手を求めてきたので、俺は差し出された手を受け入れる。
「よろしくな痛てててててて!! 暴力反対!」
「暴力? 私はただ今日一緒に合同基礎練習する部長同士、仲良く握手してるだけよ。とにかく今日はよろしくね」
ニッコリと貼り付けたように笑ったスポーツ万能美少女。しばらくして、ようやく手を離してくれた。
「いってぇ、握力強っよ。ゴリラかよ」
「ふん」
「痛い!」
普通にスネを蹴られた。そこまで力を入れてはいないはずだが、当たりどころのせいか地味に痛い。
「……あら?」
うずくまって痛がる俺の「首元の茶色い首輪」を、スポーツ万能美少女がチラリと見た。
その瞬間、一瞬だけ嗜虐的な喜びに満ちた笑みを浮かべた。
背中をゾクリと撫で上げられるような悪寒が走る。
俺の身をすくめた様子を見て、スポーツ万能美少女の瞳孔が一瞬だけ開いた。
「ふぅん……」
「えっ、えっ!?」
スポーツ万能美少女が、俺の顎を強引にクイッと持ち上げた。
上から目線で、射抜くように俺を観察している。
その綺麗な形をした赤い唇が、美しく弧を描いた。
それから……
「……まあ、一時の気の迷いね」
雑に解放し、ひらりと身を翻して去っていってしまった。
今の、何だったんだろう……?
「よーし。そろそろ始めるぞー。柔道部、サッカー部共々、全員集合!」
サッカー部顧問の掛け声とともに、合同基礎練習が始まった。
軽いアップの後に始まったのが、インターバルトレーニングだ。
グラウンドの外周を全力ダッシュ。顧問のホイッスルが鳴ったら程々のペースに戻す。また笛が鳴ったら全力ダッシュ。これをひたすら繰り返す。
「おいおいおーい! ダッシュが遅い!!! サッカー部!! 柔道部にペースが劣ってるぞ!!! もっと死ぬ気で走らんか!!!」
「「「はい!」」」
「そんなペースで情けなくないのか! 泰平君に負けたやつは罰ゲームだからな! 男に負けるなんて情けないぞ!!!」
「「「はい!」」」
うーむ、サッカー部はみんな声が出てるなあ。それに、顧問のお姉さんも活動的で元気だ。
こうやって大きな声でみんなを鼓舞しているの、「ザ・運動部」って感じ。
サッカー部ってマネージャーが二人もいるし、メンバーも多いし……何から何までウチとは大違いだ。
ウチなんてなあ……などと、柔道部について頭を巡らせていたところで、
「ええっ! メイド検定一級って、あらゆる武道にも精通していなきゃいけないんですか?」
「え、ええ。そうなのよ。はぁ、はぁ」
「はー、それは大変そうですねえ。あ、そうそう。やけに美しい筋肉していますけど、普段はどうやって――」
走りながら、前方から元気っ子後輩の明るい声が聞こえてきた。
おーい。武闘派メイドが話しかけられて困惑してるぞ。しかも、こんなキツイ練習を平気そうな顔でこなしているところにちょっと引いてるし。
すまんな、ウチの後輩は運動能力がおかしいんだ。
(元気っ子後輩よ。ウチが練習中の私語がオッケーだからって、外でもそうじゃないんだぞー)
まあ、別に顧問にも怒られていないので、あえて言わないけども。だって、生き生きしてて素敵だもん。
ふひひ、すいませんねえ。ウチの自慢の後輩は、全人類を友達だと思って懐いてしまう大型犬みたいなやつなんですよ。可愛いでしょ? 可愛いでしょ??
ピピーッ。ホイッスルが鳴ったので全力で走る。先頭は元気っ子後輩だ。バビューンと表現できるくらい、ものすごいスピードで武闘派メイドを置き去りにした。
ピピッ。また笛が鳴ったので普通のペースに戻る。こうして、全員が死に体になるまで俺達は走らされたのだった。
この後少し休憩し、サーキットトレーニングを終えた辺りで合同基礎練習は終了。
俺達柔道部は体操着から柔道着に着替え、あと一時間ほど道場で筋トレをしたら、二部練習の前半が終了だ。
三十分ほど休憩したのち、顧問である母が来た。
さて、ここからが二部練習の後半。本格的な柔道の練習が始まる――
「「「「ありがとうございました」」」」
柔道の練習が終わる頃には、もうヘトヘトになっていた。あー、疲れた。
他愛もない話をしながら、普通っ子と二人で肩を並べて同じ場所へ帰る。
今日は普通っ子とお泊まりの日だ。何の問題もなければ、夏休みの半分くらいは普通っ子は俺の家に泊まりに来る予定だ。
もちろん仲を深める目的がメインだが、『首輪が茶色になったばかりだし、慣れるまで風よけになってあげるね』という親切心もあるらしい。
一人で歩いていると声をかけられることが多くなり、少し困惑していたので、ありがたいことだ。
道に人がいないときだけ、ちょんちょんと小指同士を絡め合いながら、ゆっくり歩いて帰宅。
さあ、手を洗ったら、早速料理の開始だ。
母と普通っ子が楽しげに会話しているのを尻目に、今朝から軽く下準備していた食材に火を入れていく。
……よし、これで完成。
おっと味噌汁を温めるのを忘れていた。味噌の風味がとばないように、沸騰しない程度に温め、二人に声をかける。
「二人ともー。今日は丼だから、食べたい分だけご飯を入れてくれ。あ、ついでにお味噌汁も持っていってくれる?」
二人はそそくさと丼にご飯を入れ終わった。俺はご飯が山盛り入った丼に、ささっと具材を乗せていく。
「はい、ということで、今日は“禁断の愛丼”を作りましたー」
ちなみにこれは何の変哲もない親子丼である。
ネーミングにより母と子によるストーリーを匂わせてみた。
「食べにくいのだが……」
「泰平の料理、マイナス一点と」
「なんでよ! ちょっとした茶目っ気じゃん! まあいいや。じゃ、食べようぜ」
「「「いただきまーす」」」
それから、ごちそうさまを言うまで、三人ともただただ無言でスプーンを進めていった。
普通っ子がいるとはいえ、今回の食卓は我が家流でやらせてもらう。
母は俺と二人きりの時以外は、こんな静まり返った無言の食事はしない。だが、俺は案外この静かな時間が嫌いではないので、普通っ子と母に頼んでそうさせてもらった。
自分でもなんでこの静かな時間が嫌いじゃないのかは分からないが、俺にとってはこっちの方が落ち着くのだ。
「「「ごちそうさまでした」」」
「さて、今日の俺の料理はどうだった?」
「うん、美味しかったよ。鶏肉が香ばしい親子丼を初めて食べたけど、すっごくいいね」
普通っ子から素直な感想が返ってきた。
鶏肉を最初に香ばしく焼いておくのが我が家流。
やはり美味しいと言ってくれるのは嬉しいもんだなあ。
「そうだな。具材のサイズを揃えるのは以前よりよくなったな。味付けも出汁の風味も及第点。卵は……要練習といったところか。混ぜ方から火の入れ方のコツまで今度しっかり教えよう。
あともう一つ、おそらくみりんを入れるのを忘れたのだろう。最後に入れたせいか、アルコールの風味がわずかに残っていたぞ」
そして、母からは少し厳しめの評価が下された。
母の味を再現する道のりはまだまだ遠そうだ。
食事が終わり、みんなで後片付けを終えたのち、食後の運動がてら普通っ子と夜の散歩に行った。
真夏といえど、夜はそこまで暑くない。ジメジメとした熱帯夜がなくて、ホントこの世界は素晴らしい。
「あっ、そうだった。泰平、ちょっとこっちに顔を寄せて?」
街灯と街灯の境目。仄暗い道で立ち止まった普通っ子に、急にそうお願いされた。
顔を近づけると、普通っ子も同様に俺に顔を寄せた。
ほっぺたとほっぺたがくっつく。
ちゅ、と桜色の唇から可愛らしい音が鳴らされた。
「えへへ。泰平がカエデ先輩にやってたチークキス。私もやりたかったの。どうかな?」
普通っ子はいたずらっぽく笑う。
俺が他の人にやった愛情表現の網羅。それが普通っ子の夏休みの目標らしい。
最近の普通っ子は、こうして一つ一つ再現しようと張り切っているのだ。
「めっちゃドキッとしたわ。てことでもう一回やって?」
「残念、向こうから人が来ちゃったから、やるにしても帰ってからだね」
「うし! 今すぐ帰ろう。さっさと帰ろう。とっとと帰ろう」
「ちょっと、歩くの早いよ」
「ごみんごみん」
立ち止まって、普通っ子が隣に来るまで待つ。
「ふふふっ。ねえ、泰平。幸せだね」
「なー」
一瞬、心地の良い静寂が訪れた。
普通っ子が手ぐしで髪の毛を整えている姿が、やけに愛おしかった。
「思えば、今日は普通っ子と朝から晩までずっと一緒にいたよなあ」
「ねー」
「こんなに一緒にいると、いつしか混じり合って一つになっちゃいそうだなあ」
「あははっ、混ざったら何色になるかなあ」
他愛もない話を繰り返しながら、ゆっくり家に帰る。
俺と普通っ子は、夏休みの間、こんな幸せな日々を何層にも積み重ねる予定だ。ミルフィーユみたいに、もっともっと。
夜風が吹くとともに、近くの軒先から、風鈴の音が聞こえてきた。
まだまだ、夏休みは始まったばかり。




