第五十二話 岩盤浴
白ギャル先輩にからかわれながらも無事に岩盤浴場にたどり着いた俺は、二人分の受付を済ませ、更衣室で二手に別れた。
まずは大浴場で各々体を洗い、軽く風呂に浸かってから、岩盤浴場で合流する予定だ。充分岩盤浴を楽しんだら、最後にまた大浴場に行き、そこからが今日のメインディッシュという流れだ。
「じゃ、三十分後に二階の岩盤浴場で。とはいいつつ、あんまり時間は気にしないでいいですよ。多少前後しても漫画とかでいくらでも時間は潰せますから」
「分かったわ」
一応男女ののれんが間違っていないかしっかり確認し、更衣室へ入場する。
この岩盤浴場に併設してある大浴場は、極稀にスタッフのミスでのれんの男女を間違えることがあるという噂がある。
その事実を聞いてふとピンと来た俺は、事前にこの岩盤浴場についてのちょっとした聞き込み調査を行っていた。その結果、そのミスは主人公君がここにいる時以外には発生することはないことが判明した。
これはおそらくだが、主人公君は何も悪くないのに女性風呂に入ってしまい、一緒に来ていた女性の裸を見てしまう。そんなラブコメのお約束を成立させるための現象なのだろう。
主人公君の周りではそういう理不尽が平気で起こるので、これからも巻き込まれても対処できるように事前準備は欠かさないでおこう。
大浴場で体を洗い、軽く風呂に浸かったのち、岩盤浴着に着替える。男性は青色、女性はピンクの岩盤浴着となっているようだ。
待ち合わせ時間の十分ほど前に岩盤浴場に着いた。以前『家族で来ても一時間くらいで帰ってしまう』と発言していたので、ひょっとするとすでにいるかと期待したが、まだ白ギャル先輩は来ていないようだ。
おそらくもうすぐ来るので、水分補給でもしながらゆっくりしておこう。
「お、お兄さん。一人? な、ならウチ達と遊ばない?」
俺がソファーでだらけながら待っていると、三人の三十代かと思われる女性達に囲まれた。
……あー、ナンパかな? 最近はあんまり一人でいることがなかったから、ちょっと油断していたかも。
あと、その後ろの二人、そんな風にぎこちないセクシーポーズをしても、面白いだけでナンパの成功率は上がりませんよ?
「ごめんなさい。ほら、この首輪」
俺は五人の妻が居ることを示す黒い首輪を指さした。これがある限り俺は法律で守られているので、相当のことがない限り危険に陥ることはない。
「それでもいい! それでもいいから、おばさん達にちょっとだけでも潤いを! ちょっと会話してくれるだけでいいの! こんなところに隙だらけの男が落ちているなんて、早々ないんだから!」
「男を遺失物扱いしないでくれます?」
「でも! 道端に五億入った財布が落ちてたら、拾って自分のものにするでしょ? そういうことよ!」
「いや、交番に届けましょうよ……」
大抵のナンパは首輪を見せて断ると諦めてくれるのだが、この人達はそうではなかった。鼻息を荒げてすがるような目でどんどん迫ってくる。
同時に彼女達から邪な視線を感じる。別に露出が多いわけではないのだが……
ああ、そうか。一人でいることや、この服の下に何も着ていないことなどを加味して、無防備な男性に見えるのだろう。
「あー……すみません。一人で来ているわけじゃないんですよ。今日は俺の大好きな人と来ているので、やっぱりごめんなさい」
「でも、こんな場所に男を一人で放っておくなんて、大事にされてないんじゃないの?」
「いや、俺が妻(予定)のことが好きすぎて、気持ちがはやってですね。待ち合わせより早めに着いちゃったんですよ」
「いやいや、嘘をつくにしてもそれはないよ。そんな健気な男がいるわけないでしょ。お兄さん、やっぱり一人で来てるんでしょ? そうでしょ? そうだよね!」
……うーんどうしよ。面倒なことになった。全部本当なのに、信じてもらえない。
いつもならもうちょい簡単に諦めてくれるのだがなあ。今日はこの格好と、ウキウキしすぎたことが原因か、ワンチャンあるように見えるのだろうな。なんか期待をさせて逆に申し訳ない。
俺は頬をポリポリとかきながら、視線を斜めに彷徨わせた。
その時。
「ねえ、人の男にナンパするのやめてくれない」
俺がはたはた困っていると、白ギャル先輩が俺達の間に割り込んでくれた。
三人のナンパ達は白ギャル先輩の迫力に明らかに戸惑っている。白ギャル先輩は柔道でも強いし、若者だし、本気を出すと意外と迫力があるのだ。
「あ、あはは……なんでもないです。ちょっとおばさん達、舞い上がっちゃったの。では失礼。おほほほほ~」
三人はそそくさとこの場から去っていったのだった。
「ありがとうございます! さて、じゃあさっそく岩盤浴を楽しみま――」
「泰平、説教」
俺の言葉をあえて遮り、冷たくそう言い放った。
「……はい。危機感が足りていませんでした。申し訳ございませんでした」
「うん、あっちの暗がりでちょっとお話しよっか」
謝っても許してくれる気配はなさそうだ。
俺は白ギャル先輩に強引に手を引かれ、休憩スペースのフラットシートに連れてこられた。
この休憩室はカプセルホテルのような、簡易的に区切られた場所となっている。基本暗いのだが、備え付けのライトを操作すれば漫画を読むには困らない明るさが出るみたいだ。
本来一人用の空間だが、一区画に二人で入った。一人だと少し大きめの空間なので、二人くらいなら余裕で入る。でも、やはり元々は一人用。多少肌と肌が密着することは避けられない。
そのせいだろう、今からここで説教されるというのに、俺は勝手に先輩のわずかに香るせっけんの香りにドキドキしてしまっている。
「「………」」
白ギャル先輩が狭く暗い空間で俺の目を覗き見る。
……あれ?
どうしてだろう。彼女の瞳には、今から説教するような力強さがない。それどころか、どこか不安げにか細く揺れていた。
「泰平を一人にしてしまって、ごめんなさい」
開口一番、白ギャル先輩は俺に消え入りそうな声でそう告げた。
「えっ、なんで先輩が謝るんですか。明らかに早く来た俺が悪いでしょ?」
「でも……」
「でもじゃありません」
「だって、こういう時は女が男を守らなきゃ――」
「だってもクソもありません。あんまり世間の常識に囚われないでください」
一昔前の大人の恋愛の常識として、「女性は男を守る存在」という風潮が強く蔓延っていた。
前世でのレディーファーストが行き過ぎたような風潮といえばいいだろうか。男の食べるものは全て女性が奢るのは当たり前だとか、車道側は必ず女が歩くだとか、男性への送り迎えは当たり前だとか、そういうのだ。
男女比が偏った影響か、はたまた女性の方が肉体的に強い歴史の影響か。こんなのが常識として蔓延っていた原因は定かではない。
男性を王子様のように扱い、王子様のために自らの力を発揮し、何があっても守り続ける女性こそ、男性が求める女性像である。最近ではこんな風潮は薄れてきているとはいえ、これがいいとされる時代が確かにあったのだ。
「カエデ。もっと俺を見てください」
俺は思わず先輩の袖をキュッと掴み、真剣な目で先輩の形の良い瞳をじっと見つめた。
さっきまでためらっていた名前呼びを、自然に行っていた。
「俺がそういうのを欲しているような男に見えますか?」
「………」
「カエデに嬉しそうにしてほしかったから、今日は張り切ってエスコートしようとしてるんです。ほら? カエデって自分からアプローチするより、俺にアプローチされる方が嬉しそうにするでしょ? だから今日は全力でエスコートするって決めてるんです。さっきはちょっと失敗しちゃいましたけどね」
「ッ! でもでも、あーしが泰平を危険な目に合わせたのは確かでしょう。あーしが守らなきゃいけなかったのに」
「はあ……ったく、あんなもん危険でもなんでもないですよ。そもそもですね、俺は本気で柔道をやっているんです。そこらの軟弱な男とは違います」
「でも――」
まだ俺の言葉を否定しようとしてくる先輩の言葉を遮り、強めに伝える。
「それにですよ。そもそもあのナンパの三人組も、しっかり断ればなんてことなかったんですよ。なにせこの街の女性達はたちの悪い人はいないですから」
「それはそうかもしれないけど……」
「もう! あー、分かりました。なら、全部カエデが悪いんですよ。だから責任取って、俺のことをもっともっと好きになってください」
「うぇ!? ど、どうしてそうなるのよ。バカ」
「だってですね。そもそも前はここまで露骨なナンパをされることはなかったんです。それはきっと俺が男として魅力的になったからだと思うんです。ほら、カエデのせいじゃないですか」
「それがどうしてあーしのせいなのよ」
「俺はここ一年、カエデに好かれるためにいっぱい頑張ったんです。そうやってカエデのために頑張ってたら、いつの間にかちょっとだけ魅力的な男になってたんです。ほら、カエデのせいだ」
「――ッ! さっきからテキトーなことばっかり言って。からかわないでよ」
「からかってません。本気も本気です。俺はカエデに好かれたくて必死なんです。カエデが嬉しそうに笑う顔を見るためなら、いつもより頑張れちゃうんです」
「うう、ううううう」
「だから、カエデのやることは謝ることじゃなくて、俺への説教でいいんです。分かりましたか?」
ここで白ギャル先輩は、たっぷりと間を開けて返事をした。
「分かったけど……もう、今更説教なんてする雰囲気じゃなくなっちゃったじゃない」
「えへへ、なら、ここでもうちょっと戯れていましょう。大丈夫です、岩盤浴は逃げないので、この二人っきり空間をもう少し楽しみましょうか」
「……うん」
白ギャル先輩は俺の胸に顔を埋めるように身を預けながら、小さく頷いたのだった。
「あのー、先輩。名前を呼び捨てにしたせいで、ちょっとムラムラしてきたんですけど……」
「我慢しなさい」
「痛てっ」




