怒れるメイド長。
『離しなさいよ! 痛いじゃないのっ!』
叫んでも従僕はバンビーナを離そうとしない。
口枷をされているので声が聞こえていないからだろうか。
廊下を引き摺られている中で多くの人とすれ違ったが、誰一人としてバンビーナを助けてはくれなかった。
そういえばバンビーナがベアトリーチェに様々な嫌がらせをしたときも、誰も助けなかった。
一番面白かったのはキアッフレードに会う直前、汚水をぶちまけたときだろうか。
婚約者に罵声を浴びせられるベアトリーチェを見るのは面白く、後始末もメイドに押しつけたし、ディオニージアから褒められもした。
次の機会を狙っていたがここぞという場面に遭遇できなかったので、一度しかしていない。
よもや、あれが不敬だったというはずはないだろう?
日常的に突き飛ばし、転ばせたこともあったが大けがをさせたわけでもあるまいし。
虫だって食べられる物しか混入していない。
汚物は何度か入れたがちっとも食べないのでやめた。
ドレスや下着を動くと破れるように細工したときも楽しかった。
これも何度かやったら、私がやるからメイド長はやっちゃだめ! とアンナベッラに怒られて止めなくてはいけなかったのだ。
バンビーナが満足するほど、ベアトリーチェを貶められていないのに。
不敬は違うだろう。
「私物の整理はすんでいますか?」
『は? すんでいるわけないじゃないの!』
ベアトリーチェにしていたあれこれを思い出していたら、家令が驚くべき質問をし始めた。
「副メイド長が嬉々としてやっておりますよ」
「自分が次期メイド長だと、昨日から横柄な態度を取っているようですね」
「そんな相手の私物整理を?」
「何か狙っている物でもあるんじゃないですか? まだ奥方様が押しつけた品々を回収していませんし」
「人手が足りませんね。誰か推薦できますか?」
「カルロッタは……ベアトリーチェ様のお世話から外せませんよね?」
「騎士や従者もそうですが、メイドも増やす手配をしないと」
「そちらはエズメラルダ女史にお願いしたいですね。あの方でしたら間違いありません」
「そんなに凄い方なんですか?」
「ええ、伝説の成り上がりメイドですから。尊敬できる方ですよ」
バンビーナはゴミを引き摺るように全く注意が向けられない状況に愕然としながらも、聞きたくない名前を久しぶりに聞いて顔を顰めた。
エズメラルダ・ヴィヴァリーニ。
先代のメイド長。
最後の最後までバンビーナがメイド長に就任するのを認めなかった鬼畜。
「ん? おや。お早い到着ですね。優しい方ですからベアトリーチェ様が心配なのでしょう」
家令が穏やかな微笑を浮かべる。
冷静沈着で表情を動かさない典型的なできる家令がするには珍しい表情だ。
「久しいですね、ファウスティノ」
「御健勝なようで何よりです、エズメラルダ女史」
「今後は昔の通りに。エズメラルダ、もしくはメイド長で構いません。ベアトリーチェ様は?」
「先ほど朝風呂を堪能したいと、手配されておられました」
「現在の専属メイドは問題ありませんの?」
「ええ、ありません。ベアトリーチェ様との相性も良いようです」
「そう、何よりね。着替えたら御挨拶に伺います。私の部屋は?」
「メイド長の部屋は片付いておりませんので、一端私の部屋へ」
「あら、いいの?」
「エズメラルダに見られて困るものはありませんよ」
実に親しげな口調で語り合う二人。
従僕たちも珍しいものを見る目で様子を窺っている。
バンビーナは当然の放置だ。
「……案の定犯罪者として解雇になるのね。だから私、反対しましたのに。メイドとしてすら熟していない者をメイド長に据えるなどと」
「先代様方はアンヌンツィアータ家を重用しておりましたから」
「私もアンヌンツィアータ家に関して物申すつもりはありません。ただ家の血を引いていても優秀でない者はいるという話でしたのに」
「しばらくは、せめてメイドに降格をと頑張っていたのですが、奥方様が介入されまして」
「相変わらず困った方のようですね」
「奥方様は変わられないかもしれません。今のベアトリーチェ様を理解されればあるいは……可能性があるかと思いますが」
「……早く御挨拶をしたくなってきましたわ」
「ふふふ。きっと貴女が想像されている以上にすばらしい方です、ベアトリーチェ様は。最後にこの者に言い残すことはございますか?」
家令の言葉を受けたエズメラルダに睥睨される。
以前現役だった頃ですら見せなかった冷徹な眼差しだった。
「何もありませんよ。この者が今後アンドレオッティ家に関わる日は永遠に来ないのですから。では、失礼」
貴婦人らしい品のある装いをしたエズメラルダは颯爽と去って行った。
バンビーナが入室を許されなかった家令室へ入り、メイド長しか許されぬ特別なメイド服を着て、ベアトリーチェの元に挨拶へ行くのだろう。
「……家令が絶賛するだけあって、凄い方ですね。会話に入れませんでしたよ」
「自分もです。挨拶ぐらいはすませたかったのですが、恐らくそれは駄目な行動ですよね?」
「ふふふ。貴男たちが優秀で良かったです。ベアトリーチェ様に何が起こったのかわかりませんが、今の御様子であればアンドレオッティ家を継ぐのは、ベアトリーチェ様になりそうですね」
従僕は感嘆の声を上げる。
ベアトリーチェがアンドレオッティ家の次期当主となる未来を歓迎しているようだ。
信じられない。
あの、無能が。
何時だってこちらの様子を窺うばかりの、高位貴族らしくない振る舞いしかできない恥知らずが、次の当主だなんて。
「ベアトリーチェ様が沈黙を守っていたから、貴様のような愚物がのさばれたのだ。今更手遅れだが高位貴族への接し方を改めないと……周囲を巻き込んで終わるぞ?」
メイド長室の扉が大きく開かれる。
中には副メイド長とメイド二人が家捜しをしていた。
きちんと整理していたはずの部屋は見るも無惨な有様だった。
「……解雇されるメイド長の私物はまとめたのですか?」
「ええ、そちらがまとめたものです」
副メイド長が大きなトランクを指し示す。
一つだけしかない。
しかもそのトランクは処分を考えていた、古ぼけたものだった。
「はぁ、二人とも」
「「はっ!」」
家令が従僕に指示を出す。
メイドたち三人の頬を高く張ったと思ったら、彼女たちが盗もうとした品々を取り上げた。
続いて拘束が解かれたので大急ぎで口枷を外す。
「何を考えているのよ、あんたら! 私の物を盗んでるんじゃないわよ」
副メイド長の指から指輪を引き抜く。
奥方様からいただいた豪奢なサファイアだ。
彼女が身につけていいものではない。
「解雇された者の私物を盗む程度では、そこまで問題ではありませんが……奥方様の品を盗めば速攻で解雇ですね。貴女方も私物をまとめなさい」
「そ、そんな! 一度きりの過ちですわ。どうぞ、お許しください。家令様」
三人が素早く土下座をする。
彼女たちの土下座に価値なんてない。
するだけ無駄だ。
「……私物を盗むのは初めてでも、横領は重ねているでしょう? 料理長が寛容だったから許されていたのです。年頃の女の子が腹を空かしたら可哀想じゃねぇか! が彼の口癖ですからね。ですが、こうして他人の私物にまで手を出すのですから、もう無理でしょう」
「ちょっとお菓子をつまみ食いしたくらいで……」
「そのつまみ食いしたお菓子は、貴女方の給与で賄えないものです。全く公爵家に仕えるメイドとは思えぬほど不勉強ですね。貴女が甘やかしすぎた結果だという自覚はありますか、バンビーナ」
「勉強は率先してすべきもの。私は常にそう言っていましたけど?」
「何を勉強すればいいかは自分で考えろって! 教えてなんてくれませんでした」
涙目の副メイド長に睨みつけられた。
自分の馬鹿さ加減を理解していない相手とは、公平なやり取りができないとわかっていても腹立たしい。
「基本は教えねばなりません。バンビーナがそれすら教えていなかったという報告は上がっておりました。それでも奥方様の介入で放置されていただけです。さぁ、貴女方も荷物をまとめなさい。そしてバンビーナ。早く着替えなさい」
「着替えるから出ていきなさ! え? 旦那様!」
家令たちに命じるのと同時に背後から誰かが姿を現した。
それは久しぶりに見るバンビーナの元夫だった。
「な、何をなさるんです? やめてください、旦那様!」
「私が贈った物を回収している……その結婚指輪も外しなさい。もう私たちは夫婦ではないのだ」
離婚が決定したときに、返却を求められた物をたくさんこちらへ持ち込んでいる。
元夫から記念にもらった宝飾品もそうだし、結婚指輪も婚約指輪も、義実家の嫁が持つべき高価な宝飾品も。
公爵家で生活をしていれば元夫が追ってこれないと考えたからだ。
「回収は完了しましたかな?」
「はい。ありがとうございます。全て揃っていたようです。売却前で何よりでした」
「売却なんてするわけないじゃない。全部貴男がくれた私の物なのよ?」
「君の不誠実に対する慰謝料代わりだよ。まさか一銭も払わずに逃げるとは思わなかった」
「実家に請求すれば良かったじゃない!」
「悪いのは君だ。何時までも親のすねをかじるものではないよ。何であんなに誠実な方々の娘が君なんだろうね?」
親が用意した中で一番嬉しかったのが元夫だった。
誰にでも自慢できる美しく賢くお金持ちの元夫が好きで仕方なかったのだ。
だからこそ少しでも元夫に相応しくありたいと、公爵家のメイド長として頑張っていたというのに。
「御実家には私が送ろう。だがそれが最後の慈悲だと思ってくれたまえ。ファウスティノ殿、最後まで御迷惑をおかけして申し訳ない」
元夫が家令に頭を下げる。
家令如きに謝罪をした。
目の前の光景は悪夢そのものだった。
呆然としているうちに、私服に着替えさせられていた。
元夫以外の目にバンビーナの肌が見られたというのに、元夫は怒ってもくれなかった。
それどころか。
実家に到着するまでの馬車の中、一言すら、口をきいてはくれなかった。




