第六十話 いつもの
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
なんとなーく思ったんだけどさ、現実の主人公君の名前って何なんだろうな。
ここでの主人公君は一ノ瀬翼という。直感的に主人公っぽいと感じる名前だよな。
だからかなあ。俺にはこの名前がどこか「作られたもの」のように感じてしまうのだ。
おそらく本当の主人公君の名前は、一ノ瀬でも、翼でもないんじゃないかな。何かしら名前にコンプレックスがあり、かっこいい名前として生まれたかった。そんなぼんやりとした欲求を持っていたのではないかな。
親との不仲、キラキラネーム、古風過ぎる名前など、自分の名前が嫌だと思ってしまう様々なパターンを頭に思い浮かべてみた。俺にはこれくらいしか思いつかなかったが、この中にコンプレックスの原因はあるのだろうか。
まあどちらにせよ、名前の持つイメージと、現実との乖離が原因ではあるのだろうな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
男という存在は、この世界では大切にされる存在のはずだ。それこそ、たとえ主人公君という極上の男がいようと、関係なく、だ。
だから、暴力を振るわれることなんて、そうそうない。
はずなのだが……
「痛い痛い痛い! ギブギブギブ!」
朝の一幕、俺はクラスメイトの女子にアイアンクローをされていた。
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「それは何に対してごめんなさい?」
「……えと、全校朝礼の時に、座っていたスポーツ万能美少女に『パンツ丸見えだぞ』って指摘したことか? それとも髪をばっさり切ったスポーツ万能美少女に対して『前のポニテの方が好きだった』って言ったこと? 痛てててて!」
「確かにどっちもちょっとムカついたけど、違うから! はい次、ちゃんと謝らないと、アイアンクローは一生続けるからね」
「えと、じゃああれか? 昔スポーツ万能美少女に対して『サッカー部の癖にサッカーだけはそこまで上手くないんだな?』って煽ったことか? 痛い痛い痛い! マジで痛い! さっきより痛くなったんだけど!」
「ムキーッ! 言っとくけどねえ! 私はすでに大学側からスカウトがきてるくらいには実力があるの! あんたが対私のディフェンスが妙に上手いだけでしょうが!」
そう、サッカーにおいて、俺は何故かこのスポーツ万能美少女の一手先の動きが手に取るように分かってしまう。サッカー界ではこのスポーツ万能美少女の動きを「理屈を超えた動き」などと褒めはやされているらしいが……それでも素人の俺が直感的に感じ取ることができるんだから、不思議だよな。
その理由の一つは、俺がスポーツ万能美少女の「思考の癖」を知っていること。
こいつは、その恵まれた身体能力を存分に使うことを心から楽しむ。それを知っているから「スポーツ万能美少女が最高に楽しむためには、こう動きそうだな」と高い精度で読むことができるのだ。
まあ、普通はそれに気づいたからといって、一般人に止められるのかと言えば、そうではないのだろうが……これはもう一つの理由が解決してくれる。
スポーツ万能美少女の体の動かし方が、ゲーマーお姉さんの人知を超えたゲームのキャラコンにそっくりなのだ。かつてあの動きを本気で真似しようとして挫折した経験が、巡り巡って今、こんな形で役に立っている。
「はははっ、どんまい! でもさ、別に俺ってサッカーに関してはディフェンスだけで、パスもシュートもからっきしなんだから、そんなこと気にすんなよ! 多分スポーツ万能美少女はサッカーうまいよ。知らんけど痛い痛い痛い! なんかものっすごい痛い!」
「はあー……アンタは昔っから私の神経を逆撫でする天才ね」
俺のこめかみに拳をグリグリとしたスポーツ万能美少女は、大きなため息とともにようやく手を離してくれた。これ以上追求しても仕方ないと思われたのだろう。
「あー、痛かったぁ。で、結局あれか? 俺が前にスポーツ万能美少女に『毛の処理が甘い』って指摘したことが悪かったのか」
「ふん!」
「痛って!」
女子から肩パンされたんだけど。しかもかなり痛いんだけど。
「くっそー、俺達って相性いいはずなんだけどなあ。ちなみに俺はスポーツ万能美少女の底抜けに明るい笑顔も、チラリと見える八重歯も、大好きだぞ!」
「どこが相性いいのよ。あんたみたいな神経を逆撫でてくる男だけは、絶対無理だから」
「でも、嫌よ嫌よも好きのうち。大嫌いから始まる恋愛は王道……なはずなのに、びっくりするほどそんな気配がありませんね。おかしい。友達になる気配すら感じない。俺はこんなに仲良くなりたいのに」
この通り、俺が一方的に気に入っているだけで、相手からは割とちゃんと俺の失礼な部分を嫌われているんだよなあ……
「そうね、あんたのそのデリカシーのない所が治ったのなら、友達になることも考えてあげるわ。じゃあね」
どうでも良さそうにそう言うと、スポーツ万能美少女は翼君の元へと駆け寄っていった。
それから、主人公君はスポーツ万能美少女をちらりと見て、優しい表情を浮かべた。
「あ、髪切ったんだね。以前のポニーテールの姿も可愛かったけど、ショートも大人っぽくて素敵だね」
「えへへっ、翼君。ありがとっ」
くっそ、主人公君相手にはそんな頬を赤らめやがってさあ。手ぐしで髪を触りやがって可愛いなお前。少し日焼けした肌も、弾むような声も、その笑顔も、全部クソ可愛いぞ。てか俺にもその笑顔向けろ。
いやあ、この敗北感ったらないね。
……なるほどなあ。主人公君みたいに、ああやって褒めればいいのかあ。
でも、ほんとにポニテ姿の方が好みだったのだ。これはもう、致し方なしってことで。
そう自分を納得させていると、背後から聞き慣れたため息が聞こえてきた。
「ほんと、泰平も懲りないわね。なんで怒ってたのか、実は分かってるでしょ?」
「おっ、ツンデレ美少女。おはー。まあな。でも、八重歯ってチャーミングで可愛いと思うんだけどなあ……」
今日も「八重歯が最高にキュートだな!」って言った直後、ああしてアイアンクローをされた。原因は明白だったが、俺がスポーツ万能美少女と戯れたかったので、あえて答えなかったのだ。
「あなたがそう思っても、本人が気にしてるのよ」
八重歯を気にするなんてとんでもない。元気っ子後輩の八重歯も、スポーツ万能美少女の八重歯も等しくいいものだ。
「あーあ、八重歯なんてあればあるだけいいのに。人生ままならねえなあ」
俺は自分の気持ちに嘘をつけないからなあ。
しゃあない、こうなったら脳内でスポーツ万能美少女の言動を勝手にツンデレ化して楽しむことにするかあ。
『あんたなんて神経を逆撫でしてくる男なんて、絶対無理なんだからね!』
うん、脳内でツンデレに変換するなど、俺にとって造作もないな。ぐへへ。
「人生ままならないって……あなたが八重歯について口にしないだけで済む話でしょうが……」
おっと、またツンデレ美少女にため息を吐かれてしまった。
「今日は朝からため息を吐かれる回数が多いなあ」
「じゃあ、私のため息を吸いなさい」
「うおっ! ぶりっ子先輩、いたんですか」
「今来たのよ。泰平に用があってね」
そう言いながらぬるりと俺の正面へと回り込み、俺の目の前でわざとらしくため息を吐いた。俺も慣れたもので、何の違和感もなく先輩の吐息を吸っていた。
やってみて分かったが、なんだかこれはそんなにいいものじゃない。というか、もどかしいという気持ちが強い。やるならもっと……いや、なんでもない。
「で、何の用ですか?」
「別に大したことじゃないわ。あれがやりたくなったから、ちょっと抱っこしてくれる?」
「……今ですか?」
「別にいいでしょ?」
「まあ、いい……のかなあ? まあ先輩だしいっか」
俺が納得し立ち上がった瞬間、ぶりっ子先輩は俺のインナーの裾から頭を突っ込み、服の中へ潜り込んだ。すかさずぴょんと俺に全体重を乗っけてきたので、お尻を支えて抱える。
ツンデレ美少女が「お前ら何してるんだよ……」みたいな目で見てくるが、まあ、ぶりっ子先輩だし。そういうもんだと受け入れてしまったほうが楽だぞ。
「……むご、むぅ……んぅ、ふひよ」
服の中からくぐもった声が聞こえてくる。素肌から直接感じる先輩の湿っぽい吐息がくすぐったい。
唇を完全に俺の胸板にくっつけて話しているので、俺以外は何を言っているのか解読不可能だろうな。
「へへへっ、ありがとうございます。実は俺もです」
俺は付き合いも長いので、先輩が何を言っているのか分かる。ぶりっ子先輩は『あなたの心臓の音、好きよ』と言ってくれたのだ。
直接かつ明確に好意を伝えられないルールがあるのだが、先輩はこのようにして俺に愛を伝えてくれることがある。こうされると、いつも俺の心と体は柔らかくほどけていく。
「むふふ」
また服の中からくぐもった声が聞こえてきたが、今のはみんな分かっただろう。ただ喜んでいるだけだ。
「……んむ、もご……んぅ……ふむ……ほほぅ、ふひよ」
「褒めすぎですって」
今のは『あなたの胸板も好き。肌質も好き。匂いも好き』だ。正直「俺も」と返事したかったが、俺が言うと変態チックになるのでやめておいた。
ぶりっ子先輩は俺の服の中でしばらく深呼吸を繰り返したのち、するりと外へでてきた。心なしか肌艶が良くなっている気がする。
「ふぅー、ありがと。おかげでリラックスできたわ」
「それならよかったです」
「泰平も最近頑張りすぎだから、少し体の力を抜きなさい。帰り道に同じ事の逆バージョンをやってあげるわ。いいわね?」
「はーい」
あれ? なんか身体が軽い。
いつの間にか全身に無意識に入っていた力が抜けているような……
もしや、俺のほうがリラックスできている?
親しい人にマッサージされる時、実はマッサージする側の方が癒されているというのは有名な話だ。今回のケースもそれと似たようなものなのかもしれないな。
それから何事もなかったかのように、ぶりっ子先輩は自分の教室へと帰っていった。
「あなた達って……いや、なんでもないわ」
少し頬を赤らめたツンデレ美少女に、またため息を吐かれてしまった。




