第六話 相合傘
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
もし崩壊したとしても、俺は前の世界に帰れるのだろうか。そういう難しいことは俺には分からん。
でも、いずれ帰るために生きるのなんてつまんないし、何よりお前が「もっと真面目に生きろ」って怒るよな。
だから俺はこの世界を俺なりに全力で淡々と生きるよ。ごめんだけど、帰るつもりはない。
「うし」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
放課後、俺が学校の敷地外にある柔道部に行こうとした時。
「うわっ、天気予報では晴れだったのに、雨降ってきたよ」
少し前までの空気はお日様のカラッとした爽やかな匂いをしていたのに、今は湿った土のような匂いが立ち込めている。雨の匂いが好きな人も多いが、俺はやはり気持ちの良い晴れの日の香りが好きだ。
あまりに突然雨が降ってきたことに少し驚きつつも、妙な納得感もあった。もしかしたら今日は突然にわか雨が降るんじゃないか、なんとなくそうなる気がしていたのだ。
今日、授業が始まる前のことだ。内気小動物系美少女が、隠れて自分の机に主人公君の名前と自分の名前を相合傘に隣り合わせて書いているのを、主人公君に見つかりそうになり、
「ひゃっ、ひゃわわわ!? なんでもない! なんでもないのですっ! ぜ、全然相合傘なんて憧れてないから! 翼君の名前なんて、書いてないからっ!」
そう自爆しながら高速で消しゴムで机をこすった出来事があった。
主人公君は「どうしたの? そんなに慌てて」と、何が起こったのか全く気づかなかったが……あれでごまかせるのは主人公君くらいだろう。
そういうことがあったってことは、おおかた今は主人公君が内気小動物系美少女と「帰り道相合傘イベント」でも楽しんでいるのだろう。
かあー、いいなあ。羨ましい。あんなうるっうるな涙目で俺も見上げられたい。俺があんなことされたら、可愛さで確実に狂うね。間違いない。
この世界では都合のよすぎる妄想のように、時が止まったり、逆に飛んだりなどの理不尽なことは起こらないが、天候程度なら容易に変わる。天候さんは主人公君の忖度がお好きなようだ。
「まあ、俺は常に折りたたみ傘を持っているから良いんだけどね」
俺はこういうことがあるあるだと知っているので、備えは欠かさない。
いつ主人公君が起こすイベントに巻き込まれても良いように、折りたたみ傘から着替え一式、ちょっとした保存食までこのリュックには入っている。
「さてと、俺はせっせと真面目に柔道に取り組みますかね」
「あっ、先輩! 傘入れて下さい!」
人懐っこい笑みを浮かべながら俺の隣に一人の女性が入ってきた。シーブリーズだろうか、柑橘系の爽やかな香りが俺の鼻をくすぐる。
「おう、元気っ子後輩か。相変わらず今日も元気だな」
「うっすうっす」
この子は柔道部の唯一の後輩、元気っ子後輩だ。名前は……確か「シホ」とかそんなだった気がする。俺は「後輩」か「元気っ子後輩」としか呼ばないので、すっかり忘れそうになってしまった。
後輩は俺の隣でにししといたずらっぽい笑みを浮かべている。
相変わらず人に取り入るのが上手い。あと可愛い。死ぬほど可愛い。サイドテールが可愛い。八重歯が可愛い。俺に向ける太陽みたいな笑顔にいつも胸が温かくなる。
俺は思わず後輩の頭をくしゃっと撫でた。愛おしい奴め、このこの。
「先輩! 今日は一緒に投げ込みしませんか?」
「そうだなあ。後輩はやたら投げられるのが上手いから、俺も楽しいんだよな。うし、やるかあ」
「っしゃあ! バンバンやりましょう!」
歩きながら柔道部の道場へ向かう。道場はこの学校から歩いて二分ほどのところにあるので、楽しく会話を交わしているうちにあっという間に着いた。
「……ってあれ? 俺、相合傘してたじゃん」
「そうですよ。何言ってるんですか?」
「いや、なんかこう、男女二人で相合傘って、もっと甘酸っぺえ空間になるものとばかり思ってたからさ、拍子抜けというかなんというか」
こんな素直で可愛くて透明感のある美少女に相合傘してもらっているというのに、どうしたんだ俺? 熱でもあるのか?
いや、どう考えても健康も健康なのは分かってるけどさ。
「ああ、あの見ているだけで身体がむず痒くなるやつですよね。ああいうのは、お互いがお互いのことを想い合っているからそういう空気になるんじゃないですかね」
この言い分から少しだけ分かるように、後輩は恋愛というものがあまり得意ではない。みんな主人公君に夢中の世界なのに、初恋もまだだそうだ。
学校内にいれば主人公君とラブコメチャンスがあるのに、わざわざ校舎の外にある柔道部に入って生き生きとしていることからも、本当に苦手なのだろう。
(柔道部に入るってことは、ちょっとだけはみ出しものだということだからなあ……)
でも、そんなヒロイン失格のみんなが、俺は大好きだ。
やっぱりいくら妄想世界だって、こういう人はいるんだ。全員が全員、真っ向からヒロインになれるわけじゃない。ほんと、この学校に今までなかった柔道部を立ち上げてよかった。
「ええー、でも俺、後輩のことカツカレーくらい好きなのになあ」
「にししっ、宇宙一シホちゃんのこと大好きになってから出直してきて下さい」
「残念。カツカレーは俺の中で宇宙で三番目だわ。ちょっとだけ足りなかったかー」
「そもそも女子をカツカレーに例えるってどうなんですかね? そんなんだからモテないんすよ」
「ぐはっ、今のは効いたぜぇ……はあー、モテてえなあ」
楽しい。後輩とこういう何気ないやり取りをするのは、ドキドキこそしないが、最高に楽しい。今しかできない小さな青春をしているみたいだ。
何事もなく更衣室で着替え、受け身、打ち込み、投げ込みと、後輩とハードなメニューをこなしていく。
「でも、先輩ってモテそうなのにモテないんですね。私はそういうのよく分からないタイプなんであれですけど、私のお母さんが『泰平君って妙な大人な色気があるよねー』って話していたんで、ちょっと意外です」
主人公君がいるので高校時代に同級生などからモテるなんてことは起こらないが、もしこの世界に主人公君がいなければ、どうだったんだろう。
俺、後輩が言うようにモテたのかな。でも、「モテそう」と「モテる」は大きく違うってことを、俺は前世でよーく知っちゃってるからなあ。
「え? 俺、モテそう? それって俺に好意があるってことだよね! で、具体的にどこがモテそう? 後輩的には俺はあり? ズバリ、俺とセ◯クスできる???」
「……やっぱり嘘です。こんなデリカシーのない先輩には、一生彼女もできないし、モテることもありません。私のお母さんにも『泰平先輩に無理やり傷物にされました。およよよよ』って泣きつくことにします」
「やめて下さい死んでしまいます」
いつも通り、無でもなく、有でもなく、全てでもなく、中道でもない。ただ自然に。そして、柔道の教えである精力善用、自他共栄。それに加え、少し楽しく賑やかな日々を。
目の前のことに、とにかく全力で。
こんな風に。
「でもさあ! 後輩が二年生になったら、主人公君にホの字になって、俺には見せたことのないようなメスの顔するようになるんだろうなあー! ぐやじいよお゛!! お願いだから違うクラスになってくれ!!」
「あはは、訪れることのない未来を妄想して悲観する泰平先輩、滑稽ですね。てか相変わらず先輩、柔道する時うるさいですね。こんなにハードな練習中に、そこまでの声量。逆にすごいですよ」
「くっそ後輩が可愛くて辛い!! 最高かよ!! 切ねぇなあ!! さっき相合傘してもドキドキしないとか言ったけど、今になってなんか誇らしくなってきた! やっぱりちょっとだけテンションは上がってたんだわ! ってことで、もう一回やりたい!」
「せんぱーい、情緒がどんどんおかしくなってますよー」
「やっぱどう考えてもカツカレーより好きだわ! だって可愛すぎるもん! もはや後輩を食べたい!」
「でも先輩、誰に対しても可愛いって言うからなあ……」
「だってみんな可愛いんだもん! 女ナーフしろ! おら俺の愛を受け取れ!」
「はいはい、次は私が投げ込みますからね」
……まあ、俺のいつもなんてこんなもんだ。
この日の部活終わり、俺は元気っ子後輩を連れて、商店街のコロッケや炭酸飲料を奢った。つい元気っ子後輩には甘やかして貢ぎ倒したくなるので、しょっちゅうこんなことをしている気がする。
でも、好かれたいからさ。めちゃくちゃに好かれたいから仕方ないんだ。
さながら気分は娘を甘やかすお父さんだ。まあお父さんになったことがないから知らないけど。しかも娘じゃなくて余裕で異性として見ているけど。なんなら俺と結婚してほしいけど。
「俺の愛だ。受け取れ」
「泰平先輩、ありがとうございます! あっ、コロッケは受け取りますけど、愛はお返ししますね!」
たとえ奢ったとしても、カラッとしたお礼しか返ってこないとは分かっているのだが、それでも俺はこの無邪気な笑顔を見るだけで、もう全てがどうでも良くなる。元気っ子後輩、悪い女だぜ。




