第六十五話 約束
娘とのお昼寝とラジオごっこが終わり、家に帰る。そこからはずっと勉強だ。
俺は毎日コツコツと勉強を進めるのが得意だ。逆にいえば、いつものペースを乱すのが苦手でもある。
それでも、テスト期間にいつもより力を入れて勉強するくらいはやらなければならない。
頑張り時に頑張れないのは、ただの言い訳にしかならないからな。お昼に充分リラックスできた分、俺のできる範囲でスパートをかけないと。
さっと「情報一」のテスト範囲の教科書を一周したのち、一問一答の問題集を開く。
「2進法、DNS、IPアドレス、HTTPS……」
口に出しながら、ハイスピードで問題を解いていく。間違ったところや解くのに時間がかかったところは目印を付ける。次は目印の部分だけを解いていく。
様々な勉強法があるが、暗記においてはこのやり方が個人的に一番やりやすい。どうやらこれは前世から変わらないようだ。
ある程度切りの良いところで母から夕食の呼び出しがあったので、一度勉強を中断。それからまた少し勉強したのち、風呂に入り、また少し勉強。今度は地学基礎にしようか。
地学基礎のテスト範囲の教科書を一周し、一問一答を一周したところで、脳みそが心地の良い疲労感に包まれていることを自覚した。
切りもいいし、今日の勉強を終えることにする。
これ以上やれないこともないが、そこまで無理をする必要はないだろう。
「うーん、ちょっと早いけど……ゲームしよっかな」
土曜日の夜といえば、俺にとってゲームだ。まだゲーマーお姉さんといつも一緒にやる予定時刻から一時間ほど早いが、試し打ちでもやっていればすぐに時間が来るだろう。
俺はひたすら黙々と試し打ちを進める。
出現する的に向かってエイムを合わせて撃つ。動く的に向かってエイムを合わせて撃つ。遮蔽や段差を駆使しつつも、動きながら止まっている的を撃つ。補助アビリティを使いながら撃つ。
ゲームは案外こういう基礎練習の反復が大事だったりする。ただ楽しくプレイし続けるだけよりも、座学や基礎練習を取り入れたほうが圧倒的に成長が早い。
というか、そうでもしないと上位勢には通用しない。対人戦ゲームなんて、おしなべてそんなものだ。
「もうそこまでゲームだけにのめり込んでいないエンジョイ勢といえど、やれることは全てやっておきたいよな。ただ、勝ち負けは気にしすぎないけど」
これが今の俺のゲームに対する姿勢だ。
三十分ほど試し打ち場にこもっていると、ゲーム上で通知とともにメッセージが来た。
俺は「男のゲーマー」ということもあり、フレンド申請の受付を解放すると、無限に申請が来てしまう。故にフレンドはゲーマーお姉さんのみにしているので、確実に彼女だ。
そのメッセージを見て、俺から通話をかけた。
「ちーす。ゲーマーお姉さん、こんばんわっす」
「うん、泰平。こんばんは。うへへ。えと……その、今日はちょっと早いんだね」
「はい。テスト勉強の息抜きっすね」
「テスト勉強かあ。そっかあ、そういうのあったなあ」
「大学生にもあるでしょ?」
「いやあ……私は普通に北キャンパスの人間だから、勉強はそこまで気合を入れなくてもいいんだよね。楽な単位の取り方とか、そういう小技でごまかせるからさ」
大学の北キャンパスは平均的な学力の生徒が入学する場所だ。
「あー、典型的なダメ大学生やってるんですか?」
「うーん、えっとねえ、私はそれ以下というか……ほら、私ってゲームしか取り柄がないでしょ? そんな女にコミュ力があると思う?」
「申し訳ないけど、思いませんね」
「でしょ? だから、大学でもボッチでいることが多いんだよね。へ、へへっ。そのくせ、友達が一人もいないってわけじゃないのが、私の中途半端なところというか……うん」
その自虐的な言葉を受け、確かめたいことができた。
俺はすぐに手元のスマホを操作し、ゲーマーお姉さんが配信者として活躍しているミサチャンネルを開く。
残っているアーカイブ一覧をざっと見てみた。
なるほど、一回で十時間を超えるような配信アーカイブが、ほぼ毎日残っているな。
ということは……
「なるほど。大学が終わったらすぐに帰って、その後はゲームばっか。そんな生活を送ってるんですね」
「へへ。えっとその……ね? まあ、そうなのかな。あっ、でも! ちゃんと毎日二食食べて、軽いストレッチもしてるんだよ! だから、失望しないでね!」
「……まあいいです。ゲーマーお姉さんは配信者なので、働き者というふうに捉えてあげましょう」
「へへへっ、泰平はやっぱり優しいね」
なんでだろう。優しいと言われると、意地悪したくなる。
無でもなく、有でもなく、全てでもなく、中道でもない。ただ自然に。
こんな気持ちも自然ってことで、ちょっと困らせてみよう。
「そういえば、今度リアルで一緒に出かけるって言いましたけど、いつにします? なんなら今から会います? こっちは準備オッケーですよ?」
「エッッッッッ!?!?!?」
あのー、ちゃんと人間の言葉でリアクションしてください。驚いているというのは分かったけど、それ以外が何も分からない。
「あのっ、あのあのあの、ね? え、へへっ、へ、全然、全然あれだよ。いくら出せばいいのかな? あんまりお金はないけど、知識なら無駄にあるから……へ、へへへっ」
「ゲーマーお姉さんは何を言ってるんですか? ちょっとした冗談ですよ」
「……え? でも、泰平がついに私の魅力に負けて、獣のように体を求めてくるって話は……?」
何? 大学生ってそんなことしか頭にないのか? 今のどこの会話にそういう流れがあった?
いや、ちょっと違うか。ゲーマーお姉さんの口ぶりからして……
「もしかして、誰かに余計なことをそそのかされました?」
「余計なことかは分からないけど、恋愛マスターのカオリにアドバイスは受けたよ。内容は『そろそろ体を求められるはずだよ』って感じのことを、すっごく自信満々に」
「おい、その恋愛マスターとは縁を切れって言いましたよね?」
なんだよその自称恋愛マスターは。ゲーマーお姉さんは信じちゃうんだから、テキトーなこと言うなよ。
「はぁ、ったく。まあいいです。今から会うのは冗談としても、ゲーマーお姉さん浄化計画はガンガン進めていくつもりですからね。ちゃんと覚悟していてくださいね」
少しでもゲーマーお姉さんを光の道へ戻さないと、帰ってこれなくなるかもしれない。過去の優しくて職人のような彼女に戻ってもらうため、やれることはやろう。
「ねえ、それ浄化計画って……私の膜が貫通することを期待してもいいのかな? いいよね!? ね!!」
「……クソがよお」
これはあれだな。今のゲーマーお姉さんの頭の中にはピンクしか広がっていない。一度そっちに行ってしまったら、なかなか帰ってこられないようだ。
これではダメだ。今のままただ話していても、こういう会話が続くだけだろう。
よし、軌道修正のために、ゲームの力に頼らせてもらおうか。
「ほら、ゲーマーお姉さん。画面共有したんで、俺の試し打ちの悪いところを指摘していってください」
「え? うん、全然いいけど」
ゲーマーお姉さんは少し不服そうにしながらも、俺の提案を了承してくれた。
「あっ、もうちょっと射程管理を意識して。射程ギリギリで当てなきゃその銃は弱いよ」
「違う違う。そのキャラコンだとエイムずらしになってない。X軸、Y軸、Z軸、すべてを使うの」
「泰平は置き撃ちがまだまだ甘いね。敵が来る場所を予測して、先にエイムを合わせておくの。マップは広いように見えるけど、案外戦闘場所って限られているからさ。そうそう。そんな感じ」
「………」
カチカチ、カチカチ、カチカチ――
……ゲーマーお姉さん、すげええええ!!!
俺の狙いはゲーマーお姉さんの頭に蔓延る「ピンクのモヤ」を振り払うことだったのだが、これは予想以上の成果だ。
やはりゲームに関しての知識や技術はすごい。俺が気づきもしなかった欠点を洗い出して、即座に指摘してくれた。しかも、試し打ちなんていうシンプルな基礎練習なのにだ。
俺はゲームの上手い人に弱い。素直に好感度が爆上がりだ。
ああ、できることなら。こういう真面目なゲーマーお姉さんと、一生ゲームしていたいものだなあ……
「あ、そうそう。ゲーマーお姉さん、うちの高校は七月二十一日から夏休みが始まるんですけど、大学ではどうなんですか?」
「ああ、そっか。高校生の夏休みはオナニーの日に始まるんだったね。大学は八月に入ってから始まるよ。それがどうしたの?」
しれっと下ネタが混ざっていたが、それは当たり前のようにスルーし、こう提案する。
「じゃあ、八月一日に一緒に出かけましょうか?」
「……うぇ!? 会うってのも結局冗談じゃないの!?」
「もちろん冗談じゃありませんよ。そうですね、最初はお昼に会って、カフェでちょっとお茶して帰るくらいから始めましょうか」
「ええー、男の子とそんな難易度の高いこと、私にできるかなあ」
俺は極めて難易度の低いことを提案したつもりなのだが……
「大丈夫ですよ。一緒にリハビリ頑張っていきましょう」
俺は優しい声色で、子どもに言い聞かせるように語りかけた。
「むぅ、別に病気じゃないのに……でも、うん、いいよ。私も泰平と会えるのを楽しみにしてるね」
「おっ、いい返しですね。今ので俺の好感度がさらに上がりました。この調子でゆっくり光の道へ戻っていきましょう! えいえいおー!」
「おー?」
その後、なんとなくノリで了承してしまったゲーマーお姉さんは、久しぶりにリアルで男と会うという事実を遅れて理解し、ベッドの上で喉が枯れるまで叫んだそうだ。




