第九十二話 猫は好きか?
ぱんっぱんっ。
二礼二拍手一礼。
「(今日もこの世界が崩壊しませんように)」
最近は順調に友達の輪が広がっている。
今までクラスメイトでしかなかったみんなと、一歩深く心を通わせるのは案外楽しいものだ。
こんな風に心を通わせることに躊躇がなくなってきたのは、柔道の精力善用、自他共栄精神の賜物かもしれない。これができてきたということは、ようやく俺も一端の柔道家になれてきたということだろう。
でも、全てが順調なわけではない。まだまだよく知らないクラスメイトもいるし、なんなら明確に嫌われている自覚がある人もいる。
俺はそういうタイプの人とは、「仕方ない」と割り切って過ごしてきた。前世で「どうしたって合わない人はいる」ということを知っている俺にとって、それが一番自然なあり方だったからだ。
そして同時に、それが一番賢い生き方だと、今でも思っている。
でも、最近こうも思うんだ。
俺はただ、仲良くなるのが難しい人と交流するのを、面倒に思っているのではないか。もしかしたら、ガンガン体当たりするように積極的に交流しに行けば、案外今とは違う関係になれるのではないか。
これはただの綺麗事かもしれない。でも、何事も最初は綺麗事を目指して動くもんだよな。妥協するのは、失敗してからでいい。
だから、これからはもう少し積極的に交友関係を広げていくつもりだ。
お前も狭い範囲の友好関係で満足せず、俺と一緒に頑張らないか? 俺はこの世界にいるから、「俺がついている」と言えない情けないけどな。
「うし、普通っ子、行こうか」
「うん」
さあ、今日はどんな一日が待っているだろうか。
◆◆◆
「フシャー!!!」
「ふしゃーじゃなくて、しゃあないだろ。ただのペアなんだから、そんなに可愛いケモ尻尾を逆撫でるなよ」
「ニャーはお前のことが嫌いにゃ!」
今日はサッカー部の合同基礎練習。俺はクラスメイトで外部生であるケモミミっ子に威嚇されていた。
ケモミミっ子――ベージュのスコティッシュフォールドが擬人化し、美少女になったような女性だ。キュートなケモミミとケモ尻尾があり、澄んだブルーの瞳と、ミルクティーみたいな長髪が美しくも可愛らしい。
「んだよー。何もしてないんだから、俺のこと嫌うなよ。あーあ、チュールでも持ってくりゃあ良かった」
「にゃーを猫扱いするな! 猫獣人だって何度も言ってるだろ!」
「ほら、タマ。こっちへおいで。ごろごろにゃーん」
「飼い猫扱いすんにゃ! こっちくんにゃ! シャー!!」
うーむ、今日も取り付く島もなしか。
この通り、俺はケモミミっ子に明確に嫌われている。
ただ、これは俺がノンデリだから、など、俺に非があるわけではない。ケモミミっ子は、過去に男に乱暴されたことがあるらしく、男全般が苦手なのだ。
「なあなあ、俺もそろそろケモミミっ子と仲良くなりたいんだけど、どうすればいいの? どうやったらその神々しいケモミミを撫でられる?」
俺が素直な気持ちを打ち明けると、ケモミミっ子は一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべたのち、すぐに烈火のごとく叫びだした。
「にゃーはお前となんて仲良くなりたくにゃい! お前と仲良くなることなんて、一生にゃいんだからな!」
「んだよー。翼君に懐いてからのケモミミっ子は、かなり雰囲気がマイルドになってるじゃん。翼君にだけ溶けそうなくらいデレッデレだし。だから、いけると思ったのになあ。くっそー、教室で堂々とごろごろ喉を鳴らして甘えやがってよぉ」
深いところまでは知らないが、どうやら主人公君はその乱暴した男を「ざまあ」したらしい。その後、男の中で翼君にだけは懐くようになったのだが、他の男性に対する反応はこの通りだ。
俺がからかうようにニヤニヤとした視線を送ると、ケモミミっ子は分かりやすくうろたえ始めた。
「べ、別に翼に対しての態度は普通にゃ! それに、後ににゃーの夫になるんだから、別にゴニョゴニョ――」
「はいはい、ツンデレ乙。じゃ、さっそくやろうぜ」
「にゃぁ……顧問の言うことには逆らえない。仕方なくペアになってやるにゃ」
まあ、今はこの距離感で満足しておこう。
俺は主人公君のようにはできないのだから、ゆっくりね。
大丈夫、これでも話しかければちゃんと会話してくれるだけ、他の男よりはマシだ。一年半も同じクラスにいることで、俺が最低限無害な男とは認識してくれているのだろう。
適度に距離を保ちつつ、目が合うと挨拶くらいする関係を続ける。後はケモミミっ子側から心を許して近づいてきてくれるのを気長に待っていよう。
それこそ、猫を相手にするようにな。
……まあ、なんだ。
そうするのが一番いいと、頭では分かってるんだ。
ただ……
「〜ッ! にゃう、お前! にゃーに目を合わせて、ゆっくりまばたきするにゃ! ニャーは猫じゃない! 後、そのうざったらしい目! からかってるだろ!」
「ほへ〜。にゃんのことかにゃ〜????」
猫の世界では、目が合ってゆっくりまばたきすることを、「あなたに敵意はありませんよ」と言う意味を持つ。これをもっと過激に言えば、「愛してるよ」という意味でもある。
俺はこういうことを、よくやってしまう。
可愛い猫には、つい構いたくなるんだよ。気長になんて待ってられない。
うん、猫は大好きだけど、将来猫を飼うのとかはやめておこう。多分根本的に猫の飼い主として向いてないや。
「あ、そうだ。母が知り合いからイノシシ肉をもらったらしくて、今日の夜に俺がそれを生姜焼きにするけど、一緒に食べるか? 確かイノシシ肉が大好物だったよな? あれはきっと最高にうまいぞー」
「――ゴクリッ。うるしゃい! いらにゃい! 確かにジビエは大好物にゃ。でも、にゃーはお前の家になんて行かにゃい! 行かにゃいったら行かにゃい!!」
「はいはい、明日にでもタッパーに入れてもってきてやるよ。俺からの供物だ。ありがたく受け取ってくれ」
「……なんだか泰平って、にゃーのこと、たまに神様みたいに扱ってにゃいか?」
「おっと失礼。俺の中でケモミミっていうのは、神様のシンボルマークだからさ。それくらいケモミミってのは素晴らしいものなんだよ」
「にゃんだ、ただ泰平が変態ってだけか」
◆
そして夜。
今日も普通っ子が俺の家にお泊まりする。
「で、お母さん、普通っ子。今日の俺の料理はどうだった?」
いつものように無言で食事を終え、総評を聞いていく。
「うん、美味しかったよ。これ、猪肉なんだよね?」
「うん。臭みとか全然ないだろ?」
「うん! むしろ豚肉より好きかも。お肉の味が濃くて、生姜の香りともすごく合ってる。ご飯が止まらなくて、食べすぎちゃった」
普通っ子は分かりやすくご飯をかっこんでいた。あの時は嬉しかったなあ。
「わかるー。俺も今日のはかなり上手くできたと思うんだよなー」
味見をした時、今回は「あれ? めちゃくちゃいいじゃん」と思えた。後はこれをもう少し手早くできるように慣れることと、安定してこの味を出せるようになるのが目標だ。
とりあえず普通っ子が絶賛なのは分かった。
ただ、はたして母はどうだろうか。
「……悪くなかった」
「おお!」
「いや、かなり良い。猪肉特有の癖を生姜で上手く抑えているし、肉の旨味を殺していない。下処理も丁寧にやったようだな」
「へへっ、あざーす」
いつも料理に関しては厳しい母からも、今回は珍しく高評価をもらえた。
ヤバい、めちゃくちゃ嬉しい。最初から褒められることは今までなかったので、俺の料理の腕も少しは上がってきたようだ。
「ただし……」
「えっ?」
「タレが少し甘いな。猪肉は豚肉よりも味が強い。だから、このくらい甘くした方が食べやすいという判断なのだろう。それ自体は間違っていない。だが、これだけ甘くするなら、生姜をもう少し入れたほうがバランスがいい。
それと、ほんの少し焼きすぎだ。最初の一口では気にならないが、何枚か食べると少し硬さが残る。猪肉は火を入れすぎると途端に食感が悪くなるから、もう少しだけ火入れに気をつけるように」
なるほど。言われてみたら確かにそうかも。
うーん、料理の世界は奥深いな。平均点以上の味にはなれたと思うが、そこから一点伸ばすのがかなり難しい。
母の味を再現する道のりはまだまだ遠そうだ。
「うーむ、今日のやつは人にお裾分けする予定なんだけど、やめておいたほうがいいかなあ」
「ふむ、さっきの評価は、あくまで私の味を再現したいと願う泰平向けの厳しいアドバイスだ。家庭料理の範疇で言えば、相当ハイレベルだろう。いや、これをまずいという女子高生は、まずいない」
「そうだよ。今日のは泰平史上最高傑作じゃないかな。自信持っていいと思うよ。めちゃくちゃおいしかったもん」
「なるほど……うし! じゃあ、自信持ってケモミミっ子に食わせてやるかあ。ぐへへっ、これであいつの喉をゴロゴロ言わせてやるぜ」
翌日ケモミミっ子に強引に食べさせた時「ま、まあまあだにゃ!」と、口元をタレで汚しながら言われた。
あまりにも分かりやすいツンデレに、ニヤケが止まらなかった。




