第十三話 ネクタイを締めてもらう
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
突然この世界に放り込まれたのは不幸な事件だったが、若返ったし、女性は恐ろしいくらい可愛いし、ある意味では幸運だったのかもしれない。
お前より可愛い人なんてこの世に存在しないと本気で思っていたのに、そんなハードル余裕で乗り越えてきやがるもんな。ほんと、人生何が起こるのか分からないわ。
毎日のように遊んでいたお前と会えないことだけはやはり少し寂しいけれど、ウジウジしてたらお前にぶん殴られてしまう。だから今できることを全力で淡々と楽しむよ。
とはいえやることは、主人公君のヒロイン達のハイエナ活動なんだけどな。今日もこっそり俺なりに楽しみますかね。
「うし」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
「つ、翼君。ね、ネクタイちょっとゆがんどるよ? だらしなか」
田舎っ子美少女(田舎在住といっても自転車で十分ほどの距離にある辺境)が独特のなまりで抑揚を付けながら、一度主人公君のネクタイを解いた。
この高校の制服はネクタイがあるタイプだ。俺の前世の高校では私服登校だったので、制服なんて陽キャ女子がコスプレのように着て登校するくらいだった。
高校で私服のほうが珍しいとはなんとなく分かっているが、俺にとって高校で制服というのは、ある意味新鮮だ。
「あ、ありがとう。どうもまだネクタイってものに慣れなくてね……」
「じゃ、じゃあ……ウチが直したる。……うん、これでよか。やっぱ都会の男は、こういうとこちゃんとしとらんといかんけんね」
田舎っ子はここが都会というが、ここはそこまで都会ではない。都会と田舎の中間のような街だ。
「はいはいはーい!! 田舎っ子ー、俺のネクタイも頼む!」
「……泰平、今、わざとぐちゃぐちゃにせんかったか?」
「き、気の所為じゃない?」
もちろん気の所為じゃない。
「しょうがないやっちゃのう。ほれ、あんたはいっつもネクタイゆるゆるしとるけど、そんなん別にかっこよなか。ネクタイはぴしーっと締める。それが都会の男っちゅうもんじゃろ?」
「グエッ」
ネクタイを強めに締められて、息が詰まる。
さっき翼くんにはあれだけ頬を赤らめながら優しい手つきで付けていたのに、俺には一瞬でパパっと終わらせられた。しかも、首を絞めたのは絶対わざとだ。
「ほれ、シャキッとせい。あんたはほんにちゃらんぽらんなんじゃけぇ、せめて格好くらいはきっちりしとかんと」
そう言うと、田舎っ子は俺の背中をパンと強く叩き、自分の席へと帰っていった。
主人公君には芋っぽい田舎少女らしさを見せて、俺には肝っ玉母さんみたいな態度を見せた田舎っ子。態度が違うとはいえ、しっかり俺のネクタイも締めてくれるあたり、優しい人だ。
俺はこういう主人公君のおこぼれに預かることを、ハイエナと呼んでいる。こういうことがあった日は、ラッキーな日だ。
結局おこぼれをもらうのが一番楽しいんだから。結局ね。
……いや嘘。やっぱり主人公君羨ましい。なんか新婚みたいで羨ましいから、俺も優しくネクタイを締められたい。
そう思ったのは俺だけではないようで、このクラスの女子達も主人公君のネクタイを締めたいと思っているだろう。このクラス、ないしは世界ではしばらくの間、愛する人のネクタイを締めるのが流行るだろうな。
「ということで、元気っ子後輩よ。頼む! 一生のお願い!」
放課後に部活に行く途中に出会った元気っ子後輩の肩に手を回し、ダル絡みしながら頼む。
「……まあ、それくらいいいですけど。でもその一緒のお願い、もう何度目でしたっけ?」
都合の悪いことは聞こえないふりをする。それが人生を楽しく生きるコツだ。
「うはっ、勝ち組きたこれ。もう思い残すことはないな」
俺はネクタイをほどき、期待の目で見つめる。
「でも、すぐに柔道着に着替えるのに……あっ、はいそんなこと関係ないんですね。はいはい、じゃあちょっと止まって下さい」
小柄で華奢な元気っ子が俺に近づき、首に手を回す。ふいに元気っ子後輩のサイドテールが俺の鼻の近くを通り、ふわっと上品な香りが広がった。
ゴソゴソと俺の首元で小さな手が動くのが、どうしてかキュンと来る。しなやかな首筋、真剣さが混じったほんのり上目遣いな瞳、丸みのある肩、チラリと見える鎖骨。元気っ子後輩からは、どこか健康的で上品な色気を感じざるをえない。
……ここでぎゅって抱きしめたら、怒られるかなあ。怒られるだろうなあ。でも抱きしめたいなあ。
ただまあ、まだここは学校からそこまで遠く離れた場所じゃない。こんなところでいちゃつくのは少しだけリスクがあるし、真面目にネクタイを結んでくれている元気っ子後輩にも悪い。流石に控えておこう。
「ええっと、ううんと……これでよし。完璧です。流石はシホちゃんですね。人のネクタイを結ぶのなんて初めてなのに、自分が結ぶのと同じようにできました!」
「ありがと、これでようやく成仏できるよ。ぽわんぽわんぽわ~ん」
「泰平先輩! 今までありがとうございました! あっちでも楽しくやっていてくださいね!」
「そんな太陽みたいな笑顔で俺を見送らないでよ。もっと泣け、取り憑くぞ」
「うわあ、それ、パワハラですよ」
そんな風に楽しく雑談しながら、道場に着き、柔道着に着替えて練習していく。今日のペアはタイミングよく元気っ子後輩だ。
「っぶねー。元気っ子、ほんとに初心者? もう三年も柔道をやってる俺に一本を取りそうになるなんて、センスありすぎない?」
しかも、俺ってデカくて重いから、より難しいはずなんだが。
「泰平先輩が弱いだけなんじゃないですか?」
「いやいや、そんなこと……いやいや。……いやいやいやいや」
「あっ、なんかすんません」
「ちょっと、マジで取らないでよ。傷つくじゃん」
別に俺が弱いわけじゃないはずだ。俺にそこまでセンスがないとはいえ、結構真面目に頑張っているからさ。誇れるほど強くはないが、まあまあ強いはずだぞ。
「謎は解けた! 元気っ子後輩みたいなパターンは、体育だけが抜群にできるとか、そういうタイプと見た!」
「いえいえ、私は勉強も運動もできる文武両道タイプですよ。まあ個人的には運動のほうが得意ですけどね」
「元気っ子後輩が文武両道? うっそだー」
だって、こんなに可愛くて元気で人懐っこくて素直で愛らしいんだよ。しかも八重歯まである。こんなの絶対バカじゃん。
「いてててて。ほっぺをつねらないで!」
柔道にはそんな技はありませんよ!
「今私のことバカそうって思ったでしょ?」
「さーせんした! 俺の中では元気っ子後輩は運動しかできないおバカさんタイプだと思っていたので、つい」
「まあ、謝ったので許してあげましょう。なんたってシホちゃんは優等生ですからね」
「あざぁーす!」
気づけば先輩後輩が逆転していた。あるぇ?
「ほんと泰平先輩って人を見る目がないですよね。先輩達ならともかく、私にまで可愛いっていうくらいですし、しかもこの文武両道のシホちゃんを捕まえて、バカっぽいなんて……」
「はあ? 俺って見る目しかないけど? 魔眼持ちですけど??」
「そういうのは中学二年生で卒業しましょうね、泰平先輩。それに、とある三年先輩も『泰平の付けるあだ名はいつもちょっとだけ的外れ』って言ってましたよ」
そんなこと言うの、ぶりっ子先輩くらいしかいない。なぜなら白ギャル先輩は陰口なんて言わないから。
「眼力系の能力者は男のロマンだから。卒業とかないから」
「うわぁ。すっごい熱量。なんか泰平先輩、ウチの妹達みたいですね」
「へえ、妹がいるんだ? 可愛い? 何歳? どこ住み? 彼氏はいる? ってかラインやってる?」
「うちにはやんちゃ盛りな妹達が四人と、ドーベルマンが一匹いますよ。家族の中で私が一番お姉ちゃんなんです」
元気っ子後輩は当たり前に俺の言葉の後半をスルーした。後輩もスルーの使い手か。なかなかやるな。
けど、もっと真っ当に俺の相手してくれ。俺はやってもいいけど、後輩がやるのはダメです。
「ほえー、元気っ子後輩は絶対末っ子だと思ってたわ」
「泰平先輩の魔眼、大したことないですねえ」
「俺の魔眼は元気っ子がなんかちょっと上品でくっそ可愛くて元気で華奢で、ほんのりエロいこと程度しか読み取れないんだよ。ふぅー、くっそ可愛すぎてムカついてきた。呑気で無害そうな表情しやがってよぉ。とんだ食わせ物め」
なんか元気っ子後輩って、いやらしくないのに、不思議な色気があるんだよなあ。所作の一つ一つが美しいからそう見えるんだろうか。それともたまに垣間見える母性のせいか?
男ってそういう部分に弱いから、それにやられているのかな。
「私が、エロい、ですか? そんなこと初めて言われました。泰平先輩ってほんと、私のこと好きすぎません? それとも、ただのへんた――いや、なんでもないです」
「悪いこと言う元気っ子後輩には、俺仕込みの地獄の上四方固をくらわせてやろう。俺からのおもーい愛だ。受けとってくれ」
これで抑え込まれると息をするのもしんどいから、きっついんだよ。
「きゃー、おそわれるー」
「待て待てー。あははははっ」
発言こそ軽いが、素早い身のこなしでガチ逃げする後輩と、全力で追う先輩の図がそこにはあったそうだ。
……元気っ子後輩、足はっや。




