第六十九話 小さなトラウマ
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
夏真っ只中なのに、今日の最高気温は30度だって。ほんとこの世界は夏が程々の暑さで助かる。
とはいえ人間というのは贅沢なもので、30度でも全然暑く感じる。最近では「あつー」というのが口癖になってきたし、夜にはクーラーをガンガン効かせてしまう。
前世の俺なら冷房の設定温度は28.5度に設定するのがちょうどよかったのだが、今は26度がちょうどいい。
その違いに、俺は何故か「これが若さか……」みたいに感じてしまう。別に冷房の設定温度と若さには因果関係なんてないのにな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
人には誰しも苦手な人がいるのではないだろうか。
俺にもそんな人はいる。クラスメイトの「気だるげ」だ。
気だるげ――猫っ毛ロングで派手めに制服を着こなす。学年総合二位の天才。常にマイペースかつ、ロートーンで話す。いつも目をトロンと眠そうにしている。
特徴はこんな感じか。
そんな気だるげとは、過去のちょっとした出来事が原因で、今までなんとなく避けて過ごしていた。
それが俺達にとって当たり前の距離感。少なくとも小学校高学年の時くらいからはずっとそうだった。
でも、懇談の時に主人公君に言われた言葉をきっかけに、改めて気だるげについて考えてみて、気づいた。
(俺は気だるげと付き合いを控える学校生活を、惰性で過ごしていたっぽいなあ)
今でも少しだけ苦手意識はあるが、別に彼女に対して怒っているわけではない。
それなら、もう少し適切な付き合い方があるはずだ。
夏休み前に、関係改善に動いておきたいな。
そんなことを決意しているうちに、チャンスはすぐに訪れた。
「はい、隣の席の子とペアになってね。ああ、泰平君。今日は泰平君の隣の子が風邪で休んでいるから、申し訳ないけどあっちの方に移動してくれる?」
俺の隣の席はAI搭載アンドロイドだ。
アンドロイドが風邪をひくなよ、とはもはやつっこまない。俺はAI搭載アンドロイドのこと、人間より人間らしいと思っているから。
「はーい」
英語の先生に言われるがまま、俺は左前の席に移動する。
このクラスの人数は現状二十九人の奇数なので、元々隣の席に生徒がいない人が一人出る。それが気だるげだ。
俺と気だるげがペアになるということに気づいた不健康が「僕が代わりに行こうか?」とアイコンタクトで気を使ってくれた。
嬉しくなりつつ、余裕そうに手をひらひらとさせて返した。
「おう、気だるげ、よろしくな」
俺が誰にでも見せるような明るい笑顔で声をかけた。
少なくともこの程度の笑顔も気だるげには見せたことがないからだろう。彼女は口を半開きにしながら、一瞬フリーズした。
……にしても、相変わらずこいつ、目に毒な格好だなあ。
このクラスで一番スカートを短く履いているから、白い太ももが際どいところまで見えている。それこそ、多分正面からだとパンツが見えてしまうくらい。
シャツのフロントボタンだって上から三つも外している。深いVの字もいつだって見放題で、視線の置き場所に困る。
「あー……よろしくお願いします?」
気だるげが一拍遅れて、その名の通り気だるげな態度で答えた。
ものぐさな態度も、敬語なのも、ローペースなのも、俺だからというわけではなく、誰に対してもそうだ。
ふと気だるげの目を覗くと、困ったような、気まずそうな、嬉しいような。そして、それを凌駕する男に対する性欲があるような。
とにかく瞳の奥に様々な感情を孕んでいるのが見えた。
(こいつ、意外と目の奥に感情がありありと出るタイプなんだな)
今まで付き合いを避けてきたことを除いても、気だるげはクラスでは少し浮いているので、よくわかんないやつだと思っていた。
だが、意外とそうでもないかもな。
「うし、学年二位と三位の優秀さで、先生からの課題をパパっと終わらせちゃおうぜ」
「泰平君。学年三位を取ったんですねー。うーんと……ああ、おめでとうございます」
「おう!」
気だるげは長い猫っ毛をくるくるといじりながらそう言ったので、俺は元気に返した。
さて、今は仲直りより先にスピーキングの練習だ。俺は真面目なので、授業をサボってまで個人の感情を優先させたりはしない。ただし数学は除く。
気だるげの流暢な英語を聞き、俺もそれっぽい発音の英語で返答していく。
気だるげの発音が百点だとしたら、俺はせいぜい七十点がいいところだろう。テストでは出ない部分とはいえ、もう少し綺麗な発音の練習をしないとな。
俺達は優秀なので、先生からの課題はすぐに終わった。
さて、この余った時間で仲直りの提案を持ちかけよう。
「気だるげ。なんかさ、ごめんな?」
「……んー。泰平君、何がですか? こちらが謝ることはあれど、謝られることをされた覚えはないのですが……?」
「ほら、今まで微妙に気だるけのこと避けてたじゃん。あれさ、完全に惰性でやってたんだよ。俺はもう怒ってないからな」
「それは……ちょっとお人好しすぎませんか?」
気だるげが信じられないような目を俺に向けた。
「だってですよ。私は過去に泰平君のリコーダを舐めました。こっそり体操服も嗅ぎました。生のお尻で泰平君の席に座ったりしたりも……っと、これはまだバレてませんでしたね」
「おい」
「とにかく、そういうのを運悪く全部見られたじゃないですか。完全に自業自得でしょう? 普通なら一生許さないものだと思いますけど……」
「まあそうなんだけどさ。あんなのは思春期特有の可愛いノリみたいなもんじゃん。今なら女性の性欲のことも多少理解してるから、別にいいよ」
気だるげは今でも申し訳ないと思っているらしいが、そのことについては本当に気にしていない。
俺は案外そういう部分はからっとしているのだ。
俺の返答を聞き、気だるげの見開かれていた目がもっと大きく見開かれた。
しっかり目を見たのは久しぶりだが、こんなに大きな目をしてたんだな。素直に綺麗だ。
「正直さ、俺はそういうの、最初からそこまで気にしてなかったんだ」
「うん?」
「で、こっからが俺が気だるげを避けていた理由に繋がるんだけど……」
「え? まだ何かしましたっけ?」
気だるげは完全に心当たりがなさそうだが、それは当たり前だ。
ある出来事のせいで、俺が一方的に怖がっていただけなんだから。
「小学生だった頃、俺で性的欲求を満たす気だるげに直接文句を言いに行こうと思ったことがあるんだよ。それで、家まで突撃しにいった道中にな」
「………」
ここで少し溜めると、気だるげが息を飲んだ。
「家の前で、幼い気だるげが飼っているペットを楽しそうに散歩させてたのを見たんだよ。ほら、でっかいヘビと小さいワニを飼ってるだろ? ヘビを首に巻いて、ワニを手に抱えてたな」
ヘビの種類には詳しくないが、その当時はアナコンダくらい大きなヘビに見えていた。一方小さいワニは、手に抱かれてぼーっとしてて、ちょっと可愛かった。
「あー……ザギ丸とザギ助ですか。あの子達、最近ちょっと太ったんですよねえ。そうですか、あのシーンを見られていましたか。本来爬虫類に散歩なんて必要ないというのに……お恥ずかしい」
まあ、そのザギ丸もザギ助も気だるげの周りでリラックスしているように見えたから、いいんじゃないかな。人によっては微笑ましく感じる人もいそうだし。
「あ、ちなみにザギ助はワニではなく、シナワニトカゲという種類のトカゲなんですよ」
ほえー。正直ちっこいワニにしか見えなかったわ。
っと、そんなことはどうでもよくて。
「で、だよ。それでも構わず文句を言おうと背後から近づいたら……真っ先に俺の接近に気がついたおっきなヘビに『シャー!!』ってされてさ。それで俺は一目散に逃げ出したんだよ」
「あらー……ウチのザギ丸がすみません」
「いやいや。きっとそのザギ丸は気だるげのことを守ろうとしただけだろうし、別にいいよ」
「いずれにしろ申し訳ないことをしました。それで?」
「ああ、幼い頃の俺はさ、その出来事がトドメとなって、何故か女性が全て苦手になったんだよ。『プンプン! これだから女は!』みたいにひと括りにしてさ。バカだよなあ」
「あらー……そうだったのですか」
一瞬ぽかんとしたのち、気だるげはゆっくりと首を縦に振った。
「そうそう。その影響で、気だるげを見ると『シャー!!』を思い出してしまうんだよ。それで怖くて、あんまり関わらないようにしてたんだ。だから、ごめん」
「いえいえ、それも謝る必要はないとは思いますが……いえ、ここはこう返しましょうか。いいですよ。そして改めて……こちらこそごめんなさい」
「おう、いいぞ。じゃあこれからはなるべく普通に接するから、そのつもりでよろしくな」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
そう言った気だるげは、机の上に腕をだらんと伸ばして枕にし、溶けるようにもたれかかった。見ているだけで全身からだらけきっているのが分かる。
窓から日光が気だるげの横顔を照らす。日光の温かさがくすぐったくも気持ちよさそうだ。
気だるげは授業中、この体勢で幸せそうにしていることがほとんどだ。こうしているということは、さっきまでは少なからず全身に力が入っていたのだろう。
「気だるげってなんかさあ」
「………」
「ポカポカ日光浴してる子猫みたいに可愛いな」
頬杖をつきながら、小さくつぶやいた。
「……にゃあん?」
「かわいっ」
手を猫のポーズにして、あざといポーズを披露してくれた。
マイペースな奴だと思っていたが、案外ノリのいい部分もあるようだ。
「あつー」
俺は大きく息をついたのち、赤い下敷きで顔を扇いだ。
……にしても、窓際の席は少し熱いな。教室のクーラーの設定温度、もう少し下げられないもんかなあ。
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