第五十三話 岩盤浴
「ねえ、泰平。何か普通の話してよ」
狭い暗がりの中、白ギャル先輩が唐突にそう告げた。おそらく密着した状態でしばらく無言が続き、ほんの少し気恥ずかしいのだろう。
でもなあ。そう言われましても。俺は今、先輩に甘えられているような体勢のせいで、若干パニックなんですが。
それでもなんとか脳を振り絞って、咄嗟に話題を出す。
「あー、最近では空気入れでシュコシュコするとは言わないですよね。機械化の影響で、ぶおおおおって感じなんで」
「ふふっ、何よその話題。ふふっ、ふふふふふっ」
こんな意味不明のしょうもない話題なのに、白ギャル先輩は妙にツボに入ったようだ。俺の胸の中で小刻みに体を揺らしている。
たったそれだけで俺は舞い上がってしまった。好きな人の前で情けなくも緊張していたというのに、今度は調子に乗りすぎそうだ。
少し空気が柔らかくなったので、「もうさっきの件に触れていいかな」と考えた俺は、少し前の話に遡ってみた。
「にしても、カエデって案外古い価値観を持っているんですねえ。今どきの男子は自分の身は自分で守るのが常識なんですよ?」
カエデと呼び捨てにするのももう慣れたものだ。
……いや嘘。見栄はりました。
体の内側が焦げ付きそうなくらい熱いです。
今日はなるべくカッコつけたいので、我慢するし、なんでもないように見せるけどね。
「確かにそういう傾向はあるかもしれないけどさあ。結局男性を守れる女性がモテるって、雑誌とかテレビがいっつも言ってるんだもん」
「まあ、それはそうかもしれないですね。男ってそういう風潮を上手く使いこなして、女性を思い通りにしようとする輩が一定以上いますからね。どこに行ってもそれができる女性は需要があるでしょうね」
「そうでしょ。それに、男を守ることはもはや女性の本能なんだから、仕方ないことなのよ」
「しゃあないなあ。なら、カエデにちょびっとだけ守られてあげますかあ。本当は俺がカエデを命を賭けてでも守りたいんだけどなあ」
ここは一旦引く。だが、白ギャル先輩はいっぱい愛されて、甘やかして、守られてこそキラキラと魅力的になる女性だ。
愛への感受性が高いからなのか、いつだって全力で俺が「好き」を態度に出すと、その気持ちに呼応するように応えてくれる。白ギャル先輩は、なんとも愛しがいのある懐と愛の深い女性なのだ。
「ふふっ、泰平はあーしに一生守られてればいいの」
ふとこぼした白ギャル先輩の言葉により、俺のテンションは最高潮にまで達した。
「なるほどそれはプロポーズということですね。ありがとうございます。俺もカエデを一生守り続けますね」
「~~ッ! バカ。そういうことは軽々しく言わないの。分かった?」
確かに軽々しくは言ったが、軽い気持ちではないんだがなあ。直接好きと言えない分、こうするしかできないから、こうやってズルしてるだけだもん。
「はあーい」
まあ、俺の軽い言葉の裏に隠れた熱は伝わっているだろうから、あえて反論はしない。 言っていることは白ギャル先輩の方が正しいからな。
「さて泰平、そろそろ岩盤浴とやらに行こっか」
「そうですね。ここは六種類も岩盤浴がありますから、今日で全制覇しましょうか」
「じゃあさ、最初はあの“黙浴の間”に行かない? 実はちょっとだけ気になってたんだけどさ。今日の泰平、ちょっとだけ眠そうよ?」
「あら、よく気づきましたね。実は昨日はあんまり寝られなかったんですよね」
俺は今日のデートにプロポーズ級の気合を入れてきた。そりゃあ緊張だってする。
「だって泰平、いつもより目がトロンとしてるもの。だからいつもより周りへの警戒心がなかったんじゃない?」
「そうなんですかねえ。カエデが言うのならそうな気がしてきました」
「うん、きっとそうよ。じゃ、あの部屋でちょっとだけ一緒に寝ましょ?」
「はあーい」
俺の体は素直なもので、眠そうと言われた途端、高揚感のせいで気にならなかった眠気が一気に襲ってきた。
「……なんか『一緒に寝ましょ?』ってベッドに誘うみたいでエッチですね――いてっ」
「馬鹿言ってないで、早く」
軽くデコピンをされて制裁されたのち、白ギャル先輩に手を引かれながら黙浴の間に入った。
ここは温度がぬるめに設定されている。私語が一切禁止されており、微かにヒーリングミュージックが流れるだけの、静かで暗い場所だ。
最初に支給されていたバスタオルを床に敷き、俺達は隣り合って寝転んだ。
「(泰平。おやすみなさい)」
「(カエデ。おやすみなさい)」
お互いに耳元で小さく囁き合う。それから小指だけ絡ませ、先輩の体温を感じながら、心地よい睡魔に身を委ねていった――
穏やかな眠りから覚めると、白ギャル先輩が俺の寝顔をじっと見ていた。なるほどこれは最高の目覚めだ。
自分の体に意識を向けると、体の奥からサラサラとした汗をかいていることが分かる。最初はぬるく感じたこの部屋でも、遠赤外線の効果か、普段より汗をかきやすいようだ。
俺達は軽くアイコンタクトをしたのち、この黙浴の間から出た。
クールダウンがてら清涼の間に入り、ひんやりとした空気で火照った体を冷ます。ここは室温が十度前後に設定されており、扇風機も数個併設され、絶え間なく風が流れている。
冷たく爽やかな風がとても心地良い。血管が収縮し、熱気がスッと引いていくのを感じる。ふわふわとした恍惚感が気持ちいい。
「ふぅー。なるほど。気持ちいいわね。岩盤浴で温まって、この清涼の間で涼むっていうのが一連の流れなのね」
「そうです。なかなかリラックスできるでしょ?」
「うん、気に入ったわ」
「それならよかったです。あ、カエデ。そろそろお腹が空いてきてません?」
汗をかいて代謝が上がっているせいか、俺はお腹がペコペコだ。
「そうね。そろそろいい時間ね」
「じゃあ、軽くなにか昼食を食べて、その後もこの施設を上から下まで楽しみ尽くしましょうか」
俺達は併設されているレストランで昼食を食べることにした。
レストランの種類は何店舗かあったのだが、今回はカツカレーを食べることに決めた。理由は単純。お互いにガッツリ食べたい気分だったから。
クーラーの効いた店内でお互いカツカレーの大盛りを食べる。同時にキンキンに冷えたオロポという飲み物をジョッキで飲む。このオロポというのがまたうまい。オロナミンCとポカリスエットを混ぜたドリンクらしいが、これはいいものだ。
汗をたくさんかいた体に、水分とビタミンと電解質が染み渡っていく。この爽快感は病みつきになること必須だろう。
「カエデ、次はどこへ行きましょっか」
岩塩の間なら美肌効果がある。
焔の間なら熱めの熱気と、定期的にロウリュウのサービスがある。
星空の間はとにかく雰囲気がロマンチック。
和みの間はスマホや漫画の持ち出しオッケーで、とにかくダラダラできる。
さて、どの順番で回ろうか。
「なら泰平、次は美肌の間へ行きましょう」
「ふふっ、岩塩の間ですよ。でも、これ以上綺麗になられたら困るんですけど」
白ギャル先輩は今日ずっと可愛い。いつも死ぬほど可愛いのだが、今日は普段の二倍は確実に可愛い。いつもよりも甘えてくれるし、瞳もずっとキラキラしてるし。少し上気した頬とか反則だと思う。
それに、さっきから俺と目が合うたびに、ほんの少しだけ口元が緩む。本当に可愛い。一向に心臓が休まる隙がない。
「大丈夫よ。美には限界はないもの。さあ、行きましょうか」
「そうですね」
さて、俺の心臓は最後まで持つのだろうか。
そこからはもう、自制心との戦いだった。色んな場所を回り、時には何もせずのんびりだらけたり、会話にふけったり、同じ漫画を読んだり。
なんてことないはずのことが、全て新鮮で楽しい。隣に白ギャル先輩がいるだけで、魔法をかけられたかのように、全ての経験が特別になってしまう。
特に最後に行った星空の間はヤバかった。
俺達はプロジェクションマッピングによって天井一面に映し出された満天の星空を眺めながら、やや低めの温度の空間を楽しんでいた。
ふと横を見ると、先輩も同時に俺を見ていた。
満天の星空の光が反射した白ギャル先輩の表情。綺麗すぎて怖くなってしまったほどだ。
勇気を出して、先輩の手を迎えに行く。最初はそっと握り、スライドさせるように恋人つなぎへと変えていく。
「カエデ」
「泰平」
お互いを呼ぶ声に甘さが増す。
名前を呼び合うだけでとろけるような幸せが駆け巡る。
向かい合って両手を恋人つなぎの状態にする。
何度も何度も名前を呼び合う。
もう俺達はお互いのことしか見えていなかった。
このまま時が止まればいいのに。
自然と身を寄せ合い、おでこをくっつけ合い、鼻と鼻がくっつく。
もう少し近づけば――
お互いの吐息を感じる。
くすぐったい。
イケナイことをしているようで心臓が爆発しそうだ。
お互いがお互いに、極限まで甘く酔いしれていた。
その時、白ギャル先輩が目をつぶった。まるで俺に全身を預けるかのように、しっとりと。
今、本当に一瞬、時が止まった。
もう自分で自分を止められない。頭の奥で警鐘がガンガン鳴っているが、そんなもので今の俺は止まらない。
より強く情熱的に手を握り、大きな流れのままに身を任せる。
上唇と上唇の先がほんの一瞬、当たったかのような気がした、その時だった。
「まもなく焔の間にて、当店スタッフによるロウリュウサービスが始まります――」
スタッフさんによる告知によって正気に戻った俺達は、ぱっと一度手を離してしまった。
「……泰平、行こっか」
「そうですね」
俺も白ギャル先輩も、耳が過去最高に真っ赤になっていた。
それでも勇気を振り絞って、もう一度先輩の手を握り、予定の時間まで二人で岩盤浴を楽しみ尽くしたのだった。




