第七十一話 夏休み前日
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
さあ、明日から夏休みだ。
高校生にとって夏休みというのは大事な期間。
日々を淡々と全力で生きるためにも、全力で楽しみ尽くすつもりでいこう。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
「ということで、今日でカエデは引退となる」
柔道部の部室で、師範の凛とした声が響く。
七月二十日。この街では、三年生の部活引退日は「夏休み前日」と決められている。
この街は実質隔離されているので、インターハイや甲子園など、大きな大会に参加できない。だから、一般的な学校のように、大会をひと区切りにすることもできない。
部活によってはこの時期に合わせ、大学生チームと試合したり、社会人チームと大会を開いたりなどをしているらしいが……
柔道部というこの街ではマイナーな部活では、残念ながら縁がない。
だから俺達は、普段より一時間ほど早く練習を切り上げ、こうして道場に集まっている。
ささやかな送別と、先輩からの最後の一言。
それをもって、三年生の引退を区切りとするのだ。
白ギャル先輩は柔らかく爽やかな表情を浮かべながら、俺達の前に堂々と立った。
「あーしは受験に集中するから、ルリみたいにはできない。ふふ、というか、ルリが特殊なんだけどね」
注目が集まる中、苦笑いしながら最後の言葉を始めた。
白ギャル先輩の言う通り、ぶりっ子先輩は引き続き柔道部員のOBとしていつも通り練習に参加する。
この柔道部は正式な学校の部活ではないので、そういうこともできなくないのだ。
ただし、それもぶりっ子先輩ほどの頭一つ抜けた天才だから、師範に特例で許されているだけ。
俺達や進級後に入ってくる新一年生などは、基本的に引退日となったら受験に集中することになるだろう。
「でも、気が向いたらこの道場には気軽に遊びに行くつもりだから、そのつもりでいてね。大丈夫だと思うけど、あーしが見に行った時にたるんでたりしたら、すっごく怒るからね」
冗談交じりに語られる言葉を受け、俺達の表情が少し柔らかくなった。
「さて、柔道部としてのあーしとして最後の言葉になるんだけど、実はみんなに伝えたいことなんて、そんなにないんだよね。だって、みんなすっごく素直で、優秀で、いい子達ばっかなんだもん」
「「「「………」」」」
「だから、今から言うのはあーしのただの感想になるのかな。へへっ」
「「「「………」」」」
「えっとね、最初は自棄になって始めた柔道だったけど、すっごく楽しかった」
「「「「………」」」」
「すっごく、すっごく楽しかったから、やめたいとは一度も思わなかった。練習だってキツいし、アザもいっぱいできたし、あれだけハマってたネイルだってやめることになったのにね」
「「「「………」」」」
「それもきっとみんなのおかげ。ものすごくかっこいい師範がいて、ルリが温かくみんなを引っ張ってくれて、泰平が全体の空気を柔らかくしてくれて、ユウカが泥臭く努力して後ろから追い上げてくれて、シホがこの道場に活気を与えてくれた。そんな場所があーしは大好きだった」
「「「「………」」」」
「特に泰平が……ううん、これは恥ずかしいから、内緒。みんなも聞かなかったことにしてね」
ここで、空気が少し柔らかくなった。
一度咳払いしたのち、白ギャル先輩は続ける。
「あーし、ここで過ごした柔道部の日々を一生忘れない」
「「「「………」」」」
「ここでの日々はあーしの宝物になりました。あーしにかけがえのないものをくれてありがとう」
「「「「………」」」」
「……うん、言いたいことはほとんど言い終えたし、最後に一言だけ。みんな、大好きだよ」
ゆっくりと大切な思い出をなぞるように言い終えると、白ギャル先輩は最高の笑顔で締めた。
「「「「ありがとうございました!!!」」」」
誰に言われるでもなく、俺達は全員一斉に頭を下げたのだった。
それから、白ギャル先輩は一人ひとりの元へ向かい、順番に抱き合っていった。
俺が先輩に抱きしめられた途端。泣くまいと決めていたのに、少しだけ涙腺が決壊してしまった。
これからも会えるし、こっちから積極的に会いに行く気満々。それでも、寂しいものは寂しいのだ。
しっかり柔道部としての最後を名残惜しんだ後は、これからの柔道部について。
師範がみんなの前に立ったので、俺達は口を閉ざし耳を傾ける。
「以前から伝えていた通り、次の主将は泰平だ」
「はい!」
「泰平、意気込みを」
「ぶりっ子先輩ほどみんなを引っ張っていける自信はまったくありませんが、とにかくがむしゃらに頑張っていきます! よろしくお願いします!」
ぱちぱちぱち。みんなが温かい表情で拍手してくれた。
「大丈夫だ。リーダーシップなんて後からいくらでも身につく。立場が人を育てるからな」
……ほう。
何気なく伝えられたこの言葉に、俺は内心でかなりの衝撃を受けていた。
(そうか、リーダーシップって後からいくらでも身につくのか)
カリスマ性やリーダーシップがないことを少し情けなく思っていたが、そんな俺には、この機会は絶好のチャンスというわけだ。
これは俄然やる気が出てきたな。
「はいはいはい! 師範! 師範の持つリーダーシップ論について、詳しく語ってくだせえ! 詳しく!!」
「ん? 以前先生に言われたことをそんなに気にしていたのか? まあいい。ならば私なりのリーダー論を手短に語らせてもらおうか」
そこから一分ほど、師範の考えを聞かせてもらった。
それを俺なりにまとめると……
ドジっ子先生にはリーダーシップがないと指摘されたが、師範の意見は少し違う。
そもそもの話、誰だってリーダーの素質はある。故にこの柔道部の主将として必死で動けば、そんなものはどうにだってなる。
だから一番大事なのは、世間一般のリーダー像に囚われず、自分なりのリーダーシップを見つけること。そうやって柔道部を率いていけば、一年後には立派なリーダーシップが身についている、とのこと。
「なるほど……」
どうやら俺も、ドジっ子先生でさえも、世間一般的な「発言権の強いリーダー」のイメージに囚われていたらしい。
リーダーってのは一種類じゃなくて、人の数だけ種類があるなんて考えもしなかった。
「リーダーシップだけではなく、泰平にはこれから、中央キャンパスという女性しかいない場所で生き残るための立ち回りなども、みっちり教えていくつもりだ。覚えることはぐんと多くなるが、泰平なら大丈夫だ。できるな?」
ひたすらに信頼されたような目で見られたのなら、返事はこれしかない。
「おっす!」
自信なんてないが、とにかくやってみよう。
「うむ、良い返事だ」
さて、これで今日の練習は終わりだ。
「おっとそうだった。これを忘れていた。泰平。泰平は明日からこのチョーカーを付けるように」
「……はい?」
手渡されたのは茶色のチョーカー。俺がつけている革製の黒の首輪の色違いだ。
この世界の首輪は、結婚相手の人数によって色が変わる。
黒は五人、茶色は四人、グレーは三人、白は二人の妻がいる証。一人だけの既婚者と独身者には首輪は存在しない。
首輪を身につけている者には、国から補助金が支給される。国は男に五人の妻を持ってほしいので、色が黒に近いほうがもらえる補助金が多くなる仕組みだ。
「どうやら数日前に、泰平の名だけの妻の一人に書類偽装が発覚したそうだ。なにやら偽名を使い複数の男と結婚していたらしい。そのため、泰平との婚姻も無効となった」
「……てことは」
「そう。明日から正式に泰平の妻は四人となる。これからは露骨に周りの目が変わると思うが、それも中央キャンパスへ通う練習と思って対処するように」
……どうしよう。
黒と茶色じゃ女性達に与える印象が大きく違う。
女性から見て、茶色の首輪の男性は、まだワンチャンあるということを示している。少なくとも、今までのような安心しきった生活はできない。
(とりあえず、もう一人の結婚相手をぶりっ子先輩に頼めば……いや、一応高校を卒業するまでは翼君のヒロインであることには違いないし、それは無理、か)
他の案としては、すでに高校を卒業した女性に、すぐにでも結婚してもらうことだが……
どうしよう。ぶりっ子先輩ほど確定で結婚したいと思える大学生以上の女性が、今の俺には心当たりがない。
……あっ、一人いたわ。
「えと、師範。俺と結婚してくれたりは……?」
「……ふっ」
五割くらいしか本気で言ってないとはいえ、鼻で笑われたんですけど。
いや法律上できないのは分かってるけど、そのうえで一番最初に思い浮かんだのがあなただったんだぞ。
それなのにひどくない?
……にしても、夏休みの立ち回り、マジでどうしよ。




