第百三話 やりたい放題
「吠えるな。私は誰よりもこの世界のルールを守るつもりだ」
ロングホームルームが終わり、大掃除中。
少し目を離した隙に、愛は呑気に足を組んで偉そうに椅子に座っていた。
……女を三人ほど侍らせた状態で。
「いや、そんなことしながら言われても説得力ないぞ」
いつの間にかいなくなっているから、迷子にでもなったのかと探しに来たと思えばさあ。
「ねえ、足置きのお姉さん。僕の代わりに掃除してくれる?」
「はい♡ 承知しました!」
「そっちのお姉さん。明日も僕にお弁当を作ってきてくれる?」
「愛様!! もちろんでございます!!!」
「あー、もうちょい力入れて揉んでくれる?」
「んんっ……! ありがたき幸せ」
……何この状況。
翼君以外基本的に入っちゃいけないとされる屋上で、よく知らない先輩の女性達三人に肩を揉ませたり、足置きにしたり、弁当を強奪したり。
転入して一日目で、やりすぎだろ。
「っふふ、こんな高校生活なら、私……じゃなかった。僕でも楽しめそうだね」
「ああ、そういや愛って高校を半月で中退したんだっけ」
「ええ、つまんない校風の癖に、私を縛るルールだけはいっちょ前に多かったからね」
確か校則を盾にセクハラまがいのことをするムカつく教師をボッコボコにぶん殴って、自主退学したとか。
まあ、愛の気持ちも分からんくはないが、それでも殴るなよな。相手は一応ゴツい男なんだから、危ないだろ。
んで、その後、高卒認定試験に合格した上で、すんなりめちゃくちゃ賢い大学に一発合格する、と。ある意味憎いわ。
「おっと、おしゃべりしにきたんじゃなかった。さて、愛――」
「嫌よ」
「おい、せめて聞いてから否定してくれ」
愛は足を組んだ状態で、大きくため息を吐いた。
「どうせ掃除しろとか、そんなことでしょ。だから嫌よ」
「……はぁ。分かってるのなら、ちゃんとしようね」
「私が嫌だと言っているのが分からない?」
「……ったく。めんどくせえなあ」
俺は偉そうに座る愛に近づき、襟首を掴んだ。
「先輩方、失礼しました。では」
「ぐえっ、ちょ……やめなさい! 私を母猫に咥えられた子猫みたいに運ぶな!」
「ふっ、その小柄な身体でこの世界に来たのが仇になったな。今の俺なら、こういうことができちゃうんだよ」
「やめっ、やめなさい!」
「ちょ、おい! 蹴るな! 大人しくしてろ!」
この状況のまま教室に戻ると、何故か俺達は生暖かく迎えられた。
……なんで二匹の可愛い子猫がじゃれ合っている、みたいな温かい目で見てくるんだろう。謎だ。
◆
「はぁ、ダル。掃除なんて誰でもできること、そこらの誰かにやらせておけばいいのよ。なんで私がわざわざ……」
愛はかったるそうに窓ガラスを雑巾で拭きながら、俺の隣でずっとブツブツ言っている。
「俺がこのクラスにいる限りは、最低限の雑事はやってもらうからな」
「泰平、めんどくさくなったわねえ。あの一緒に住んでた頃は、好きな時にだけ家事をして、好きなように生活するのが許されてたのに」
確かに俺達の結婚生活はそんな感じだった。
基本的な衣食住など、愛の最低限の健康管理をしつつ、愛の気が向いた時には一緒に家事をしたりしていたっけ。
「まあな。でも、そんな変わった今の俺も、俺は嫌いじゃないよ」
なにより、こうやってみんなで教室を掃除するなんて、今しかできない。
今しかできないのなら、全力でやらなきゃもったいない。
「はぁー。やっぱり元の身体でこの世界に来たほうがよかったかしら。今のこの身体、ちょっと力が弱いのよねえ」
「そうだ。どうして姿が変わってるんだよ。てか、そんな事可能なのか?」
他にもどうして男の娘なのかとか、何かその姿になった意図はあるのかとか、聞きたいことは山ほどある。
ただ、やはりまず気になるのはこれだな。
「私はちょっとだけ神様みたいな力が使えるのよ? 姿を変えるくらいできるわ」
「神様みたいな力っつっても、多次元的な視点を手に入れただけとか、そんなことも言ってなかったっけ?」
「ええ、そうよ。だから姿を変えることができるの。これ以上説明しようがないわ」
「……何言ってるのか意味ワカンネ」
「詳しく説明もできるけど、いる?」
「……一応触りだけでも聞いてみていいか?」
一応、一応ね。
「私は正規の方法でこの世界に来たわけじゃないわ。多次元的な視点を持つことで、この世界を観測可能な情報領域として認識したの。そこに干渉するにあたって、既存の存在情報を流用するのは整合性上の問題があったから、ゼロから自己定義型の存在情報を構築したの。その過程で発生した認識上の空白を――」
なんちゃらかんちゃらうんちゃらどうたら。愛の説明が右から左へ流れていく。
「――つまり、根源的干渉力と、世界の補正力を利用したということよ」
「なるほど、よく分かったよ」
俺には分かんないことが。
「……ったく。まあ言ってみれば、できるからできるってだけよ。あなたも寝ている時に意識して呼吸していないでしょ? でも、自然にできる。そういうもんよ」
「そういうもんかあ……なら、もうそれでいいや」
姿が変えられることはそれでいいとして。
「てかさあ。姿を変える必要なんてあったの? 愛は並行世界跳躍が使えるわけじゃん。素のままでも来られたんじゃないの?」
愛は自己紹介の時、確かにそう言っていた。それだけ聞くと、必要があったように思えないのだが。
「並行世界跳躍って……まあいいわ」
なぜか愛は呆れた目で見てくるが、心当たりは一切ない。
……こともない。十中八九、勝手に必殺技っぽく名付けたことだろうな。
「今の私なら、あっちの世界からこの世界に来ること自体は容易よ。泰平に名前を呼んでもらったことで、強固な縁の糸も繋がったことだしね」
「ふんふん」
謎のワードがあったが、説明はまだ途中なので一旦最後まで聞こう。
「ただ、透明な壁である果てを超えるために、この世界の規格に合わせて肉体をコンバートする必要があった」
「ほぉん」
まあ、これもそういうもんなんだな、という認識で納得しておく。
「そのままの状態で果ての壁を超えることはものすごく難しいのよ。なにせあの透明な壁は、この世界を隔離するものでありながら、この世界を守る最強の鎧のようなものでもあるからね」
「……おーん」
とりあえず、そういうもんなんだな、うん(思考停止)。
「最初はほぼそのままの体にする予定だったのだけど、実行している時、案外自由度があることに気づいてね」
ここで愛は一拍置き、口の端をにぃと吊り上げ、ものすごく楽しそうに口を開いた。
「言ってみれば、思いつきよ」
「結局思いつきかーい!」
難しい話を頑張って聞いていただけに、結論がそれで思わず大きな声が出た。
「いや、いやいやいやいや。なんで愛はあえて男の娘にしたんだ? 思いつきと言えど、絶対なんらかの理由はあるだろ」
「そうねえ、どう説明したものかしら……」
「あらら、それもややこしい系?」
「いいえ、これは難しいことではないわ。ただ、私の思考の道筋をどこまで説明しようか悩んでるのよ」
「なるほど。なら、結論から先にもらって、後から俺でも理解できるように説明してくれない?」
PREP法――結論から話して、理由、具体例、結論と話す方法。なんだかんだこれが一番分かりやすい。
つっても、普段のおしゃべりとか、コミュニケーションの場ではこんなこと気にしてほしくはないんだがな。
テンプレートに沿ったコミュニケーションって、あくまで分かりやすいだけで、血の通った対話って感じがしないから。
「結論だけ言うと、私はこの世界で、男の役割も、女の役割も、両方欲張って楽しみたかったのよ」
「ほんほん」
「これはまだ裏付けが取れていないのだけれど、この世界では、男と女が心から想い合うことで、とんでもない力が生まれると思っているの」
愛の話を要約すると、男と女が互いを信頼し、同じ方向を向いているとき、一人では起こせないような奇跡さえ起こせるらしい。
そう考えれば、ぶりっ子先輩のあの力にも説明がつく。おそらく彼女は、その仕組みを理解して利用している、と愛は語った。
「私は、その両方を味わってみたかったのよ」
「なるほどなあ」
「ついでに言うと、もう一つ理由もあるわ」
「ん?」
そこで愛は一度間を空けると、俺にずいと近寄って上目遣いで俺を挑戦的に見上げながら、口の端をにぃと吊り上げた。
「あなたも、あなたの大切な人も、全部私が恋に堕としてあげたかったの」
愛の綺麗な瞳に魅入られて、声をあげることができなかった。
「言ったでしょう? 柔道部の子とキャッキャウフフしたいって。そこには当然あなたも含まれてるわ」
ふわりと、冷たい冬の早朝に淹れるコーヒーのような香りが愛から漂ってきた。
「……ええと、つまり」
「私、まだあなたを諦めてないから。それと同時に、いまだに女の子も好きなの。っふふ。どう? 面白くなってきたでしょ?」
「一ミリも面白くないんだが!?」
おまっ、そもそも今の性別は男だろうが。
「じゃ、そういうことで。それじゃ、私の分の雑巾も片付けておいてね!」
俺に雑巾を押し付けると、愛はスタコラとどこかへ行ってしまった。
……マジかあ。
とりあえず、愛が恋のライバルになるってことだよなあ。
そのうえで、俺の心も手に入れると。
「なんともまあ、型破りなことで」
でも、この感じもある意味懐かしい。危機感を感じなきゃいけないはずなのに、気づけば俺の口角は少し上がっていた。
「あっ、泰平君」
「はいはい、なんですか、ドジっ子先生」
「愛さんが言うことを聞くのは今のところ泰平君くらいなんだから、ちゃんと掃除させないと」
「……あっ、色々衝撃的すぎて、忘れてた」
そうだ。しれっと俺に雑巾を押し付けて、さぼりやがったんだ。
「泰平君。狂犬はちゃんとリードに繋いでなきゃダメでしょ」
「え? ちょっと待って。これって俺が悪いんですか?」
いつの間にか俺は、愛の手綱係みたいな扱いにされていたのだった。
俺が愛を制御できるわけないだろ! 無茶言うな!
先生! そんな信頼しきった目で見ないでください! いやマジで。




