第五十一話 自転車に乗って
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
実は俺、あんまり神とか信じてないんだ。
正確には、ある一柱の神しか信じていない。その神はご利益を与えてくれるような存在ではないことを、俺達はよーく知っている。
そんな俺が今更こんなことを本気で祈るのも虫の良い話だが……
今日の白ギャル先輩とのデートが上手くいきますように。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
――白ギャル先輩との二人乗りが好きなんで、それで行きましょう。
俺がそう伝えたので、今日のデートでは白ギャル先輩がうちの家に自転車で来てくれることになっている。
そわそわしながら家の前で待っていると、集合時間より五分前に白ギャル先輩がこちらに向かってくるのが見えた。
どんどん近づいてくる彼女に手を振りながら、笑顔を浮かべる。距離に呼応するように心臓の鼓動も早くなっていく。
「泰平。おはよ」
まるで普段と変わらないかのようなそっけない挨拶。だが、彼女の耳はほんのりと赤く染まっている。ちゃんとデートだということを意識してくれているようで嬉しい。
そんな白ギャル先輩の服装はデニムパンツにほんのり透け感のあるピンクのシャツというラフな格好だ。俺が事前に普段着でいいと伝えていたので、指示通りそうしてくれたのだろう。
ただ、ラフな格好なはずなのに、どこかいつもよりも可愛く感じる。透けて見えるインナーのキャミソールの紐、胸元に小さく光るネックレスなどが目に入り、俺はドキドキしっぱなしだ。
もしかしたら普段着といいつつ、さりげなく気合を入れているのかもしれない。
「おはようございます、白ギャル先輩。ノーメイクでも死ぬほど可愛いですね。それにその私服も最高に似合ってます。まるで女神が外界にふらっと遊びに来たような印象を受けました。見ているだけでもう幸福感に酔えてしまいます。本当に死ぬほど可愛いです。心臓がヤバいです。どれくらい可愛いのかというと――」
「もう、そんな一息で褒めなくていいわよ。それに、褒め言葉をこねくり回すのは泰平には似合わないわ。ほら、さっさとエスコートしなさい」
「……すみません。一人で舞い上がっちゃいました」
「そ、そう、舞い上がっ、そうなんだ」
「「………」」
俺達の間に妙な沈黙が訪れた。いつも会話していてもあまりないような経験に、俺の脳内は小さくパニックを起こす。
「あ、あのー、ですね……あはは」
「もう、しょうがないわね。ほら泰平、今日はどうしてもあなたがエスコートしたいんでしょ? あーしに男らしいところ見せてね」
白ギャル先輩は優しく微笑みながら、俺の肩を軽く殴った。
なんでこの人の笑顔はこんなに可愛いのだろうか。いつも死ぬほど可愛いのに、今日はいつもより一億倍可愛い気がする。無理なんだけど。
「じゃあ、今日だけこの先輩の地獄丸を借りますね」
「あーしの自転車に悪趣味な名前をつけないでくれる?」
「ほら、急ぎますよ! 俺達の時間は貴重なんですからね! まったく白ギャル先輩はもう……」
「泰平がもたもたしてたんでしょうが。ふふふっ」
それから俺は白ギャル先輩の自転車に乗り、今日は後ろに乗ってもらう。
ふわりと、甘いフローラル系の香りがした。
先輩の愛らしい手が俺の腰を掴む。同時に先輩は、ピトッと俺の背中に横顔をくっつけた。
俺よりもほんの少し温かい先輩の体温が背中から侵入してくる。
どうしてか、背中の温かさがとても誇らしかった。
「じゃあ、岩盤浴場にレッツラゴー!」
体の奥から溢れ出してくる全能感に身を任せながら、力いっぱいペダルを漕ぎ出した。
肩で爽やかな風を感じながら、二人で何気ない会話を繰り広げていく。
「ああ、そうだった。ねえ先輩」
「なあに?」
「今日は俺、先輩をカエデ先輩って呼びますから、俺が暴走しそうになったら止めてくださいね」
「止める? どういうことよ」
「少し情けない話をぶっちゃけちゃうんですけど、俺にとって女性を下の名前で呼ぶことは、明確な性的アピールなんですよ。もはや口づけみたいなもんなんです」
俺は自分の性欲を制御するため、女性の下の名前を呼ばないことにしている。ただ、どうやらこれはあまりいい方法ではなかったようだ。
明確にそう線引きしてしまったせいで、いつの間にか「下の名前呼びイコール性的アピール」と、脳が勘違いを起こして覚えてしまったのだ。
今では、下の名前で呼ぶことが恥ずかしいという、前世の童貞少年みたいな思考から抜け出せなくなっている。いやあ、お恥ずかしい。
「あら。泰平って案外初なのね」
「俺なんて根っこの部分はただのシャイボーイなんですよ。その癖にかっこつけて精一杯背伸びしていたら、いつの間にかノンデリなんて呼ばれるようになりましたがね」
ほんと、どうしてこうなったんだろうな。理想の自分を目指して突っ走っていただけなんだがなあ。
「まあ、女性慣れしているよりはいいんじゃない? あんまり軽い男は好感が持てないし」
「あざぁーす! てことで、今日は頑張ってカエデ先輩と呼ぶので、よろしくお願いします」
「ちょっと待った。カエデ先輩じゃなくて、カエデって呼び捨てで呼びなさい」
「……うぇ?」
「なによ。できない訳ではないでしょ?」
「いや、一応先輩ですし……」
「でも、ルリにはルリって呼び捨てしてるんでしょ? ならあーしにもそうしてよ」
「分っ、かりました」
俺の中では、カエデ先輩とカエデ呼びでは、キスとディープキスくらい違うのだが……それでも嫌なんて言えるわけもなく。
「ふふっ、ありがと。じゃあ泰平、練習しよっか」
「マジすか。スパルタっすねえ」
「ほら早く。この程度あーしにだって簡単にできるんだから、男のあなただってできるはずよ」
「……そういや白ギャル先輩はピュアなのに、俺のこと普通に泰平って呼んでますね」
「こんなもん慣れよ、慣れ。確かにあーしだって初めて男の名前を呼ぶ時は勇気を振り絞ったけど、この程度のハードルを超えられない女性なんて、女性の世界じゃお話にならないんだもの。頑張るしかなかったわ」
「女性の世界、なかなか過酷ですねえ」
「女性はどうしたってたくましくないといけないの。じゃ、お手本を見せてあげるから、泰平もやってみなさい」
それから白ギャル先輩は俺の耳元に唇を寄せて、しっとりとこう囁いた。
「泰平。あーしの名前を呼んで?」
先輩の声が耳から脳を介し、全身にくすぐったさが駆け巡る。
その声色はいつも俺の名を呼ぶときとは少し雰囲気が違った。まるで彼氏におねだりする時のような甘さがあった。
そのあまりの威力に、思わず自転車がふらつく。
「危ないわねえ。って、あらあら? 泰平? お耳が真っ赤よ? どうしたのかしら???」
「にゃ、なんでもないです!」
ちょっと一瞬呼吸の仕方を忘れちゃっただけです。
「ふふふっ、そう。なんでもないのね。なんでもないのなら、あーしと同じようにやってみなさい。ほら、早く」
「先輩の意地悪! くっそー、いつもはどちらかといえば、俺の方が先輩を振り回す役割なのに!」
どうして確実に女性の方が初な世界で、男の俺のほうがタジタジになっているのだろうか。おかしい。こんなはずじゃなかった。今日だって、岩盤浴デートで初心な先輩をからかいながら、男らしくリードするつもりだったのに。
なんだか最近こんなことばかりな気がする。特に俺が好きになった人は、みんなこうやって俺の余裕を削いでくる。どうにも俺は好きになった人に対し、極端に弱くなってしまうみたいだ。
「ほーら、泰平。先輩じゃないでしょ? カエデって呼び捨てするの」
「……分かりました。岩盤浴場についたら、死ぬほど甘く先輩の名前を呼び捨てにして、囁いて、脳みそをとろけさせてあげますから」
「あら、結局今はやらないので。泰平のヘタレ。ふふふっ」
「ぐぬぬ……!」
そこを突かれると、声を詰まらせることしかできない。
ただ、そんな悔しさよりも、とにかく先輩が可愛い。
はあー、好き。その笑い声を聞くだけで、俺まで最高に楽しい気持ちになってしまう。
「まあ、今はこれで許してあげる。でも、あっちについたら、普通の呼び方でいいからちゃんとカエデって呼び捨てはしてね」
「はあーい」
カエデ、カエデ、カエデ。こっそり心の中で練習。
うん、まあ呼ぶこと自体は頑張れば大丈夫だろう。後は性欲を制御できるのかどうかだが、これはとにかく歯を食いしばって我慢するしかないな。
「そういえば泰平、どうして岩盤浴に誘ってくれたの? 今日お姉ちゃん達に岩盤浴に行くって伝えたら、『なんだか作為を感じるチョイス』って指摘されたのよ」
「それはまあ、本気のデートだからってだけですよ」
「どういうことよ? 曖昧にしないで詳しく説明しなさい」
確かに岩盤浴デートというのはすでに付き合っているカップルが行くような場所のイメージがある。少なくとも学生らしいデート先ではないことは確かだ。
「まあまあ、作為というか、思惑があるだけですから」
「あるんじゃない。何を考えているのよ」
「一つは勉強も運動も頑張っている先輩に心と体を解きほぐしてもらいたくて」
「一つはってことは、理由は他にもあるのよね」
「はい。もう一つは、ここが穴場だったからですかね」
「穴場?」
「なんというかですね、顔見知りには誰にも会いたくなかったんですよ。ほら? あんまり高校生が本気の恋愛をするのってよくないでしょ? 誰も守る気なんてないとはいえ、一応うちの高校は恋愛禁止ですし」
「ああ、そういえばそうだったわね。でも、そんな校則誰も気にしてないわよ」
「じゃあもっと分かりやすく伝えると、このデートは絶対に誰にも邪魔されたくなかったって感じですかね」
「あっ、しれっと言ったけど、泰平の体温がちょっと上がった。ふぅん。そっかそっか。誰にも邪魔されたくなかったんだ~」
先輩、強い。俺の青少年らしい気持ちを確実に見抜いた上で弄んでくる。先輩だって案外ムッツリのくせに、攻められっぱなしで全く反撃する暇がない。勝てない。
「……こほん。最後の理由としては、岩盤浴デートの後、秘密のメインディッシュのための下準備ってところですね」
「一体今日の夕方に何をしようとしてるのよ」
「それは秘密です」




