第九十一話 水風船バトル
「「食いすぎた」」
俺と元気っ子後輩は、川辺に張ったタープの中、レジャーシートの上の厚手のマットで寝転んでダウンしていた。
「スモアでやめておけばこんなことには……」
「でも、師範があんなもの作ったんですから……私には抗うのは無理でした」
「だよなあ……うっぷ」
もうお腹いっぱいだと満足していたその時、そいつは現れた。
網の上に鎮座していたのは、食パンの巨大なブロック。深い切れ目の隙間から、溶けたバターと蜂蜜がぐつぐつと泡を立て、炭火で焼かれた表面はカリッと香ばしいきつね色に染まっていた。
仕上げとばかりに頂点に冷たいバニラアイスが贅沢に落とされ、更に上からチョコソースと、粉砂糖という雪が降り注がれた。
小麦の香ばしさと共に、暴力的で甘く濃厚な香りを嗅いだ瞬間、俺はもう自分を押さえられなかった。
全員で分けて食べる想定だったのに、俺と元気っ子後輩が暴走し、競うように平らげ――そして今、こうなっているというわけだ。
「泰平先輩、あっちは楽しそうですね……」
「そうだな……」
川辺では、食後の運動がてら、みんなが水切りで遊んでいる。何回跳ねた、向こうまで届いた、など、とにかく楽しそうだ。
「はあー。今が夜なら、このまま天体観測できたのになあ。さらさらとした川のせせらぎを聞きながら、満天の星空を眺めるのはなかなかいいもんだぞ」
「それは……よさそうですねえ」
「そんな素敵な夜の隣に、男がいればもっと素敵な思い出になるよな。ってことで、もうちょい近づいていい?」
「泰平先輩は、ほんと私のことが好きですねえ。さっきからちょくちょく手が触れちゃうくらいなんですから、もう充分近いじゃないですか……」
「そうだけど……俺は可愛い後輩との甘いスキンシップを求めてるんだよ。繊細な男心、分からんもんかねえ……」
「泰平先輩が繊細? しんどいのに笑わせないでくださいよ」
「ウチの後輩が辛辣な件について」
「なにおー。シホちゃんは世界一優しいことで有名ですよ」
「確かになあ……あー、しんど」
「ですです」
「「はあー……」」
二人で大きなため息一つ。重なったことが少し嬉しい。このため息なら、幸せが逃げていかない気がした。
◆
それから俺達は二時間ほど座ったり軽く歩いたりしながら、のんびりとした時間を過ごした。
「見ろ元気っ子後輩よ。今のみんな、川辺でのんびりリラックスモードになってるぞ」
「それはいけませんね。私達が回復してしまったからには、平和な時間は終了です」
「なら、宣戦布告しにいくか」
「ですです!」
俺達はさっき用意した「あるもの」をたくさん抱え、のんびり川で遊んでいるみんなに向かって宣言した。
「さあ、お前ら! 平和な遊びの時間は終わりだ!」
「あ、やっとバカ二人が戻ってきた」
「おかえりー」
「何を持って……ああ、水風船?」
「現在、根拠のない不安を検知しています。これが、嫌な予感というものでしょうか」
そう、俺達は水をパンパンに詰めた水風船をバケツに大量に入れて持ってきた。
水風船での遊びは主人公君ですらやっていなかったので、「主人公君よりエンジョイしてやる!」という気持ちで買っておいたのだ。
それが今、火を噴く。
「皆さん、お覚悟!!」
「なはははははは!! くらえくらえくらえい! 当たって割っちゃったやつは、ちゃんとゴムの破片を残さず拾えよ!! 主将命令だ!!」
「ちょ、泰平! そっちだけ水風船あってズル――」
うし! 白ギャル先輩にヒット!
「……そう、問答無用ってわけね」
へへへっ、今の俺達には大量の水風船がある。怖いもんなんてないんだよ!
あっ、しれっと普通っ子が遠くへ逃げてやがる。逃さん、どこまでも追いかけてやろう! ぐはははは!!
「師範! お覚悟!」
――ぱしん。
元気っ子後輩が投げた水風船は、俺の母が片手を伸ばしたまま微動だにせず、手のひらだけでキャッチした。
おいおい、嘘だろ? パンパンに膨らんで割れやすい水風船だぞ? そんなラスボスみたいなキャッチの仕方(?)しないでくれよ。
「先手を取られても慌てる必要はない。柔よく剛を制す。たとえ割れやすい水風船であろうが、衝撃を逃がせば割らずにキャッチできる。さあ、反撃だ」
「「「はい!!!」」」
「えっ、ちょ。二対五は卑怯――うぐっ」
母の豪速球により、俺のお腹に水風船がクリーンヒット。
「あっ、泰平先輩! 怯んでる暇ありませんよ! ルリ先輩が泰平先輩の水風船を狙ってます!」
「やばっ、マジか! ま、まあ。まだまだ俺達には武器の利がある。どんどん投げて、ガンガンひるませてやろう!」
「は、はい!」
「あらあ? 泰平もシホも、焦って精度が悪くなったんじゃない? カエデ! 落ちた水風船は任せたわ!」
「了解! 後ろは任せて! 調子に乗っている後輩共には、痛い目をみてもらわなきゃね!」
ヤバい! ぶりっ子先輩に避けられたせいで、川に落ちた水風船を確保されてしまう!
「中衛は私達二人が水鉄砲でお相手するよ!」
「遠距離なら演算能力の高い私の出番です。さあ、お覚悟」
ぶりっ子先輩の後ろには、普通っ子とAI搭載アンドロイドがいた。
「うげっ! 普通っ子は逃げたんじゃなくて、水鉄砲を持ってきてたのかよ!」
「やばいやばい! 泰平先輩! このままでは我が軍は敗残兵の群れと化してしまいます! どうしましょうか!?」
「とりあえず……固まっていてもやられるだけだ! 一旦二手に分かれよう! 機動力を活かして、逃げ回りながら攻撃するんだ!」
「はい!」
この後めちゃくちゃゴムの破片を拾った。
◆
みんなでしっかり遊び尽くしていたら、いつの間にかすっかり周囲は暗くなっていた。
「白ギャル先輩、カレー美味しかったです!」
「ふふっ、普段はあまり料理なんてしないけど、おいしいって褒められるのは案外いいものね」
「分かります! 俺も最近普通っ子に晩ごはんを振る舞うんですけど、美味しそうに食べてくれるとすっごく嬉しくなりますよね!」
みんなで寝転びながら、夜空を見上げる。俺は隣に寝転ぶ白ギャル先輩と小指を絡めながら、雑談に励んでいた。
「そっか、ユウカは泰平の手料理をしょっちゅう食べてるんだ。いいなあ……」
「ぐふっ! 可愛すぎる……!」
「ちょ、泰平は反応が大げさなのよ」
「先輩! 心配しなくても、約一年半後、俺が卒業して、先輩さえいいのなら……ね?」
「ま、まあ、そうね。うん……えへへ」
ヤバい。いつもの五億倍白ギャル先輩が可愛い。どうにかなってしまいそう。
「あっ、また泰平先輩とカエデ先輩が甘い雰囲気を醸し出してる! それ、やめてくださいって言ってるじゃないですかー」
もう片方の隣の元気っ子が、俺にえいえいとちょっかいをかけながら指摘してくる。
「ふへへ、俺の隣に位置した女は、甘い空気にさせなきゃいけないルールがあるんだぜ? だから、元気っ子も俺と甘い雰囲気、楽しもうずぇー!」
「うぎゃあー! なんが背筋がゾワッとしました! 耳元で囁かないでください!」
「あはははははっ! 元気っ子後輩はおこちゃまだなあ」
「おこちゃまじゃないです! 泰平先輩のアホ!」
元気っ子後輩が「アホ」と言う時は、そこまで本気で罵ってきていないということを俺は知っている。ちょっとしたツッコミみたいなものだ。ただ、これが本域の「バカ」となると、少し注意が必要だ。その時は本気で言っているから。
「水風船バトルの時に裏切った後輩へ、ちょっとした意趣返しだ。この裏切り者め。俺のために忠義を尽くすって言ったあの言葉は嘘だったのかよ」
「へへーん。シホちゃんは戦国の渡り鳥なんで、常に優勢な方へ味方するんですよ!」
「こんの恩知らずめ! 元気っ子後輩さえいれば……くそう」
「まあまあ、私が言うのもなんですが、この美しい夜空でも見て元気出してください」
すぐここまで落ちてきそうなほど綺麗な夜空の下、こういったやり取りをする俺達を、白ギャル先輩は優しい瞳で見守っていた。
「みんな、そろそろ帰るよ」
「「「はあーい」」」
今回は行きと席順が変わり、俺は後部座席に座らせてもらった。
ここなら存分にはしゃげると思ったのだが、いつも寝るのが早い俺は、もう結構おネムだ。
一瞬だけ、一瞬だけ目をつむろう。一瞬だけ――
いつの間にか俺の意識が遠のいてしまっていたのだった。
俺達の最高の旅行は、こうして幕を下ろした。
俺が眠っている間の車内では、こんなおしゃべりが繰り広げられていたとか。
「ふふふっ、幸せそうな寝顔。肩を寄せ合って寝ちゃって……二人とも可愛いわ」
白ギャル先輩が助手席から俺と元気っ子後輩の寝顔をパシャリと撮った。
「二人とも、本当に屈託のない笑顔で寝てますね。私も写真撮ろ。そういえば、ふと思ったんですけど、シホって常に泰平の隣にちゃっかり居座っていないですか?」
「――パシャリ。きっとそこが一番楽しいって、シホは知ってるのよ」
「ああー。シホなら無意識にそう感じててもおかしくないかもですね」
「今日は泰平の新たな一面を観察できて、楽しかったです」
「あら。クラスでの泰平はこんな感じじゃないの?」
「ええ、同じようで、全然違います。こんなにコロコロと表情が変わりませんね。特に、目が違います。普段はこんなに深くて優しい色はしていません」
「ねえ、あなた視点でのクラスでの泰平のこと、もっと聞かせてくれる?」
「ええ、泰平は――」




