第十六話 ラジオ
「うん、遊びにきたよ」
俺のことを「パパ」と呼ぶ彼女のことを、俺は娘お姉さんと呼んでいる。
彼女は二十五歳なので俺より八歳年上なのだが、ここでは俺は父で、彼女が娘なのだ。
「ほら早く、座って座って」
「ちょ、そんな引っ張らないでよ」
娘お姉さんは俺を自分のベッドへと腰掛けさせた。ベッドがほんのりと温かいことからも、さっきまでここで寝ていたのだろう。
ぽふんとベッドに腰掛けると、ふんわりと女性特有の甘い香りの奥から、汗や皮膚の匂いが渾然一体となって押し寄せてきた。
妙に生々しくて、心臓が少し跳ねるとともに、じんわりと体温が上がった。
「えへへ、いいじゃん。いつもちょっとだけしか相手してくれないんだから、この貴重な時間を無駄にしたくないんだもーん」
少し舌っ足らずにそう答えながら、甘えるようにしなだれかかる。やけにテンションが高いが、これは俺といる時だけだそうだ。普段は人と話すのが極度に苦手で、声も小さく、ボソボソとしか話せないとマスターは言っていた。
そんな娘お姉さんは、まるで自分の匂いを染み込ませるかのように、俺にスリスリと甘えてくる。やけに色白でお胸が豊満な娘お姉さんにそうされると、俺の青少年の部分が暴れだしそうになるが、ぐっと我慢だ。
なにせ俺はここでは父。多少なりとも父らしくあるためには、普段通りの態度を取らなければいけない。
さて、どうして俺達がこんな歪な関係になったのかというと、俺にもよく分からない。ただ、きっかけ自体ははっきりしている。娘お姉さんが引きこもってしまったことがきっかけとなり、この関係が始まったのだ。
彼女が引きこもった原因は、過剰な自責感によるものだ。
娘お姉さんが高校生の時、死ぬほど好きだった男(翼君)にどうしても告白する勇気が出ず、結局高校を卒業しても思いを伝えることができなかった。そんな彼女は、大学生になってから、とにかく自分のヘタレさを責め続けた。
その負の気持ちが少しずつ積み重なり、どんどん自信をなくしていき……しだいにバイトや友達関係も上手くいかなくなっていく。
いつしか「自分は何にもできないんだ」と強く思い込むようになり、大学を途中退学。それから人と会うことを徹底的に避け、引きこもるようになった。
その後まあ色々あり、俺は何故か彼女の父となった。
ここがふわっとしているのは、案外そこに大した理由はないからだ。
雑に説明するなら、ツンデレ美少女を通して昔から仲のよかった俺が強引に部屋に入り、二人で遊んでいるうちに、いつの間にかこういう関係となっていた、というところかな。
要は、
『あーあ、泰平が私のパパだったら良かったのになあ……』
『へえ、じゃあ試しにパパをやってみようか?』
みたいな軽いノリで始めたおままごとが、何故か今でも続いているだけだ。
「ねえパパ、今日は下で何話してたの?」
「ええっとねえ、ツンデレ美少女の学校での話とか――」
「私の前で他の女の話しないでよー」
「あははっ、ウチの娘はめんどくせえなあ、このこの」
「えへへー」
俺が乱雑に頭を撫でると、娘お姉さんはキャッキャと笑う。
喜んでもらえるのはいいのだが、そんな格好であんまりはしゃがないでほしい。赤いジャージの下に見えるインナーのキャミソールから、お胸が飛び出しそうでハラハラするのだ。
いくらここでは父といっても、本物の父ではないのだから、ついお胸に目を奪われてしまうくらいは許してほしい。
「ねえパパ? ちょっとだけ手を繋いでもいい……? なんか、男の人のおっきな手の温かさに安心したくて」
「ぅ、いやあ、どうだろう」
俺はあえて言葉を濁した。
正直手ぐらい繋いでもいいのだが、母やぶりっ子先輩、友達の不健康などから「自分を安売りするな」と何度も言い聞かされているので、こういう時はどうしても困ってしまうのだ。
「えー、やだやだやだやだぁ! もっと甘やかして! 減るもんじゃないんだからいいじゃん! ねえねえねえ!」
「ほんとウチの子めんどくせえ~、しょうがないなあ、ちょっとだけだよ?」
あまりよろしいことではないと頭では分かっているのだが、どうにも俺は娘お姉さんに警戒心を持てない。
「わーい! なんだかんだ全部許してくれるから、パパだーいすき!」
俺は口をモゴモゴさせながらも、抱きつかれても平気な顔を貫く。柔らかくて生々しくて心が弾む。
娘お姉さんといると、いつも俺の心の変な部分が刺激される。甘えてくる娘を甘やかしたい気持ち、特別扱いされている嬉しさ、遠慮なく甘えてくる無邪気さなどが、どこかくすぐったくて気持ちいい。
俺達はある程度スキンシップを終えると、少しの間他愛もない雑談をして過ごした。
「ふあ~あ……」
「おっきな欠伸だね。ねえパパ、いつものように、お昼寝しよっか」
「そうだなあ。そうさせてもらうかあ」
娘お姉さんの声の揺らぎには、自然の音のような心地よさがある。部活で疲れた身体にそれは弱く、やたらとリラックスしてしまい、強烈な眠気が襲ってきた。
「じゃあ、いつものように添い寝しよっ」
娘お姉さんからベッドをぽんぽんとタップされたのにいざなわれるように、俺は横になる。
「うみゅぅ、そうすっかあ」
普段なら付き合ってもいない人と同じベッドで寝るなんてしない程度の警戒心はある。だが、やはり俺は彼女に対して普段の警戒心を持つことができない。
いかにも無害そうな声や、パパと娘という関係、それに、何度か同じ事をしてしまった時に何もなかったことがその原因だろう。
一つ安心できることがあるとすれば、娘お姉さんは今の俺達の関係が壊れることを極度に恐れているので、基本的には何にもおこらないことだ。
俺が無防備に寝ていても、ただ俺の顔をじっと見て、俺の体温を感じて安心するだけ。俺の体温を肌で感じ、心臓の鼓動を聞くと、「生きてる」と実感するらしい。
引きこもりってのはそこまで追い込まれなきゃいけないもんかなあ……
「じゃあ、お疲れのパパに子守唄歌って上げるね」
「……あぃ」
「ルールールルルルールールルルールルルルルールー」
俺はトントンと一定のリズムで優しく背中を叩いてくれる娘お姉さんに身を任せ、一瞬でまどろみの中へと溶けていった――
一時間ほどで自然と目が覚めた。視界に隣で添い寝していた娘お姉さんの楽しそうな顔が入ってきた。
やはり娘お姉さんは俺の寝ている姿を見るだけで満足らしい。俺に寄り添うように寝転ぶだけで、イタズラされた形跡は全くない。普通の女性なら多少なりとも邪な気持ちが沸くはずなのだが、見ている限りただのほほんとしているだけ。
こんなことが続いているので、俺は彼女に警戒心を持つことができないのだ。
「おはよ」
「パパ、おはよー。今日もぐっすりだったね」
昼寝したおかげか、頭はシャッキリ元気いっぱいだ。
俺は大きく伸びをしたのち、いつもの提案をもちかけた。
「よし! 娘よ。そろそろあれ、やろうぜ」
「そうだね。早速収録しよっか。楽しみだなあ」
あれ、というのは二人で収録するラジオのことだ。
ただし、このラジオは人に聞かせたりするつもりはない。録音しても決してネットには出さないので、言うなればラジオごっこではあるのだが、これがなかなかやっていて面白い。
ラジオを録ることが始まったきっかけも単純だ。娘お姉さんが話を聞くのが案外上手いと俺が伝えた流れで、『試しにラジオでもやってみる?』と提案し、実際にやった結果面白かったので、毎週恒例の行事となっただけだ。
俺がそんなことを漠然と考えている間にも、準備は淡々と進んでいた。
娘お姉さんが指で三、二、一と、カウントダウンしていく。
「「父と娘のほのぼのラジオ」」
ゼロになった途端、同時にタイトルコールをし、娘お姉さんお手製のオリジナルジングルを流す。
娘お姉さんは案外凝り性だ。ラジオごっこのためだけにジングルを作り、ステッカーまで用意している。もちろん世に出さないので、誰かに配る予定もないのだが。
「さあ始まりました。毎週四時から六時に放送している、父と娘のほのぼのラジオ。さて娘よ。今日で第何回だっけ?」
「分かんないけど、とりあえず百回は超えてるんじゃないかな。もう何年も続いているもんねー」
凝り性でもあるが、雑な部分も多いので、第何回かはお互いに分かっていない。
「じゃあパパ、早速コーナーいこっか。十の質問!」
「えー、このコーナーは父である俺が質問を繰り返し、十回以内に娘の考えている物を当てるコーナーです。ただし、娘は“はい”か“いいえ”しか答えられないので、質問はなんでもいいわけじゃないぞ」
「前回も前々回もパパは当てられなかったんだから、今回は頑張ってね」
「もち! さて今回のお題は“食べ物”! 俺は食道楽だから、このテーマならまあ余裕でしょう」
「ふふふっ、それはどうかなあ」
「さて早速……はいかいいえで答えて下さいね。一つ目の質問。ウルトラソウッ!」
「ハァイ! ……ねえ、パパはいっつもそうやって一回の質問権を使っちゃうけど、いいの?」
「ハンデだよハンデ。俺は九回もあれば余裕だから」
結局、俺はお題を当てられず、今回も見事に敗北を喫した。
でも、えびせんはないでしょ、そんな絶妙な食べ物、十回で当てられるわけがないんだから。
「では娘よ。そろそろ次のコーナーにいこうか。お便りのコーナー!」
もちろんこのラジオは世に出していないので、お便りなんて来ていない。それなので、テキトーにネットから拾ってきた悩み事を読んで、解決するコーナーとなっている。
「ラジオネーム、……ええっと、鼻からぼたもちさんからいただきました。彼氏が欲しすぎるので、家に任天堂スウィッチ2やその他最新機種、さらには誘いやすいように犬まで飼い始めました。ですが待てど暮らせど彼氏はできず、犬を愛する気持ちと、仄かな虚しさだけが募るばかりです。なぜ人生はこうもままらないのでしょうか」
「まあ、人生ってそんなもんだよな。俺なんて――」
この後も何事もなく、たっぷり二時間ほどラジオを収録した。このようにして俺達は遊んでいる。




