まずは専属メイドから。
ベアトリーチェの変貌に怯えたのか、怒りを覚えたのか。
本来なら一人ですべきではない着替えをすませてもブルニルダは戻らない。
仕方ないからメイドたちの休憩所でも覗いてみるか……と腰を上げれば、ばーん! と大きな音を立てて扉が開かれた。
公爵家の中でこの部屋の扉の劣化が一番激しいに違いない。
ベアトリーチェはわかりやすい溜め息を吐いた。
開いた扉の向こうには男性二人と女性二人が立っている。
「この通りです、家令! お嬢様の癇癪のせいで私、顔に傷がついたんですよ!」
ブルニルダの頬には大げさな手当がなされている。
頬を覆い尽くす大きさのガーゼ。
そもそも水差しは彼女の頬を掠めた時点では割れていない。
割れたのは床に叩きつけられてからだ。
派手に砕け散ったが、それでもブルニルダの頬を傷つけるほど高くは飛び散らなかった。
……そう言えば、ゲームで同じような展開の冤罪をかけられるシーンがあった気がする。
地味にゲームと同じ行動を取っているのだろうか。
「……家令。まずはお前が聞いた話をしてみなさい」
常と違うベアトリーチェの発言に驚いたのは全員。
ブルニルダもここにきて再度驚いている。
幾ら家族に虐げられているからとて、ベアトリーチェは公爵令嬢。
身分違いを考えて普通は邪険になどできないはずなのだ。
できるのは、それだけブルニルダが愚かな人間だからに他ならない。
異物混入はブルニルダの得意技だ。
何度かお腹を壊している。
食事系の報復はしておきたいところ。
「畏まりました。ブルニルダより、寝起きが悪いベアトリーチェ様が突然水差しを投げつけてきて、大怪我をさせられた……と報告を受けました」
「怪我の手当は誰がしましたか?」
ベアトリーチェの質問に対して家令は一度軽く頭を下げてから、ブルニルダに向き直った。
そして低い声で尋ねた。
「……自分で手当をしたのか?」
びくっと怯えを見せたブルニルダは、返答に困ったのか視線を彷徨わせた。
「自分が手伝いました」
静かに様子を窺っていた女性が声を上げる。
ベアトリーチェを下に見ない、数少ないメイドの一人だ。
ブルニルダによく仕事を押しつけられていた。
「突然救急セットを押しつけて、頬を覆い尽くすくらいにガーゼを張ってよ! と言われました」
「ふむ。彼女は怪我をしていなかったのでしょうか?」
「はい。この通り! かすり傷すら負っておりません」
ブルニルダが止める間もなくガーゼが剥ぎ取られる。
露わになった頬に怪我をした痕跡は見つけられなかった。
「あ、あんたねぇ!」
「仕事の邪魔をされた上に、冤罪の片棒を担がされそうになったので、自衛しただけです。ベアトリーチェ様。御身にお怪我があっては大変でございます。クリスタルの破片を片付けてもよろしゅうございましょうか?」
「ええ。ブルニルダと違って気が利くこと。任せましたわ」
「お褒めいただき恐縮でございます」
家令に会釈をした真面目なメイドは丁寧に掃除を始める。
「……私が起床してからの、名ばかりの専属メイドの行動を明確に教えましょう。心して、聞きなさい」
「は」
頭を下げる家令の隣で、同行してきた男性も頭を下げる。
こちらも真っ当な従者だ。
少なくともブルニルダのように、ベアトリーチェを小突いたりはしない。
ベアトリーチェは丁寧にブルニルダの行動を語った。
起床後に水を飲もうとしたら水差しが空だったので、ベルを鳴らすも誰も来なかったから、仕方なく待っていると、五分後にブルニルダが登場。
朝っぱらから、何の御用時ですかぁ? と声真似をしつつ、彼女が無礼な発言をしたので水差しを投げつけて戒めるも、反省の色はなし。
大げさな悲鳴を上げるだけだったので、水を手配するように指示するも動かず。
仕方なく二度目の指示を出したら、扉を激しく閉めて出て行った……と。
意識せずとも使える貴族令嬢らしい言葉で。
「……専属を外しましょう。いえ、解雇いたしましょう」
「ええ。当然の手配ですわ。二度と顔も見たくありませんもの」
「か、家令にそんな権限はありません! メイド長の許可がないと、メイドは解雇できないはずです」
ベアトリーチェの望む言葉を簡潔に放った家令の言葉にのれば、ブルニルダは間抜けな反論をしてきた。
「仕えるべき主に対する不敬よ。誰の許可も不要だわ」
「おっしゃるとおりでございます」
「で、でも!」
まだ頑張るつもりらしい。
時間の無駄だというのに。
しかしメイド長はどうしたのだろう。
メイドの不始末にはメイド長が出てくるのが本来の序列なのだが。
「そういえば、家令。メイド長は?」
「は。個人的所用で帰宅は明日になるかと」
「それで貴男が来たのね?」
「他に任せるわけにもまいりませんでしたので」
メイド長回りはベアトリーチェを下に見ていた輩ばかりだったから、英断だろう。
「それでは、明日! 明日メイド長が戻ってから、話をしましょう」
「……貴女に発言権を与えてはいなくてよ」
怒りを抑えた声音を使う。
全員が硬直した。
ベアトリーチェが本来発揮するはずだった、公爵令嬢の覇気が良い仕事をしてくれる。
「メイド長を待たずとも放逐してちょうだい。この屑は、私が婚約者様からいただいた希少な宝飾品を盗んだの」
ちらっと従者に目を向ける。
それだけで主人の意志を理解してみせる彼は有能だ。
背後からがっちりとブルニルダを拘束してくれた。
「……カルロッタ。彼女の襟元を確認してくれるかしら? ペンダントをしているはずですの」
カルロッタは、私の名前を御存じなんですか? と驚いた表情を見せてから神妙な面持ちになり、ブルニルダの襟元をガバッと開いた。
うん、その勢いの良さ、素敵!
「きゃああ!」
悲鳴を上げて胸元を隠そうとするも、遅い。
開かれた胸元にはベアトリーチェから取り上げたペンダントがあったのだ。
「これは! 間違いありません。希少宝石タフェーアイトでございますな。ベアトリーチェ様の瞳と同じく美しい紫の色味は、その中でも特に高価なものと伺っております」
「ええ、そうね。盗人に自覚してもらうには、もっとわかりやすく教えてあげましょうね。 これで、貴女の御実家が二軒は建ちますのよ?」
「え……? こ、こんなちっぽけなペンダントが、そこまで高いなんて、嘘でしょう?」
「本当です。貴女、一応伯爵令嬢なんでしょう? 宝石の知識がなさすぎよ」
カルロッタは容赦がなかった。
同僚の無知が許せなかったのだろう。
「な、なによ。子爵令嬢如きが! ちょっと知っているくらいでうぬぼれないで」
「どんな爵位であろうとも、私にとってはメイドに変わりないの。伯爵令嬢如きがうぬぼれないで。大体貴女、今の状況を理解できているのかしら? 公爵令嬢の持ち物を盗んだ伯爵令嬢が、今後、どんな状況に陥るのか、よくよく考えなさいな」
びしっとデコピンをしてから、しまった! と四人の反応を伺う。
結構痛いはずなのに呆然としているブルニルダ。
こほんと咳払いをした家令。
笑いを堪えているカルロッタと従者。
よ、良かった。
ぎりぎりセーフだわ、うん。
「……ペンダントは一度、業者にしっかりと洗浄させます」
笑いを堪えきったカルロッタはペンダントを丁寧に外すと、そう告げてきた。
今後も婚約者の前でつける機会があるだろう。
他人の、それも自分が不快に思う人物がつけていたペンダントをつけるには抵抗があったので、カルロッタの提案に大きく頷いて見せる。
「洗浄代は彼女の給与から引いておいてちょうだい」
「畏まりました。不敬と窃盗で解雇いたします。一応紹介状は書きましょう」
「当然明記してくださいまし? 公爵令嬢に対する暴言を含めた不敬と、公爵令嬢の持ち物を盗んでの解雇ですのよ、と」
「無論でございます」
公爵家に勤めていたのに紹介状がない。
……問題児ですので、雇う際は御注意を! という意味。
不敬と窃盗での解雇と明記された紹介状。
……ある方が問題な紹介状だ。
どちらを選んでも、メイドとしての未来はない。
伯爵令嬢としての未来もないだろう。
婚約も破棄か解消。
御実家は彼女を無一文で放逐するかもしれない。
運が良くて修道院に預けられるといったところか。
「いやあああああ!」
ブルニルダが絶叫を上げる。
自分の絶望しかない未来を理解したのかもしれないが、もう遅いのだ。
「……家令」
「はい、なんでございましょう?」
「貴男の権限で私の専属メイドをカルロッタにしてもらうのは、可能かしら?」
「ベアトリーチェ様!」
「可能でございます。メイド長にも私から申し伝えましょう。万が一メイド長が暴走しましたのなら……ベアトリーチェ様の御判断で処分くださいませ」
騒ぐブルニルダを引き摺って出て行った従者にも何か御礼をしたい。
彼は兄の従者だったはず。
かなり優秀と聞いているから、騎士代わりに引き抜こうかしら。
そういえばベアトリーチェには専属騎士がいない。
婚約者の我が儘でつけてもらえなかったけれど、家の中での安全確保のために、せめて従僕を一人は欲しかった。
家族に暴力を振るわれるとき、庇ってもらいたいのよ、切実に。
ディオニージアの渾身ビンタとか本当に痛いの。
わざと爪を立ててくるから、顔にひっかき傷とか残るしね。
「ええ、そうさせていただきますわ。それから、私。早急に従僕か従者を手配いただきたいの。専属騎士は難しそうでしょう?」
「……現状では難しゅうございますね。婚約者様との兼ね合いもございますし」
「先ほどの優秀な従者が私についてもいいと答えてくれたなら、お願いしたいわ。無理なら貴男が選んでちょうだい」
「確かに承りました。しかし専属メイドともあろう者が、あそこまで愚かだったとは……ベアトリーチェ様も本日はゆるりとお休みくださいませ。自分はいろいろと……そう、いろいろと手配いたしますので、御前、失礼いたします」
「手間をかけるけど、よろしくね。カルロッタ、早速だけど、お水を持ってきてもらえるかしら?」
「はい。即時手配いたしますので、少々お待ちくださいませ!」
家令より早くカルロッタが部屋を出て行く。
急いでいても扉が激しい音をたてて閉まったりはしない。
そんなカルロッタを見て家令は苦笑していた。
「こちらへどうぞ」
手を取って部屋の隅に置かれている椅子へエスコートされる。
椅子を引かれて座れば、そっとショールが掛けられた。
家令というよりは紳士だわぁ、と脳内で悶えておく。
何かを察知したのか、微笑ましいものを見る目で、真っ直ぐにベアトリーチェを見詰めた家令は深々と頭を下げて部屋を出て行った。
「お待たせいたしました! まずはお水をどうぞ。果実水もございますが、如何いたしましょう?」
五分と待たずにカルロッタが戻ってくる。
ティーワゴンの上には、ピッチャーが二つ、グラスも二つ。
ティーポットや軽食まで揃っていた。
さすがはできるメイド。
ブルニルダとは比べるのも失礼だ。
「ありがとう。果実水もいただきたいからよろしくね?」
「はい。こちらの果実水はもぎたてのレモン、キウイ、リンゴで作っております。ご令嬢様方に人気のレシピでございます」
ゆっくりと水を飲み干す間に、果実水の説明をしてくれる。
デトックスウォーターかしらね?
自分以外にも転生者や転移者がいて、異世界あるあるを実践しているのかしら? と思いながら、よく冷えた美味しい果実水を楽しんだ。




