第四十二話 褒める
柔道着から制服に着替え、俺は後輩を誘い、二人で帰宅する。
「うい、元気っ子後輩よ、元気なさそうだな」
今の元気っ子後輩にはいつもの元気が全くない。自信をなくし、心がポッキリ折れてしまったみたいに表情が弱々しい。
俺達に一度たりとも勝てなかったこと事実に、かなり打ちのめされているのだろう。
「………」
俺の言葉を無視されてもお構いなしに、俺は話し続ける。
「こんな日でもムカつくくらい夕日は綺麗だなあ」
「………」
あえておちゃらけながら続ける。
「お? 後輩ちゃん。泣く? 泣くけ? ほら、また胸を貸してやろうか?」
「……先輩なんて嫌いです」
「ぐはぁっ!」
俺は膝から崩れ落ちる。だというのに元気っ子後輩は待ってくれない。トボトボと俺を無視して進み続けている。
少し寂しいが、まあ今は仕方ないので、俺は元気っ子後輩を追いかける。
それからぽんぽんと無言で頭を撫でる。
「泰平先輩は頭さえ撫でればいいと思ってるでしょ?」
「まあな。というか、それしかできることが思いつかなくてな。嫌だったか?」
「嫌なんて話はしてないでしょ。続けて下さい」
「まあ、嫌って言われても続けるつもりだったけど、そんな突き放すように言わなくてもいいじゃん」
今にも決壊しそうな元気っ子後輩の頭を撫で続ける。
「ま、元気出せ。明日もランク戦はあるみたいだし、終わったわけじゃないからな」
「………」
トボトボと二人で歩き続ける。
頭を撫でながらゆっくり歩き続け、五分ほど経った時だろうか。後輩はその重い口を開いた。
「私、勝負事で初めてビリになりました」
唐突に告げられたその言葉には、どんな感情も含まれていなかった。平坦で虚無で抑揚のない、現実味のない言葉だ。
「そっか」
「「………」」
途中自販機でスポドリを買い、元気っ子後輩に渡す。何も言わずに受け取ってくれた。
「はあーあ、帰りたくないなあ」
今度は弱音の混じった声色、おそらくこれは心の底から出た本音だろう。家に帰って両親から怒られるとでも思っているのだろうな。
まあ、口では怒られるのかもしれないが……別に攻められるわけじゃないのに。案外元気っ子はあの両親の気持ちに気づいていないらしい。
傍から見ればすっごく分かりやすいんだけどなあ。
「なら、ちょっとだけあの公園のベンチで一休みしよう」
「あっ、ちょっ」
少し強引に手を引っ張り、元気っ子後輩を木でできたベンチに座らせる。椅子の座面にハンカチを敷いてやるほどの紳士力はないが、そんな俺でもできることがあるはずだ。
「俺はさあ、ずっと我慢してたんだよ」
唐突にそう告げると、元気っ子後輩は首をかしげた。俺が何を言っているのかよく分かっていないのだろう。
それでも俺は続ける。
「ランク戦が明日も続くとは言え、とりあえず一つの節目は終わったので――俺は今から後輩を褒めます」
「は?」
そう、俺はこれだけ頑張っている後輩を、ずっと褒めたかったんだ。
「元気っ子後輩は偉い! とにかく偉い!!」
「偉くなんかありません。私は負けたんです。一位じゃなきゃ、価値なんてないんですから。しかもビリなんて、ありえないじゃないですか……」
「いいや、元気っ子後輩は世界一偉い! 俺が断言してやる!!」
俺の思わず腹から出た大きな声に、後輩は目を丸くしてあっけにとられている。
「たとえランク戦でビリになろうが、元気っ子後輩は強い子だ。後輩は今まで割と勝ち続けてきたから知らないかもだけど、勝ちにこだわったり、一位にこだわったりって、すっごく体力を使うんだぜ? 誰にでもできることじゃない」
勝ち続けることなんて不可能だから、みんなどこか妥協しながら人生を生きていく。時には言い訳したり、時にはあいつには勝てないと小さく諦めたり、そういう風に割り切って小器用に生きる。
でも、後輩はそうしない。運動や勉強においてなまじがんばった分だけ成果の出る天才だったからこそ、そんな誰でもあるような妥協の経験が少ないのだ。
「元気っ子後輩は体育祭のリレーで負けた。今回もビリという結果になった。それでもまだ、元気っ子後輩は割り切っていない。仕方ないなんて考えず、実力不足という結果を誰よりも受け入れている」
ちょっとくらい自分に優しくしてあげてもいいのに、そうしない。だからこそ苦しいんだろう。自分で自分を許せない無力さや、本当は結果を受け入れたくないという気持ちなどでごちゃまぜになり、どうしていいのか分からないんだ。
「そう、元気っ子後輩は自らしんどい道へ進む、熱くてかっこいい人なんだ。ほんと、うちの後輩は偉すぎる!」
「……?」
ビリを取ったのに絶賛されている事実に、心底理解できないといった様子で目をパチクリさせながら俺の目を見る。
構わず俺は続ける。
「こんなボロボロに負けてもなお、元気っ子後輩は貪欲に一位を狙っている。それは最高の才能だよ」
「違います! 私なんてただ不器用なだけです!!」
薄く瞳に涙を貼り付けながら、後輩は自分で自分をけなす。
「いいや違うね! 元気っ子後輩はただのストイックすぎる熱い馬鹿だ。むしろ勝負事に関して白ギャル先輩よりピュアなんだ。泣くくらい辛いのは、元気っ子後輩が偉すぎるからだ」
「それ、褒めてるのかけなしているのか、どっちなんですか! それに、カエデ先輩よりピュアなわけないじゃないですか!」
「いーや、元気っ子後輩は自分のことが分かってない。強いて言えばそこだけが後輩の弱点だね……ってあれ? なんで説教みたいな流れになってるんだ? 俺は褒めるつもりしかなかったのに」
くそう、しまらねえなあ。
「ええっと、結局何がいいたかったかと言えばだな。 ……うん、まあ、元気出せ」
元気っ子後輩には、直すところも悪いところも一つもない。元気出してまた明日からも太陽みたいな笑顔を見せてくれれば、それだけでいいんだ。
それでも強いて悪いところを挙げるのならば、自分に自信がないところだけは改善してほしいかな?
自己評価が低いからこそ、一位という地位にしがみつこうとするのだろう。そのせいで一位以外だと塞ぎ込むのだろうが、それは流石に自身の悪い点のみを切り取りすぎだ。ただの敗北を重く捉えすぎ。
まあ、そこが後輩の可愛いところでもあるんだけどな。
「雑ですねえ、泰平先輩っちゃあ泰平先輩らしいですが」
「おっ、ちょっと元気出てきたか? よしよし、これなら俺達先輩が必死こいて頑張って、元気っ子後輩をビリにさせようとしたのも報われるな」
「……ん、え? 今なんて言いました? 私を負かすために必死だった……?」
「あー……えと、まあ、うん」
やっべ。
言わなくてもいいことまでこぼしてしまった俺は、ポリポリと首の後ろをかく。
「どうしてそんなひどいことを?」
「ひどい、ねえ」
一位にこだわる元気っ子後輩だからこそ、こうしたんだが……まあ、理由を話さないほうがかっこいい気はするのだが、ここまで話しちゃったし、そしてなにより嫌われたくないので、ぶっちゃけちゃおうか。
「だってさ、俺達はみんな、元気っ子後輩に死ぬほど期待してるんだもん。だからこそ敗北の経験を得て、這い上がってくるのを楽しみにしてるんだよ。どうせ後輩ならできると思うし」
厳しくするのは期待感の裏返しだし、厳しくした以上に甘やかす気も満々だ。
「……先輩方、スパルタすぎません? 私の両親が『一位以外価値がない』って言ってたの、知ってるんでしょ?」
「それもなあ。元気っ子後輩はもうちょいあの両親達の言葉の裏を読まなきゃ。あの人達、どう考えても『一位になって嬉しそうなシホたんを見るのが大好きだお』って顔に書いてあるじゃん」
特に父親の方なんてわかりやすかったぞ。あれは後輩のことが心底大好きな、ただのツンデレでしかない。
「いやいや、テキトーなこと言ってないで……って、マジなんですか?」
「うん、大マジ。あの両親は後輩が思うほどは一位にこだわってないはずだよ。リレーで負けたときだって、『悔しがっているシホたんを見るのもそれはそれで』って感じだったし。あの言い方はただの後輩へのエールでしかないんだよ」
「いやいや、うそ、えっ、まさか、そんなまさか。だってあの時だって、ウチの両親はいつもいつも……あれ? そういえば私、リレーで二位を取っても全然怒られませんでしたね。ええっと、まさか、本当に?」
俺は無言で頷く。
あの両親からは元気っ子後輩への愛がものすごく分かりやすくにじみ出ていた。おそらく母親の方も、可愛い子には旅をさせよって教育方針で厳しくしてただけだぞ、あれは。
その事実が信じがたいようで、開いた口が塞がらないようだ。
フリーズした後輩の肩をぽんと叩き、俺はカバンからなんとか最後の一個を手に入れたデラックスエビカツサンドを渡す。
壮絶な闘いすぎてちょっと、いやかなりぐしゃっとなってるが、まあ許してくれ。俺の実力では綺麗なままでは勝ち取れなかったんだ。
「ほら、先輩からの愛だ。これでも食って元気出せ」
「……ああ、なるほど、だから先輩は今日ボロボロだったんですね」
何も答えず、ただそっぽを向いて頬をポリポリとかく。夕日が少し眩しい。
「私のためにありがとうございます。でもですね。私ってこの学校でおそらく翼さんの次に足が速いんですよ。だから私、このデラックスエビカツサンドを何度も食べたことがあるんです」
「……マジ? とことんかっこつかねえなあ」
「ふふふっ、仕方ないので受け取ってあげます。あーあ、せっかくならもうちょっと綺麗な状態で食べたかったなあ~。今日のお昼に食べた時は、完璧に綺麗だったのになあ~。正直何度も食べているから、飽き飽きしてるんだけどなあ~」
「……ほぉん、じゃあ返せ」
俺はまだ一度も食べたことがないんだぞ。
「嫌でーす! 絶対に返しませーん!」
「待て元気っ子後輩――って、足がはええよ」
俺は必死に走るが、元気っ子後輩は太陽みたいな笑顔で振り返りながら、大事そうにぐしゃぐしゃになったデラックスエビカツサンドを見せびらかす。
そんな彼女を見て、俺も自然と笑顔になった。
俺の語彙力のせいで言いたいことの半分も伝えられなかったが、それでもなんとか元気になってくれたようだ。
「はあ、好きだなあ……」
まるで心に虹がかかったように幸せで。
つい胸の中に積もり積もった好きがこぼれ落ちた。
この好きが誰にも届かず、空気に溶けていったことが、良かったような、残念なような。
ほんと、先輩するのって大変だわ。




