第七十二話 夏休み初日
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
夏休みが始まった。
夏休みというのは、結局何もせずに家でゴロゴロする。これが前世の俺の馴染み深い夏休みの過ごし方だった。
それはそれで楽しいけど、どこか味気ないんだよな。よく母から「もう少し外で遊んできたら?」なんて心配されたものだ。
でも、この世界に転生してきてからは、そんな過ごし方とは全然違う。なんと俺、すでに予定がパンパンなんだ。
例えば今週なんて、月曜から金曜までは、昼の一時くらいから二時間ほど体力増強練習。三時頃から夕方まで柔道の練習が始まる。
土曜日は朝から昼までみっちり練習し、その後は学校の一室を借りて、三時頃までみっちり勉強する。
日曜日は休み。
夏休みが終わるまで、基本的にずっとこのサイクルだ。
なかなかハードだろ?
俺は前世では体育会系の部活に所属したことがなかったので、こんなスケジュールだとは思いもしなかったよ。体育会系って、もっと青春をエンジョイしてるもんだという偏見があったわ。
実際に体育会系をやってみると、そんな暇ねえんだわ、これが。
ま、それでもやはり学校の授業がない分時間の余裕はあるから、全力で青春を楽しむつもりだがな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
俺も一端の学生らしく、夏休みの目標を立ててみた。
まず一つ目。母の料理技術を吸収する。
俺は高校を卒業後、家を出て結婚相手の女性全員と一緒に暮らすつもりだ。だからこそ、母の味を学ぶ絶好のチャンスは高校生の間だけ。
……せっかくなら俺の結婚相手の女性達にも、俺が大好きな母の味を食べさせたいじゃん。
そのために、夏休みの晩ごはんは俺が作らせてもらうことにした。母に食べさせて、直接アドバイスをもらうのだ。この夏休みで少しでも母の味に近づけるように頑張りたいな。
二つ目。柔道がもっとうまくなるように努力する。
夏休みの大半は部活だ。それなら、この時期にみっちり練習して、もっと強くなりたい。
それに、どうも最近元気っ子後輩に実力で抜かれそうなのだ。
なんとしてでも先輩としての意地を見せつけてやりたいという、俺のちっぽけなプライドを守るためにも頑張らないと。
後輩の追い上げ問題については、少し前から普通っ子と相談済みだ。
そのため、夏休みの間、二人で「秘密特訓」をして対策しようと、すでに決まっている。
三つ目。勉強は現状のペースを維持する。
今の俺の学力はかなりいい感じだ。この調子を維持し、俺のペースで淡々と勉強を続けていきたい。
そもそも俺はスパートをかけるのが苦手な分、受験期に入ると、本気になったクラスメイトに追い抜かれる可能性が高い。
それでも現状のリードを守るためには、早いうちからコツコツ続けるしかないだろうな。
四つ目。下手したらこれが一番大事だ。
遊ぶ。とにかく色んな人と遊び尽くす。そうやって色んな人と仲を深める。
複数の人と盛んに遊ぶのには、意外にバイタリティと積極性がいる。計画を練ったり予定を合わせたりと、面倒くさいことも多い。人を誘うという心理的ハードルもクリアしなければいけない。
その手間を惜しまず、全力で青春を謳歌するつもりだ。
俺は前世がある分、学生時代なんて一瞬で時が過ぎていくことをよく知っている。だからこそ、日々の忙しさに流されるのではなく、とにかく前のめりに日々を過ごしたいのだ。
具体的な大目標としては、クラスメイト全員と一度は遊ぶことだ。まあ現実的に考えて無理かもしれないが、それくらいの意気込みで過ごすつもり。
ついでに、これはまだ曖昧な目標だが……一応、五つ目としておこう。
俺が先頭に立ち、人と人を繋げる。
まだ具体的に固まってはいないけれど、とりあえずこういうことにチャレンジしてみたい。
俺は一対一や、小さなグループで活動するのが好きだ。それ自体は別に悪いことだとは思わない。
だが、いつも同じような安定したグループで楽しむだけでは、なんとなーく柔道の自他共栄精神に反する気がするのだ。
もっと深く、もっと広く周りの人達とも信頼し合い、助け合って共に栄える。そのために俺だけが心を通わすのではなく、他人と他人を繋げる。
その結果、俺の周りの人が影響しあい、お互いに高め合ってくれれば大満足だ。
おっと、忘れていた。主将として、師範から提示された「柔道部全体としての課題」についても、夏休みに進めていかないと。
これがなかなかの難題なのだが、とにかく信頼に応えられるように頑張らなきゃ。
あとは……首輪が茶色になった件については、一旦目を逸らしておこう。
もうすでに街を歩くだけで周りの女子の目が明らかに違うし、ナンパされるなんて不都合も起こったが……うん。一旦何の策もないので様子見で。
そもそもの話、この街は首輪持ち男性に優しい社会となっている。ちょっと色が変わった程度で、弱音なんて吐いてられないよな。
さて、そんな意気込みで始めた夏休み初日、何から始めるのかと言えば――
「ったく、夏休み初日から幸先が悪いなあ」
「何よぉ。泰平のバカ。この私の面倒を見られるんだから、喜びなさいよぉ」
「はいはい。38度の熱があるんだから無理はするな」
俺は熱を出した外国人美少女の看病をしていた。
俺は外部生の中で、こいつと一番仲が良い。今日も二人で服を買いに行く約束をしていたほどだ。
あーあ、そこで「日本の文化」とでも称して、猫耳ミニスカメイド服でも着させてやろうと画策していたんだがなあ。その計画がパーになってしまった。
いつもより熱い外国人美少女の手を握りながら、顔を上げて部屋を見渡してみる。
六畳の縦長の部屋に小さな窓、ベッド、学習机、本棚、クローゼット、エアコン、小さな冷蔵庫。それくらいしかないシンプルな部屋だ。
個人的にテレビとパソコンがないのがマイナスだが、Wi-Fi設備もしっかり整っているし、なかなかいい部屋ではあるな。
外国人美少女は外部生なので、普段は学校に併設されている寮に住んでいる。
寮生と翼君以外は、寮監のお姉さんに許可を取らないと入ることができない。なので、地味に俺は初めて来た。
にしても、こんな場所に住んでるんだなあ。外部生の寮が一人部屋ってことすら知らなかったわ。
「泰平、ゼリー」
「はいはい。はい、あーん」
「むぐ……ん、ぬるいわ。凍らせたゼリーが食べたいのにぃ」
「無茶言うなよ。ここには冷蔵庫しかないんだから……いや、ちょっと寮母のおばあさんに頼んでくるわ」
「やだぁ。行かないでぇ。寂しいぃ」
立ち上がろうとする俺を止めるように、外国人美少女は俺の袖をキュッと掴んだ。しんどさのせいかいつもより舌っ足らずな話し方が、俺の庇護欲を刺激する。
「たはぁー。今日の外国人美少女、めんどくせえ。けど可愛いなくそ」
お前さあ。そういう表情は主人公君に見せろよ。
「あ、そうじゃん。俺なんかじゃなくて、翼君に看病してもらえばよかったじゃん」
「翼は忙しいんだから、迷惑かけるわけにはいかないでしょ。その点泰平ならどんなに迷惑かけてもいいから、心が傷まないんだもん」
「お前なあ……まあいいけど。ほんと可愛いなくっそ」
俺は少し抗議するように外国人美少女のほっぺたをつんとつついた。
とはいえ、このあんまりな言い分を受けても実はちょっと嬉しかったりする。
俺は何の気兼ねもなく甘えられるのが好きなタイプだ。遠慮されるよりは全然いい。
「泰平、頭撫でて」
「はいはい」
俺は乱雑に外国人美少女の頭を撫でた。
抜け感のあるプラチナブロンドの柔らかい髪がするりと俺の手を抜ける。
なんだかずっと触れていたくなる。でも、ぐっとこらえて軽く触る程度に抑える。
「ナデナデに気持ちがこもってない。もっと愛情を込めてよぉ」
「へーい。よしよし。外国人美少女はホント可愛いな」
「えへっ、泰平が私のこと、可愛いって言った。えへっ、えへへへ」
いつもはミスティックな輝きを持つ瞳が、ふにゃりと人間らしく細められた。
「おーい、布団に頭まで潜るな。息苦しくなるぞ」
「ねーえー、もっと撫でてよぉ」
「お前が頭まで潜るのが悪いんだろうが……ったく」
今日の外国人美少女はいつもより三割増しで面倒くさい。でも、五割増しで可愛く感じてしまう。
「泰平、体拭いて」
「はいは……えっ、いいの? いややっぱそれはダメだろ」
「んでよぉ。いいじゃん」
「だってお前、俺に裸を見られることになるんだぞ? それでもいいのか?」
「何を今更そんなこと言ってるのよ。別に女の裸なんて、大した価値はないでしょう? ホント、初心なふりしてさあ。そんなに嫌なのぉ?」
そうだった。この世界では体を拭いてもらうことが「あるある」としてまかり通っているんだった。
やっべえ。どうしよ。
……しゃあない。真剣に俺の想いをぶつけるしかないな。
「いやいや、初心なフリとかじゃなくさあ。俺は外国人美少女のことを、大真面目に性的な目で見てるからな。だから、あんまりよろしくないんだよ。分かる? ドゥーユーアンダースタン?」
こんなこと言いたくないが、本当にそうだからそう言うしかない。正直、めっちゃ恥ずいけどな。
「むふっ、泰平の変態。スケベ。節操なし。色欲魔神」
「おいおい、罵倒する声が弾んでるとこ悪いが……よいしょ。本棚にこんなのを置いているやつには言われたくないね」
俺はベッドの近くに置いてある本棚から、ひょいと一冊の派手な色をした本を抜き取った。
さっきからチラチラと、やたらセクシーな男が頬を赤くしているイラストが見えてて、気になってたんだよなあ。
「あ、ちがっ。そ、それは……えと、寮長のだもん。私のじゃないもん」
「いや、別に何でもいいけどさ。せめてもうちょっと隠そうな」
「ふん、ホントに私のじゃないもん。泰平のバカ」
「はいはい。さて、外国人美少女の性癖は……ふむふむ、ここが折り目が入っているってことは、好意ダダ漏れの執事が好きなんだ。へー、ふぅん、そっかそっかぁ」
「バカ、見るなあ。変態。スケベ。節操なし」
今度の罵倒は本気のニュアンスがあった。
俺はエロ本を元の場所に戻す。
それから俺はベッドの脇に跪いて、少しロールプレイを入れながらこう伝えた。
「ご主人様。本当はいつまでも一緒に居たいのですが……すみません、もうすぐ部活が始まりますので、ここらで失礼いたします」
「~~~ッ! 泰平のバカ! もう知らない!」
「はいはい。ごめんごめん。じゃあホントに行ってくるから、大人しく寝てろよ。合間合間に様子を見に来るからなー」
「ふん」
最後に頭を一撫でして、俺は部活に向かった。
「ふふふっ」
看病したのは俺なのに、俺のほうが元気をもらっている気がするのはなんでだろうな。
この日。ハードなはずの練習が、不思議と驚くほど軽く感じられた。




