第七十話 お姫様
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
雨だ。雨が降っている。しかも、今日のこの雨は暗い雨だ。
つまり、今日の主人公君は現実で何か嫌なことがあったのだろう。この世界のみんなが持つ第六感により、直感的に分かってしまう。
主人公君が暗い気持ちだと、多少俺達にもその気持ちが少し伝播する。だからこそ俺達は翼君に少しでもいい思いをしてもらい、明るい気分になってもらうことを目指す。
しかしまあ、明後日から夏休みに入るというのに、何があったんだろうなあ。
しゃあない。今日は途中コンビニに寄って、主人公君への差し入れでもするか。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
「ねえ、翼君。今度の夏祭りでは、こっちの浴衣とこっちの浴衣、どっちを着てほしい?」
「委員長にはどっちも似合いそうだから、僕には決められないよ。ごめんね?」
「ううん。じゃあ、翼君の好きな青色にするね!」
とかさあ。
「翼! 来週はわたくしの別荘へ招待するわ! さあわたくしと海と花火エンジョイしましょう!」
「ええ!? あの超セレブの西園寺家の別荘に、僕なんかがいいの?」
「もちろんですわ! おーっほっほっほ!」
とかさあ。
「つ、翼君。今度お盆ん時に、おばあちゃんが『翼君ば連れてこんね』って言いよったんだけど……ど、どうかな?」
「うん! 一度田舎に行ってみたかったんだ!」
とかさあ。
「堂々とやりやがって! 羨ましいんだけど!!!」
「もう、泰平、うるさいわよ」
放課後の柔道場で、俺は大好きな白ギャルの先輩に怒られていた。
俺は打ち込みで乱れた柔道着を軽く直し、礼。今度は俺が技をかける方だ。
組み合い、相手の体に自分の体を密着させ、一番技がかかる最高の瞬間でピタッと動きを止める。 元の位置に戻り、間髪入れずにもう一度。
スピードとフォームを意識しながら、これを何度も繰り返す。
「はぁー、こっちはこっそりとしか楽しめねえっていうのに、羨ましいこって。俺も堂々とデートしたい!」
「もう、仕方ないじゃない。あーし達の方が間違ってるんだから、文句言わないの」
まあ、そうなんだけども。本来は大学に入ってから恋愛すべきなのに、フライングしてるのはこっちだもんなあ。
もう一度。
「でも! それだと俺達が満足に愛を深められないじゃないですか! もっと先へ進みたいのにっ! できることしかできないっ!」
「くすっ、ふふふっ、ふふふふふっ。ほんと泰平ってバカね」
俺の心からの叫びがなぜかツボに入ったようだ。俺が悔しそうにしている姿を温かい目で見ながら、ものすごく楽しそうに笑っている。
はい可愛い。死ぬほど可愛い。くっそ可愛い。人間離れしてるってくらい可愛い。もうね、好きです。好きなんですよ。分かりますか?
「まあ、泰平は後一年半ほど我慢しなさい」
「ちぇ。はーい。ったく、結局俺達の関係も大きくは変わらず仕舞いかあ」
それから二十本の打ち込みをやり終え、一度休憩。袖で側頭部の汗を拭いながら息を整えつつ、少しだけ物思いにふける。
疑似結婚式をしたのにも関わらず、俺達の関係は大きくは変わっていない。
『泰平が卒業するまでは、今のままの関係のままでいましょう』
あれからしばらくして、そう直接伝えられたのだ。
これだけ聞くと振られたようにも聞こえなくもないが、決してそうではない。
うむ、このニュアンスを細かく説明するには、疑似結婚式の後から順番に説明していく必要があるな。
疑似結婚式をした次の日から、白ギャル先輩が何故か俺と頑なに目を合わせてくれなくなった。
明らかに避けられていたが……それでも俺は空気を読まず、ズカズカと懐に入りまくった。
時にはサイドステップで強引に目を合わせたり。時には白ギャル先輩の両頬を押さえて、無理やり目を合わせたりなんかもした。
そうすると、白ギャル先輩の顔はみるみるうちに赤くなっていった。目は潤み、頬と耳を赤らめ、やけに甘い視線で俺を覗く白ギャル先輩。あの表情は世界一可愛かった。
それから白ギャル先輩は、絞り出すような声で『キャパオーバーだから、一週間ほど時間をちょうだい』と頼んだのだ。
正直嫌だったが、本当に限界そうな白ギャル先輩を見て、仕方なく了承。距離を開けてしばらく過ごした。
そして一週間後、俺に一通の手紙が届いた。
そこに記されていたのは、白ギャル先輩の素直な気持ちだ。
手紙の具体的な内容は――むふふ、内緒。これは俺だけが知っていればいいのだ。誰にも見せるつもりはない。
あの「実質ラブレター」を受け取った俺は、スマホで写真を撮ったのち、クラウドとパソコン、外付けSSDにもコピーした。
それからもらった手紙をすぐにラミネート加工し、丈夫な箱に入れ、さらに宝物ボックスに入れた。ついでに言えばラミネート加工した状態で、手紙に百回くらいキスしてる。
そんな俺の宝物の一部に記されていたのが、『今までの関係のままでいましょう』という内容だ。
「あーしはね、あの日、本当に嬉しかったわ。それに、泰平って……」
ここで白ギャル先輩はチラリと周囲を警戒したのち、俺の耳に身を寄せて、小声で囁いた。
「泰平って、前世の影響で、嘘の結婚とか、嘘の恋愛関係とかが嫌いなんでしょ?」
……なるほど。俺の前世の話なので、小声にしてくれたのか。
「それでもあーしのために疑似結婚式なんてものを開いてくれたって聞いて、本当に、本当に嬉しかったの。だからさ。一見関係は何も変わっていないように見えても……ふふっ、明確に今と昔じゃ違うと思わない?」
「まあ、ホントは俺もそう思っていますよ。しゃあないので、今はこの宙ぶらりんの状態を楽しみつくしましょうか」
「「えへへ」」
組み合い始めながら、俺達は笑い合う。
「さて、もう一セット頑張りましょうか」
「はーい」
白ギャル先輩の言う通りだ。
確かに以前から態度や会話は目に見えて変わっていない。
けれど、目には見えない、纏う空気感などが明確に違う。心の奥底で通じ合っているような、そんな実感が確かにある。
お互いが一度立ち止まりつつ、もう一歩先へ行きたいという想いがシンクロしている。今の俺達はこんな関係だ。
「ねえ、泰平」
「はい?」
「もっと、もっといっぱいカッコつけてね? ありのままの泰平もいいけど、あーしはカッコつけてる泰平も……あれだからさ」
「はい。まだまだ頑張りますよ」
優しい顔して、なかなか悪女みたいな言い分だ。でも、それにまったく嫌味はない。それどころか、とてつもない信頼感を感じる。
(これは先輩なりの甘えなんだろうなあ……)
先輩はいつだって俺を男にしてくれる。どこまでも期待に応えて、とことん幸せにしたくなる。そして、俺は男としてどんどん実っていく。
白ギャル先輩は俺にとって、とびっきりのいい女なのだ。
「にしても、白ギャル先輩は呆れるほど強欲ですねえ」
「いいじゃない。もっともっと欲張っていくわよ。それが本当のあーしなんだもの。だから……ね? もっとあーしを幸せにしてね」
白ギャル先輩の甘えるような瞳に、また心を射抜かれる。
あの手紙の中でも触れられたことだが、白ギャル先輩はあの疑似結婚式みたいなことを、俺に何回でも、何百回でも、何千回でもやってほしいらしい。
そして、自信を持って「自分が世界で一番幸せ」だと断言させてほしいのだそうだ。
……ほんと、なかなか難しいことをおっしゃるお姫様だ。カッコいい王子様になれるようにがんばろう。
打ち込み稽古は受ける方もじんわりと疲労が溜まる。
白ギャル先輩の投げ込みが終わった後、大きく左右に腰をひねった。バキバキと腰が鳴って気持ちいい。
軽く伸びをしたのち、再度白ギャル先輩に礼をして、俺が投げ込む方に変わる。
さあ、あと三セットだ。
「あ、そういや白ギャル先輩にも聞こうと思ってた話があるんでした」
「どうしたの?」
「白ギャル先輩から見ても、俺ってカリスマ性はないですか?」
「う? うーん……まあ、あーしは泰平のこと、一番かっこいい男と思ってるわよ」
「えへへ、ありがとうございます……ん? 上手く誤魔化されたけど、カリスマ性はないってことですよね」
危ない危ない。流されるところだったわ。
「だって、どうしたって泰平は親しみやすすぎるんだもの。それにさ、別にカリスマ性がなくてもいいじゃない。その体型で全く威圧感がないのは、ある意味才能だと思うわよ?」
「えー、そうですか? ならいいのかなあ」
「ええ、いいのよ。それに、高校生らしいキラキラしたカリスマ性はなくとも、別の味わい深くて魅力的な“何か”を持っているから大丈夫よ。きっと今のまま歳を重ねていけば、自然とカリスマ性が溢れるオジサマになれるんじゃないかしら」
投げ込み二十本が終わり、礼。
「ふむ、白ギャル先輩。その何かってなんですか?」
「……うん。ま、そうね。えと、泰平は今のままでもすっごく魅力的で可愛いわ。よしよし」
「きゅーんきゅーん」
また誤魔化されたような気がしなくもないが、結果的に白ギャル先輩に頭を撫でられたのでよし。犬のフリをしながら、先輩に対して存在しない尻尾を振る。
ワンコになったついでに、口パクで「好き好き」と連呼。同時にほっぺたとほっぺたをくっつけ、「ちゅ」と小さく口を鳴らす。
すると、みるみるうちに白ギャル先輩の白い耳が赤くなっていった。
「ちょ、バカ! 泰平のバカ! やりすぎ!!」
「ありがとうございます!」
「……カリスマ性はどうでもいいけど、罵倒された後にお礼を言う部分は直して欲しいかも」
「なんですとっ!?」
それからも俺達は、お互いを高め合うように練習を続けた。
練習が終わり、白ギャル先輩の自転車に二人乗りして帰る。
練習後だというのに、白ギャル先輩から甘いシャンプーのような香りが漂っていた。
「おっ、夕日だ」
「今日の夕日は一段と綺麗ね。あっ、泰平! あっち見て!」
「おおー! 虹だ!」
今朝あれだけ暗雲が漂っていた空から一変、西の空には美しい景色が広がっていた。
さらにそのもっと向こうには、虹のアーチがかかっている。
嬉しくなった俺は、背中に抱きついている力を少し強めた。
「きっと俺が翼君を励まそうと、カバンにこっそりコンビニで買ったエロ雑誌を入れておいたのが効いたんだろうなあ……」
「あんた、何をしてるのよ……」
最後こそ白い目で見られたが、総じて今日は白ギャル先輩が可愛くて、最高の一日となった。
明後日から、つまり夏休みから白ギャル先輩は夏期講習で勉強に集中する。実質白ギャル先輩は明日が引退日だ。
それでも今を目一杯楽しんでいる俺達には、寂しさを感じる暇はなかった。




