第十五話 母とのデート
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
どうして母に憧れているのかっていうと、少し言語化が難しい。でも、とにかく強烈に母に憧れているんだ。
母は人前では柔らかな雰囲気で親しみやすく、その実ものすごく強い。料理だってプロ並みに美味しいし、話を聞くのも話すのも上手い。
でも、俺の憧れているところはそういう表面上のことだけでは語り尽くせない。
何と表現すればいいのだろう。漠然とした感覚で申し訳ないが、俺には母が「何度も研ぎ澄まされた一本の刀」のように、芯まで洗練されているように見えるのだ。
そんな母のような人になりたいし、母が自分の母であることがものすごく誇らしい。
こういう敬愛や尊敬の気持ちは、一種のマザコンなのだろうか。
マザコンという言葉にはマイナスな意味が含まれている気がするので、違うと断言したいところだな。
「うし」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
土曜日の部活は午前だけとなっている。そのため、午後一時くらいに部活が終わり、その後母と出かけるのがお決まりの流れだ。
その時、俺と母は馴染みの喫茶店に行くことが多い。母の同級生がやっている「喫茶ロゼル」にはほぼ毎週行っているので、もはや俺にとって第二の母の味だ。
カランコロンカラン。
扉を開けた瞬間、コーヒーを挽いたほろ苦い香りが胸いっぱいに広がった。
「いらっしゃいませー。あら、二人ともお疲れ様。じゃあこっちのカウンター席に座って。いっぱい喋りましょ?」
俺達二人を見るや顔をパッと明るくさせたマスターに手招きされ、指定の席へ座る。
マスターは母の親友であり、いわゆるママ友でもある。そして、俺の同級生であるツンデレ美少女の母親だ。
この喫茶店は自宅兼店舗だ。一階は喫茶店、二階はツンデレ美少女達家族が暮らす住居。 一階はアットホームだが、二階は本当の意味でのホームというわけだ。
「じゃあマスター。私はいつもので。泰平はどうする?」
「うーん、今日はハヤシライスにしようかな。飲み物はいつも通りで」
ここの料理は全て美味しいが、特にハヤシライスは絶品だ。どんな味かというと、なんかよく分かんねえけどコクやら深みがあってクソ美味いって感じ。いずれにしろ俺の語彙力ではあの奥深さを表現できない。
「マスター。いつものように泰平には大盛りでお願いできる?」
「……息子とそんなに身を寄せ合って、羨ましいわあ。私ももう一回着床チャレンジしようかしら」
「マスター、聞いてる? 小声でバカなこと言ってないで、早くして」
「はいはーい。泰平君、ちょっと待っててねー。ところでメグミ、泰平君を譲ってくれたりは」
「しない」
いつも笑顔という鞘に包まれ、ニコニコと愛想の良い母も、ここでは少し気が抜けるのか遠慮のないやり取りを繰り広げている。こういう母のあまり見られない鋭い一面が見られるのも、この喫茶店のいいところだ。
「泰平君ってほんといい子よね。ウチの娘達からの評価もめちゃくちゃ高いし、特にママ友からの人気がすごいわよ。そんな息子がいると母としても鼻高々だから、いつでもうちの子になってくれていいからね~」
「あははっ、マスターさん、ごめんなさい。俺は極度のマザコンをこじらせているので、一生母離れできそうにないんですよ」
俺が冗談めかしてそう返答すると、マスターは大げさにショックを受けたような表情を見せた。
今朝マザコンではないと結論づけたのに、こういう時はマザコンであると公言してしまう俺。
まああれだよ、別に本当にマザコンであるという自認はなくともいいんだよ。人間ってのはこんなもんなんだから。
母の右腕を大切そうに抱きしめて甘えると、母は嬉しそうに顔をほころばせた。俺も堂々と甘えられるし、母も嬉しい。ほら、ウィンウィンだ。
「あら残念、振られちゃったわね、あははっ。はい、メグミにはコーヒー、泰平君にはカフェオレよ。泰平君はサービスで、試作品のクッキーもつけておくわね」
「マスターさん、あざぁーす!」
やはり男というのは得だ。こういう時男であるというだけで好意を持たれ、贔屓してもらいやすい。だからこそ、好意はしっかり受け取って、できる限り満面の笑みで返す。
この世界の男は、その程度の当たり前すらできない。せっかく特別扱いしてもらっているのだから、それくらいはしないとな。
こういう一つ一つの「当たり前」は、母の教育の賜物だ。
俺は昔から一貫して『当たり前のことを当たり前にできる人が一番カッコいい』と言われて育ってきた。そんな俺は他の誰でもなく母にカッコいいと思われたかったので、見事に「当たり前」をそこそこのレベルでできるようになったわけだ。
世間では「男の子は本当にわがままなので、育てるのは女の子の五倍大変」と言われている。それなのに俺の場合は「かっこいい」を持ち出せば、お手伝いや片付けなどを言い聞かせたりするのが本当に簡単だったそうだ。
母は、たったそれだけで自主的に頑張ってしまう息子を見て、逆に「チョロすぎないか?」と心配したほどだそうだ。
幼い俺が頑張ってしまうのは無理もない。なぜなら、幼稚園の頃の俺は、大人になったら母と本気で結婚するつもりだったからだ。
本気だったからこそ、母とは結婚できないと知った時のショックは大きく、家の隅で体を小さく折りたたむように塞ぎ込んだ。
たまにその当時のホームビデオを見せられるのだが、正直恥ずかしいのであの映像はこの世から消去してほしい。落ち込んでいる幼い俺を見て当時の母は大笑いしているし、今ですらたまに「うふふっ、まだ私と結婚したいの?」と、からかわれることもある。
流石にもう分別もついているので「母と結婚したい」などとは言わないが……それでも俺は今でも母にかっこいいと思われたくて生きているんだぞ? そんな健気な息子を弄ぶのはよくないと思います。
「おまたせー。はい、ナポリタンプレートと、ハヤシライスね」
そんなことをつらつらと考えている内に料理がきたので、俺と母は手を合わせて食べ始めた。食べ慣れた味ではあるのだが、何度食べても絶品だ。
俺がガツガツとスプーンを進めている間にも、母とマスターは他愛もないやり取りを繰り広げている。
最近の天気の話から始まり、お互いの近況やちょっとした愚痴、それが急に我が子の話に移ったかと思えば、いつの間にか未来の話に変わっている。
どうも女性同士の話はテンポが早く、目まぐるしく感じる。でもきっと、これが本来の女性同士の会話なのだろう。
これを逆に考えれば、普段俺と話す時の女性は、自然と男の俺にテンポを合わせて話してくれているのかもしれない。そういうのもきっと、女性としての「当たり前」なのだろう。
でも、当たり前を当然と享受せず、俺に合わせてくれている相手に感謝しないとな。
「ねえ、泰平君」
「――ごくん。なんですか? マスターさん」
俺は一度咀嚼していたものを飲み込んだのち、返答する。
「学校でのあの子の様子はどう? あの子、私には何にも話してくれないから心配なのよ」
なるほど、ツンデレ美少女のことね。
「娘さんは毎日元気に青春してますよ。素直じゃないところもありますが、いつも全力で真っ直ぐなところは、見ているだけでこっちも頑張ろうって気にさせられます。この間は――」
俺は思いつく限り、学校でのツンデレ美少女の話を挙げていった。
ツンデレ美少女は何から何まで頑張っている。翼君に惚れてもらおうとおしゃれしたり、授業中に手紙を回したり、勇気を出してデートを申し込んだりと、とにかく色んなアクションを起こしている。
もちろんツンデレゆえの空回りもすることはあるが、それを加味したとしても、恋にひたむきに頑張るツンデレ美少女はまぶしいくらい魅力的だ。
ただ、少しだけ懸念点もあるのだが……これは本人に口を酸っぱくして言っているので、わざわざマスターに伝えなくてもいいだろう。
「そう? ならよかったわ。これからも娘の話を聞かせてね」
「ええ、怒られない範囲でなら、何でも話しますよ」
「あら、娘は泰平君にも怒るのね」
「ええ、俺なんて怒られてばっかですよ」
「あははっ、それならやっぱり、泰平君には気を許しているのね。ほらあの子、素直じゃないでしょ?」
「たしかにそうですけど、俺は優しくしてほしいです」
俺がやれやれと言った様子で肩をすくめると、マスターはカラッと笑った。
さて、料理も食べ終わったことだし、そろそろ俺だけお邪魔しようか。きっと二人はまだ話し足りないだろう。
「じゃあマスターさん、今日も上のお姉さんと遊んでもいいですか?」
「ええもちろん。あの子の相手してくれてありがとうね」
「いえいえ、俺がお姉さんに相手してもらってるんですよ」
「……ほんと、泰平君はいい子ねえ。ねえ? 娘は二人ともあげるから、どうにかしてウチの息子にならない?」
「あはは」
俺は頬をポリポリとかいて愛想笑いするも、マスターは止まらない。
「そうねぇ、上の娘はちょっとダメな子だけど、あれはあれで繊細ないい子なの。だから、泰平君がもらってくれれば嬉しいわ。あの子っておっぱいだけは大きいから、襲ってくれても――」
「マスター? 息子にセクハラしないでくれる? それ以上言うと二階から投げるわよ」
「あらあら、おほほほほ~」
分かりやすいごまかし笑いをしながら、マスターは手で「どうぞ二階へ」とジェスチャーをした。
マスターの許可も取れたので、俺は二階へ上がっていく。そしてツンデレ美少女の姉の私室の前まで来た。
俺がノックをしようとした瞬間、すぐさま中から扉が開かれ、飲み込まれるように手を引っ張られた。
「パパ! 今日も来てくれてありがとう!」




