第五十六話 引き締められる
熱に浮かされたような白ギャル先輩と一緒に、普通っ子とぶりっ子先輩も各々の家へと帰った。
その後のことはずっとふわふわしていたので、もう覚えていない。
そして今、辺りを見渡すと、どこまでも真っ白な世界が広がっている。
ここは――
そうか、また面会室へ来たのか。
「あら、こんにちは」
「こんちわっす。また会いましたね」
透明な壁の向こう側で、車椅子お姉さんが蠱惑的な笑みを浮かべながら俺に手を振る。何かを含ませたようないつもの笑みが、やけに様になっている。
「っふふ……あら? あなた、いつもより浮かれている?」
「お? 分かります。今の俺、浮つきまくってるんですよ。実はですね――」
昨日の疑似結婚式のことを話したくて仕方なかった俺は、乞われる前に話す勢いで、つらつらと話していった。
俺の熱量の高い、長い話を聞き終えた車椅子お姉さんが、満を持して口を開く。
「ムカつくわ」
「ええー、開口一番の感想がそれですか? もっとなんかくださいよ。『頑張ったね?』とか、『いいなあ』とか、そういうのないんですか?」
「っふふ、じゃあ、そうね……感想代わりに、冷水を浴びせてあげるわ」
「冷水、ねえ。多少のことじゃあ今の俺は動じませんよ?」
なにせ今の俺は、幸せすぎて全能感に溢れているのだ。多少の罵倒程度、屁の河童だろう。
「っふふ。ねえ、あなたのその気持ち、いつまで続くかしら」
「はい?」
「そりゃあ今は楽しいのかもしれないけど、楽しいのはあなただけなんじゃなくて?」
その言葉には、彼女のいつものような嘘か本当かが分からないような曖昧さがなかった。
瞳の奥の冷たい光が、俺を蔑むように刺してくる。
「はあー、ったく、いるのよね。サプライズが必ず喜んでもらえるって勘違いしているあなたみたいな痛いバカ男。こっちはサプライズなんてありがた迷惑なのよ」
「いやいや、白ギャル先輩に限ってそんなことは――」
「本当にそう断言できる? あなたがやったことは、ただのあなたの自己満足ではないの?」
矢継ぎ早に、一切の逃げ道を許さず、彼女は俺を問い詰める。
「いやまあ、そう言われればそうかもしれませんが……一応俺もめちゃくちゃ考えた結果、ああいうことをしたわけで」
「ふぅん。そう。考えた結果、ああいうことをしたわけ、と。でも、まだ恋人にもなっていないのに、いきなりプロポーズまがいなことをされるのって、過程をすっ飛ばしすぎじゃない?」
「まあ、そうなんですけど……」
「あなたは結婚した後のことを現実的に考えている? 将来性は? 相手方の家族との関係性は? そこのところどう考えているの?」
「えと、そういうのはこれからゆっくり……」
「そう、考えてないのね。ねえ、あなた。そもそもあなたのやっていることって、ただの束縛じゃない? その先輩が誰かのものになるのが嫌だから、先走って約束しただけでしょ? 察しのいい先輩さんにはそういうあなたの器の小さな部分もバレてるんじゃないかしら?」
「……いや、違くて」
「それに、もしあなたのやったことが喜んでもらえていたとしても、恋ってのは厄介なものよ。最初は『この人しかいない』と確信していても、一緒に過ごす内にどんどん相手の嫌な部分も見えてくるものなの。だから世の中には別れたり、離婚したりする男女が絶えないの」
「………」
「日本の離婚率は三組に一人と言われることもあるわ。本来、それくらい恋や愛ってのは現実的なものなの。それなのに今のあなたは、幸せな将来が確定したかのように浮かれきっている。その状態を慢心と言うの。っふふ、分かったかしら?」
「あい」
「よろしい」
俺が落ち込んだ姿を見ると、車椅子お姉さんはようやく満足げな笑みを浮かべた。
「さて、と。あなたをやり込めて気持ちよくなったところで、今日もあなたの話を聞かせてくれる?」
「ええー、もうそういう空気じゃなくないですか?」
さっきまでパンパンに膨らんでいた気持ちが、一気にしぼんでしまった。
「愚かね。言い訳の一つも思いつかないの?」
……ほぉん。
「私の言ったことなんてそれっぽいだけで、的外れも的外れなんだから、『それでも俺は!』ってくらいの気概を見せなさいよ。ああいう問い詰め方なんて、ただの“認知過負荷”という心理テクニックを使った圧迫交渉なのだから、負けちゃだめよ」
この手の立ちふるまいは、心理テクニックというより、シンプルにパワハラと表現されることが多いらしい。
「まあ、浮かれきっててウザかったのは確かだって気づいちゃったんで。それに、車椅子お姉さんのさっきの言葉には、珍しく真面目さがありました。だから、これはしっかり気をつけておいたほうがいいなって納得したんですよ」
語気や言葉の火力こそ強かったのは確かだが、一言一言に俺への思いやりがあったような気がしたのだ。もちろん意味深でミステリアスな彼女のことなので、まるっきり勘違いかもしれない。でも、俺はこういう時はシンプルに直感を信じることにしている。
それこそ俺なりの【いつも通り、無でもなく、有でもなく、全てでもなく、中道でもない。ただ自然に】って考え方だ。
「はぁー……あなたって妙に察しのいい時があるのが面倒ね。それも、ずっと察しがいいわけじゃなくて、不安定なのが余計厄介だわ」
「ってことは、やっぱり俺のために言ってくれてたんですね」
「違うわ。ただあなたがムカついたから説教しただけよ」
「あっ、それは絶対本心だ。マジすんません」
「……ふん、まあいいわ。私が言ったことを覚えて帰れたのならば、一度私の言葉の一言一言に反論してみなさい。さっきは私の迫力に押されて咄嗟に言葉がでなかっただけで、冷静になってゆっくり考えさえできれば、全て反論できるはずよ。あなたって案外バカじゃないもの」
車椅子お姉さんが俺のことをバカじゃないと褒めてくれるのは嬉しいが、俺自身は自分のことをそこまで賢いとは思っていない。ただ後悔したくないから、毎日を全力で淡々と生きているだけだ。
「さて、と。確かに今日はもうあなたの話を聞く気分でもないわね。それじゃあせっかくだし、今日はさっきの流れに従って、真面目なアドバイスでもしましょうか」
「お? 捻くれ者の車椅子お姉さんにしては珍しいですね。どういう風の吹き回しですか?」
「ふぅん。一応あなたのために伝えておいたほうがいい話なんだけど、そんな態度を取るのなら話さないわよ」
「冗談、冗談、嘘ですやん! 俺は車椅子お姉さんの話を聞きたくてたまりません! ということで、おなしゃーす!」
「……やっぱり今日のあなた、ムカつくわ」
車椅子お姉さんはわざとらしくため息を吐いたのち、俺に見せつけるように指を二本立てた。口ではそう言いつつも、結局教えてくれるらしい。
「あなたにアドバイスすることが二つあるわ」
「二つ」
「一つは超個人的なアドバイスだから、こっちを先に伝えるわね。まず、あなたって今、成就している恋は三人と考えてもいいのよね」
「ええっと、まあ二人は確実ですね。白ギャル先輩も入れていいのなら三人です」
「そう。二人はいいけど、その先輩との恋が成就するだけは、特にムカつくわね」
「なんで!?」
「あなたが自分の意思で、真っ当に恋人を選んだことがムカつくのよ……って、話が逸れたわね。ここからがアドバイスよ。あなた、恋人を作るのなら四人までにしたほうがいいわ」
「……はい? なんでですか?」
「なんでかは教えてあげない。ムカつくもの」
「ええ……」
それから少し粘るも、車椅子お姉さんは一向に理由を教えてくれなかった。
「さて、そろそろ二つ目のアドバイスをするわよ。こっちは理由もしっかり教えてあげるから、絶対に守りなさい」
「まあ、内容によります」
「ふん、まあいいわ。さて、心して聞きなさい。私の推理によると、あなたは色んなシチュエーションが重なった場合、おそらくその世界に強く根付いている“高校を卒業するまでは本気で異性に対して好意を伝えられない”というルールを破ることができるわ。だってそのルールは、どう考えても女性を縛る世界のルールだもの」
「おっ、そうなんですね」
「何を嬉しそうにしているのよ。これは警告よ」
「警告?」
「ルールを破るとペナルティがあるのが自然でしょ? だから、もしあなたが明確にそのルールを破った場合、その世界から弾き出される可能性があるわ」
「……は?」
一筋の汗が背中を伝い、落ちていった。
ちょっと待った。それって結構とんでもないことじゃないか?
そもそも、この世界から弾き出された場合、どうなるんだ? 元の世界に戻るのか? それとも、別の妄想の世界にでも連れて行かれるのか?
「ちゃんと根拠もあるわよ。だって――あら、時間のようね」
そこで車椅子お姉さんは、にんまりと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ええー! もうちょい! 全部早口でいいので、最後まで伝えきってください!」
おそらくこんなチャンスはそうそう巡ってこないはずだ。次回会えたとして、捻くれ者の彼女は絶対にアドバイスなんてしてくれないだろう。
「っふふ、どうしようかしら。今日だけは教えてあげてもいい気分なのだけど……時間なら仕方ないわよね」
「ちょ、早く早く……」
俺が矢継ぎ早に問い詰めるも、無慈悲にもタイムオーバーとなってしまった。
ひらひらと手を振るお姉さんを見ながら、俺という意識が体とともに透明になっていく。
それから、いつものように泰平はここでの記憶を完全に忘れ、何事もなかったかのようにいつもの日々を過ごしていった。
その後。
「……私がいない世界でも、どんどん魅力的になるのね。ムカつくわ」
この空間に一人残された車椅子お姉さんは、小さく舌打ちしながらメガネを粗雑に外す。
それから、何事もなかったかのように車椅子からすくっと立ち上がったかと思えば、ドカドカと不機嫌そうに大股で歩いていったのだった。




