困惑する専属メイド。
「はぁ……本当にお前、馬鹿だったんだな? これじゃあ、あいつが可哀想だぜ。良い奴なんだけどなぁ……」
部屋の中に突き飛ばされる。
どさっと大きな音とともに倒れ込んだ。
地下の倉庫。
メイドたちの間でお仕置き部屋と噂されていた場所。
ブルニルダも中に入るのは初めてだ。
中に入ったら二度と出られない……そんな恐ろしい話を聞いていたので、震えが止まらない。
「お前さぁ。自分の行動がメイドとしてあるまじきものだって、わかってなかったのかよ」
がしがしと頭を掻いているのはブルニルダを倉庫に連れ込んだ従者。
ベアトリーチェの兄に仕えている出世頭。
ブルニルダの婚約者とは友人でもあった。
「俺、何度も言ったよな? ベアトリーチェ様は歴とした公爵令嬢だと」
「な、名ばかりの公爵令嬢じゃない!」
「はぁ、違う。違うんだって。ベアトリーチェ様は秀才……や、天才だ」
「あ、あの愚鈍が? きゃっ!」
ぱーんと音も高く頬を張られる。
じんじんとした痛みが徐々に酷くなっていく。
ベアトリーチェも母親や妹によく叩かれていた。
彼女も同じような痛みを覚えたのだろうか。
ブルニルダだったら、一度でも耐えられない。
「よく、聞け。ベアトリーチェ様は愚鈍じゃない。兄の、妹の、母の作業や仕事の多くを引き受けてこなされていた。紛れもない、天才だ」
「……え?」
「仮にもお前、ベアトリーチェ様の専属メイドだろう? どうして気がつけなかったんだ」
「どうしてって……」
妹のアンナベッラ様が。
『お姉さまはおばかさんだから、私の宿題をやらせてあげるのよ? だってお姉さまはご自分の宿題が難しくて、とけないって愚痴を零すんですもの。私は優しい妹だから、お姉さまを思ってやらせて差し上げるの。そうしたら少しでもお勉強ができるようになるかもしれないじゃない』
毎日のようにブルニルダを呼びつけて語り続けてきたから。
同意しないと何時までも解放されないから。
仕事が、終わらないから。
全部肯定していた。
アンナベッラが嘘を言うなんて思ってもいなかった。
信じていたのだ。
「アンナベッラ様が、そうおっしゃっていたもの。彼女が嘘を吐くはずがないでしょう?」
「嘘は吐いてねぇだろうよ。あの方の中ではな?」
「……は?」
「でもそれはあの方の中だけの話。出来が悪くて命じられた宿題を片付けるのが面倒で、全部ベアトリーチェ様に押しつけてたってのが正しい。ベアトリーチェ様が正しく公爵令嬢という立場を貫かれると決めたなら……今後は大変だろうな、あの方は」
まさか違うでしょう? と思うも、アンナベッラの今までの生活を考えると背筋に怖気が走った。
ゆっくりと起床。
朝食は食べず、昼食よりもアフタヌーンティーを好む。
そのせいで夕食もほとんど食べない。
料理長が愚痴を零していた。
太るからとダンスのレッスンは欠かさない。
だがレッスンや勉強といえるものは、それだけしかやっていない気がする。
何人目になるかわからないマナーの講師が深々と溜め息を吐いていた。
『せめて、下位貴族のマナーを覚えていただかねば……』
つまりアンナベッラは下位貴族のマナーもマスターしていない。
気さくな方だと好意的に思っていたが、メイドと距離が近すぎるのは問題しかなかった。
しかもベアトリーチェの専属メイドであるブルニルダを、毎日呼びつけるのはそもそもおかしい。
「アンナベッラ様は宿題を全て押しつけていた。奥様は経理の押しつけだな。お前が盗んだペンダントの価値を知ってから、それ以上の物を購入するって大変だったんだぜ? 自分で管理していないからわかんねーんだよ。公爵家といえども記念日でもないのに即購入とかあり得ねーから」
「公爵家って、お金持ち、でしょう?」
「爵位を維持しても尚、裕福な生活は送れるぜ。今後もベアトリーチェ様が管理してくださるなら、今の生活は維持できるだろう。だが奥様がやっぱり自分が管理するって言いだしたら……速攻で没落だろうな。出て行く金が入る金より多ければ公爵家だって破産するってーの」
「そ、そんな」
奥方様……ディオニージア様は。
三日に一度はメイド全員を呼び出して、自分が購入した物を披露してくださった。
仕事に忠実な者であれば、購入された物を下賜されたりもしたのだ。
メイド長ほどではなかったが、ベアトリーチェの専属で苦労をかけるとおっしゃって、幾度も素敵な宝飾品を与えてくれた。
ブルニルダの宝石箱はディオニージアからいただいた宝飾品とベアトリーチェから盗んだ宝飾品でいっぱいなのだ。
「お前、さ。奥様から何点か、宝飾品をいただいたろ?」
「ええ。ベアトリーチェ……様の、専属で迷惑をかけるからって」
「その言葉を真っ向から信じて受け取るとか、正気を疑う。普通なら三度は断る。基本は受け取るべきじゃない」
「でもせっかく私を労って、もらってちょうだい? っておっしゃるのを、断れって言うの!」
「ああ、断るべきだった。お前は馬鹿だから知らんかったろうけど、奥様から宝飾品を賜って三年以上勤めているのはメイド長だけだぞ。それ以外は窃盗で処分されている」
処分。
口にするのも悍ましい言葉。
解雇ですらない、とは。
「あとなぁ……我が主は優秀なベアトリーチェ様に嫉妬しておられたからなぁ。ご自分だって公爵家嫡子に相応しいといわれるほど優秀でおられるのに」
『優秀なベアトリーチェには頑張って自分を助けてもらわねばなるまい』
兄のボニファーチョ様は。
確かに繰り返して。
鬱陶しいと思うほどおっしゃってはいた。
あれはお世辞ではなかったのか。
嫌味でもなかったのか。
心の底から思っていたというのか。
「何処までベアトリーチェ様が優秀なのか確認しているうちに、想像以上にベアトリーチェ様が優秀だと理解して、歪んでしまわれた……それでも尊敬できる方だから最後まで忠臣であろうと頑張ってきたけれど……」
「ブルニルダ! これほどの物を盗んでいたのであれば、処分です! どうしてこんなにも愚かなことをしでかしたのですかっ!」
家令が彼らしくもなく、足音も大きく倉庫へ入ってきた。
古びた机の上に置かれたのは、ブルニルダの大切な宝石箱。
この屋敷に勤め始めてから入手した宝飾品全てが収められている。
「盗んだのは、ベアトリーチェの物だけ!」
「ベアトリーチェ様と呼びなさいっ!」
「ひぃっ!」
倉庫がびりびりと震えるような怒りに満ちた声音。
初めて見る、家令の激怒した姿。
「……奥方の宝飾品に関しては何時ものアレです。メイド長が遠慮なく受け取っているから、メイドたちも麻痺したらしくて」
「ああ、なるほど。メイド長の管轄だと触れないできましたが……ちょうどいい機会ですね。旦那様にも全て報告します」
「ええ、それがいいと思われます」
「あ、あの。私、その。本当に奥方様から、いただいたもの、でして」
「言い訳は結構。貴女は不敬と窃盗を犯したので、解雇になります。処分にしたいのですが……公爵家の体裁もありますから。処分されぬ慈悲を未来永劫感謝なさい。荷物は貴女の同僚がまとめてくれました。着替えをして公爵家から出て行きなさい。二度とこのお屋敷に足を踏み入れることは許しません」
倉庫の扉からこちらを覗いていた同僚がすたすたすたと入ってきて、トランクを一つ足元に置いた。
着替えは乱雑にテーブルの上へ置かれる。
伯爵令嬢が外へ出るときに着る服ではない。
だが文句を言える雰囲気でもなかった。
男性の前で服を着替えるのは恥ずかしい。
「あの、これから服を着替えるので……」
「さっさと着替えてください。貴女の下着姿など興味もありませんので」
「家令と同じです。こっそり脱いだメイド服を仕舞われても困りますから」
「し、しまったらわかるじゃないですか!」
「いいから着替えな!」
「嫌ですっ!」
ブルニルダはトランクを持って、自室へ向かい全力で走った。
三人は追ってこない。
走っている最中、人目を引いたが気にしている場合ではなかった。
何とか誰にも咎められずに自室の扉を開けた。
ブルニルダは二人部屋だった。
爵位持ちは個室か二人部屋のどちらか。
個室を申請していたのだが、最後まで叶えられなかったのだ。
「着替え、は、しないと!」
メイド服を脱ぎ捨てて簡素な服を手に取った。
実家までの馬車はどうすればいいのだろう?
手配をお願いしても叶わない可能性が高い。
大急ぎで着替えを済ませてトランクを開ける。
「はぁ?」
道理で軽いはずだ。
公爵家から支給された物は何一つ入っていない。
下着は一ダース、寝間着三着、外出着三着、ルームウェア三着、メイド服一式三着。
これが公爵家に入るときにもらえる服一式だ。
生地が良いので大切に着れば何年も着られる。
劣化の申告をすれば新しい物が次の日には支給された。
同僚と出かけたときに付き合いで購入した服や下着がなかったら、裸で追い出されたのだろうか。
ぞっとして体を抱きかかえると、背後から声が聞こえた。
「……婚約者様から贈られた物は、直接婚約者様の元へ返品手配をしたから」
「勝手なことをしないでよ! そんなことをされたら婚約破棄されちゃうじゃない!」
「……どちらにしろ犯罪で解雇でしょう? 破棄じゃなくても解消は間違いないわね」
ルームメイトの冷ややかな眼差しは慣れていたが、楽しそうな声は初めてだった。
「馬車の手配はできないけど。荷馬車であれば、御実家まで運んでくれるそうよ」
「そんな!」
荷物と一緒に運ばれろというのか。
伯爵令嬢の自分が。
「それが嫌なら、お金を払って馬車を頼むのね」
給与は多少残してある。
次の休みに使おうと思って貯めておいたものだ。
実家までの距離は馬車で一週間。
途中で宿を取って実家からの迎えを待った方がいいだろうか……。
「実家へ、その、連絡は……」
「先ほど家令がなさっていたわ。お詫びにこちらへ向かうらしいわよ」
「じゃ、じゃあ、それまでお屋敷に!」
「滞在できるわけないわよね? 馬鹿な真似をすると実家からも捨てられるわよ」
「もう、どうしたらいいのよ!」
「……私じゃなくて、お友達に聞けば? じゃ、私はこれで」
「待って、待ってよ! ねぇ、お願いっ!」
ルームメイトの腕を掴むも弾かれる。
怒りのあまり殴りかかったところで、意識が飛んだ。
目が覚めたとき、ブルニルダは倉庫の床に横たわっていた。
テーブルの上にメモが一枚置かれている。
そこにはこう書かれていた。
御両親が直接謝罪に来られます。
その際、貴女を連れて帰るようです。
足があって良かったですね?
食事は一日一度。
体を拭くお湯も一日一度差し入れられます。
持っていくメイドに絡んだり、従僕に媚を売ったりしないでくださいね。
自分が犯罪人だという自覚をしっかり持って、迎えが来るまで反省しながら過ごしてください。
婚約者の友人である従者の筆跡だった。
倉庫にはベッドも置かれていた。
上に乗ればぎしっと嫌な音がする。
ここまで古いベッドを使用するのは初めてだ。
「私、伯爵令嬢なのに……」
未だ不満しか言えないブルニルダはベッドの上に蹲って、しくしくと泣き続けた。
周囲に誰もいないのに泣くのは、実に久しぶりだった。




