第百四話 釘を刺す
大掃除の後は、弁当を食べて、この後に部活という流れだ。
俺は作ってきた二つの弁当を持って、待ち合わせ場所の外階段に来ていた。
「というわけで、柔道部に厄介な新人が入りそうなんですよ」
「ふふっ、これからの柔道部もなかなか面白くなりそうね。あっ、この卵焼き、おいしい」
俺が渡したお弁当を幸せそうに食べてくれるのは小躍りしたくなるほど嬉しい。
ただ、俺はあえて自らの緩んだ表情を引き締めた。
「ダメですよ、そんな呑気にしてちゃあ。愛は確実に白ギャル先輩を毒牙にかける気まんまんなんですから。ちゃんと気を引き締めてください」
そう、俺はこうやって釘を刺しに来たのだ。
「でも、あーしは実質柔道部のOGよ? その子が現役の柔道部の子とキャッキャウフフしたいっていうのなら、大丈夫じゃない? うーん、きんぴらもおいしー」
「うへへ〜。そんなに美味しそうに食べてくれるのなら、わざわざ作った甲斐がありました」
ああ、幸せだ。
外階段で二人きり。肩を寄せ合って座り、俺が作ったお弁当を愛しい人が食べてくれている。
やっぱ学校って最高だな。
こんな生活が毎日続くのなら、夏休みとかいらないわ。
毎日が学校でいい。てか、二十四時間学校でいいわ。俺達を学校に一生閉じ込めてくれ。
「……どうにかしてこの人留年してくれねえかな。ふぅむ」
「泰平? 独り言にしては声がデカいわよ。聞いてる? おーい」
そうだ。これから毎日俺の弁当を餌に、学校をサボらせまくれば――
……って、そうじゃなくて。俺は真面目な話をしてるんだった。
「コホン。先輩、くれぐれも気をつけてくださいね。愛なら、絶対に白ギャル先輩を狙いますから」
「妙に確信してるわね」
「だってですね。先輩はちょっと可愛すぎるんです」
「もう、泰平はいっつもそうやってさあ」
白ギャル先輩が困ったような表情を浮かべながら、くしくしと髪を手ぐしで整えた。
マジ可愛い。シンプルに、持ち帰って一生俺の元で可愛がりたい。
「ん゛ん゛。ふぅー。いや、これは真面目な話ですから。愛と俺の女性の好みは似ています。だからこそ自信を持って言えるんです。愛は絶対に白ギャル先輩に入れ込むって」
「ほら、泰平。あーんしてあげる。あーん」
……なるほど。急にくっそ楽しそうな表情浮かべやがってさあ。
「俺の反応見て遊んでるでしょ! そうはいきませんよ! 俺は今、真面目な話をしたいんですから!」
「あら、じゃあこの卵焼きはいらないの?」
「いります! いただきます! おいしい! 幸せ!!」
先輩のあーんの前には俺の虚勢など無力。二秒で完落ちした。
「ほんとに柔道部のみんなはさあ! 色々強すぎる! 俺だってたまには弄びたいのに!」
普通こういう男が貴重な世界では、男が女を振り回すんじゃないのかよ。
まあ、男女比が【男1:女5】なんで、言ってみれば一学年に男が15人くらいいる。大学生以降はまだしも、高校生までならそこまで貴重って感じでもないのかもな。
……いや、そうやって自分を納得させようとしたが、無理だわ。俺も男ということで、ちゃんと大切に扱われてる自覚はあるもん。
これはただ、俺が好きな人に弱すぎるだけでしかないわ。オーマイガッ。
これだけのしょうもないことを、数秒にも満たない間に考えていた。
「まあ、こういう形の関係もいいじゃない。泰平は振り回されている時の方が素敵よ」
「うへへ〜。そうですか?」
「そうそう。泰平が分かりやすくチョロいと、逆に安心できるもの」
「……うん?」
よく考えたらそれ、褒め言葉じゃなくね? 男としてくっそ情けなくね?
「俺、そういう方向で白ギャル先輩を幸せにしたかったんじゃないんだけどなあ……」
疑似結婚式の日、誰よりも先輩を幸せにしてみせると誓った。
それなのにこれはちょっとダメだな。もう少し男らしくいなきゃ。
……で、男らしいってなんだ?
改めて考えてみると、よく分かんねえな。
白ギャル先輩の前で、カエルを素手で触るとか?
「泰平、またバカなこと考えてるでしょ?」
「うぇ、よく分かりましたね。今はですね、チキンレースでもして、一切引かなかったら先輩も俺のこと見直すのかなあ、なんて考えてました」
「……それ、無謀なだけだからね。心配するだけで、なんにもかっこよくないよ」
「ですよねー。俺もうっすらそう思ってました」
でもなあ。白ギャル先輩には、俺にもっともっと惚れ込んでほしいんだけどなあ。
「泰平はそのままでいいのよ」
純度百パーセントの優しげな表情で白ギャル先輩はそう言った。
「でもですね。チョロいのって情けないじゃないですか。それこそ、最初は絶対に白ギャル先輩の方がチョロかったはずなのに……」
「だーれがチョロい女よ。あんまりあーしを舐めないでくれる?」
と、ここで白ギャル先輩は周囲を見渡したかと思えば、俺の耳元に唇を寄せた。
「あーしは翼にもなびかなかった女なのよ? チョロいわけないでしょ?」
小さく囁くとともに、まぶしい笑顔を俺に向けた。
あまりの威力に、俺はただ頬を赤く染めることしかできない。
全身の毛穴がブワッと開いて、心臓が爆発してしまいそうなほど鼓動している。
そうしてうろたえているうちに、ふわりと漂っていた甘いフローラル系の香りが俺から離れてしまった。
「ちょ、泰平、目がトロンとしてるわ。えっちな表情になってるから、ちょっと抑えて!」
俺の妖しげな雰囲気につられたのか、白ギャル先輩の耳が真っ赤になっている。
そっちからそんなことをしておいて、肝心なところでお預けとは。
「……くっそ。白ギャル先輩は、いつの間にこんな小悪魔な人になったんですかねえ」
なんとなく先輩に囁かれた右耳を撫でながら、もう片方の手で俺は俺自身をデコピンした。
痛って。眉間が痛ってえな、これ。
「でもですよ! 絶対先輩は俺にチョロかったですって! 擬似的なあれこれをする前でも、なんだかんだ大抵のことはいっつも許してくれましたし!」
「それは……泰平が悪いわ」
「えっ、なんで?」
「だって、ずっと、ずうっと泰平は、あっっっからさまな好意を向けてくるんだもん。そんなことされたら、怒る気も失せるでしょ?」
「あー、そういう」
あれはチョロいというより、仕方のない子と思われていたのか。
「そうやって泰平は、頭のてっぺんから爪先まで感情を表現してくるの。それだけじゃなく、明らかに目の色まで変わるわ。今だってあーしを見る泰平の目、どこまでも深く、優しい色をしているもの。だから安心して泰平を振り回せるのよ」
「そこまで言うのなら、俺がチョロいことも気にしなくてもいいのかな」
「そうそう。誰にでもチョロいわけじゃないんだから、そんなに気にしなくていいわ」
「そんなもんなんすかねえ」
「そんなもんよ。はい、お弁当、美味しかったわ。ありがと」
「いえいえ、お粗末さまでした」
白ギャル先輩は食べ終えた空っぽの弁当を俺に渡すと、立ち上がってパンパンとスカートを軽くはたいた。
俺も立ち上がり、同じようにする。
お互い食べ終わったことだし、そろそろお別れだな。
「色々話は脱線しましたけど、そういうことですので。とにかく、愛には気をつけてくださいよ」
「そんなことよりも」
「そんなことよりも!?」
結構本気で言ってるのだが、軽く流されてしまった。
「ねえ、さっきから愛さんには下の名前で呼んでるわよね」
「はい」
ていうか、あいつって名字を自己紹介でも言ってなかったな。前世のままで変わってないのかな。
「それができるのなら、あーしもカエデって呼び捨てにしてよ」
「うえ!? えっと、それとこれとは話が別というか……」
「なによ? やっぱり前世のお嫁さんは特別扱いなわけ?」
「違くて! あいつはほら……そう! 男ですし!」
咄嗟に出たにしては、完璧な言い訳だ。ナイス、俺。
「でも、泰平を狙う恋のライバルでもあるんでしょ? なら、そんなこと関係ないわ」
俺の完璧な言い訳は、一秒でノックアウトされた。
「……えと、あのー……ね?」
「言い訳は終わった? それならほら、早く。カエデって呼び捨てで呼ぶだけだから」
「ちょ、グイグイ体を寄せないでください! そんなことされたら、いくとこまで行っちゃうんですって! 許して!」
「あーあ、泰平がこの調子じゃ、愛さんになびいちゃうかもなあ〜!」
「あ、また俺を弄んでるでしょ!」
このように仲睦まじく戯れていると、カンカンと外階段の上の方から誰かが駆け下りてくる音が聞こえてきた。
俺達は距離を開け、様子を見る。
「なんだ。元気っ子後輩かよ。って、誰か違う人も一緒に連れてこられてるな」
飛び跳ねるようにして階段を駆け下りてきた後輩。その腕には一人の小さな女の子が抱えられている。
あんなふうに抱えているということは、小柄な後輩よりももっと小柄なのだろう。
ここからだと顔が見えないが、とにかくジタバタしている。あれは絶対無理やり連れてこられただろうな。
「泰平先輩! やっぱりここでしたね! カエデ先輩もこんちわっす!」
「んで、どうしたんだ?」
「そうそう! 泰平先輩! ビッグニュースなんです!」
目をキラッキラに光らせて、飛び跳ねるような声で後輩は言う。
「ビッグニュース?」
「そうです! 今日うちのクラスに転入してきたすっごく可愛い転校生。この子が柔道部に入ってくれるんですって!」
「ほえー。それが後輩が今連れてきた子?」
「はい! ほら、見て下さい! キューちゃんって言うんです。すっごく可愛いでしょ?」
そう言った後輩は、まるで仔犬を抱えるようにして、その子を胸の前に掲げた。
ブスッとした表情で俺達を見上げる、新入部員候補。
「んあ? のじゃロリケモミミ神じゃん」
えっ、なんでここにいるの?




