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転生しました。

 


 夢の中、少女の悲鳴が聞こえた。


「大丈夫ですか?」


 声をかけたら、目が覚めた。


「……え?」


 何かがおかしい。

 最後の記憶はお風呂で乙女ゲームを堪能していたもの。

 就寝までの記憶がない。


「お風呂で寝ちゃって夢の中? もしかして……眠ったまま溺死?」


 慌てて周囲を見回す。

 そこは狭いワンルームの自室ではなかった。


 寝ていたのはふっかふかの天蓋付きベッド。

 乙女ゲームの世界でしか見たことのないそれ。


「えーと? 乙女ゲーム転生とか、まさか、あり得ないでしょう?」


 ベッドから降りてドレッサーに向かう。

 ドレッサーにかけられている、繊細なレースの掛け布をゆっくりと持ち上げた。


「ベアトリーチェ・アンドレオッティ……」


 鏡に映ったのは銀髪紫目の美しい少女。

 あちらの世界で恐らく死ぬ寸前までプレイしていた乙女ゲーム『ドアマットヒロインは溺愛される』の主人公に瓜二つだった。


「痛っ!」


 転生あるあるの、自覚した途端に襲い来る頭痛。

 佐藤葵改めベアトリーチェ・アンドレオッティは、よろよろとベッドへ戻り頭を抱えながら倒れ込む。


 まるでゲームのプレイ画面のように、ベアトリーチェの様子が脳裏に浮かんだ。


『ぐふっつ!』


『まぁ、おねえさまったら、ひどいわ! アンナベッラがいれたお茶をはきだそうとするなんて』


『そうだぞ! 全く。可愛いアンナが丹精込めて淹れたお茶に対して、敬意が足りないぞ』


『……御前、失礼いたします……』


 ハンカチで口元を押さえたベアトリーチェが部屋から走り去る。

 罵声を浴びせてくる兄と妹の声を聞きたくないから耳を塞ぎたいのに、塞げない! と瞳を潤ませている。

 何とも切ない理由の、悲しい感情が伝わってきた。


 自室へ戻ったベアトリーチェは洗面所で何度も吐き戻していた。

 必死に呼吸を戻そうとするベアトリーチェに背後から声をかけたのは……彼女の専属メイドだ。

 ゲームにも出てきた。

 貴族社会を舐めてんの? と思った常識のないメイドだ。


『何してるんですか、汚ったない! 全く誰が掃除をすると思っているんで?』


『あ……ごめんなさい。ブルニルダ』 


『うわ。ドレスまで汚して! ほら、さっさと脱いでよ。下げ渡すにしても洗ってからじゃないと公爵家の品位が下がるじゃないの』


ブルニルダと呼ばれたメイドは乱暴にベアトリーチェの体からドレスを剥いでいく。

 脱がす、ではなく、剥ぐ、と表現するのが正しい乱雑さだった。

 主であるはずのベアトリーチェに対して、真っ当な対応をしないブルニルダには不快感しかない。


『ふん。さすがに下着までは汚してなかったわね。調子が悪いならさっさと寝なさいよ。あ、迷惑かけられたんだから、これ、もらっていくわよ』


『あ、それはキアッフレード様がくださった物だから……』


『は? こんなちっぽけな石しかついていないペンダントが婚約者からのプレゼントですって! あんたって本当、婚約者に大事にされていないのね。私の婚約者ですらもっと豪華な物を贈ってくれるわよ』


 ベアトリーチェはブルニルダの暴言に口を噤む。

 ブルニルダがちっぽけな石と表現した宝石が、そのサイズであれば豪邸を一軒建てられる値段がする希少石だ、とは教えないようだ。

 教えてしまえばすぐに売却されてしまうかもしれない、と危惧しての沈黙だった。


 ブルニルダが犯罪者として罰せられてしまう心配。

 あとは高価な贈り物を盗まれたとキアッフレードに告げれば、激怒されてしまうのが恐ろしい……という思いが伝わってくる。


『さっさと寝なさいよ。夕食はいらないと伝えておくから、これ以上迷惑をかけないで』


 ペンダントをその場で身につけたブルニルダは、ドレスを抱えて部屋を出て行く。

 足で扉を閉めるというメイドにあるまじき行動には呆れ果てた。


 ベアトリーチェは何度か口の中をゆすぎ、よろよろと着替えを始める。

 ぜいぜいと荒い息を吐く様子は明らかに異常な体調不良を示していた。


『お茶の中に……体力がない者が飲んではいけない花が使われていて。しかも、お腹が空いているときに飲むと酩酊状態になってしまう、強いお酒も入っていて……』


 まるで葵に聞かせるような独り言だった。


『あの子は、私が、死ぬなんて、思っていないのよ? ただ少し苦しめばいいと思っただけなの』


 ふふふと微かに声をたてて笑う様子には、涙が滲んできた。


 ゲームではベアトリーチェがどれほど酷い目にあってきたのか、散々見た。

 だがこうしてゲームにはなかったエピソードで、悲しそうに微笑むベアトリーチェを見てしまえば、胸の苦しさはあちらの世界で感じた比ではなかった。


 ベアトリーチェの頬を涙が一筋伝う。


『私は、どうすれば皆に認めてもらえたのかしら……努力が足りなかったのかな?』


 そうじゃない。

 そうじゃない。

 ベアトリーチェは頑張っていた。

 強いて言えば頑張りすぎた。

 己の意見を言わなすぎた。

 我慢を、しすぎた。


『ごふっ! かはっ!』


 ベアトリーチェが突然レースが美しい寝具の上に倒れ込む。

 喉を掻きむしり始めた。

 息ができないのだろう。

 ベッドサイドのテーブルに手を伸ばすが届かない。

 テーブルにはメイドを呼ぶための可愛らしいベルが一つ置かれていた。


『と、どかない! どぉして、あんな、遠くに?』


 普段はもっと近くに置かれているようだ。

 寝ながらにして届くようにするのが適切な配慮だろう。

 恐らくブルニルダがわざと離れた場所へ設置したに違いない。


『くる、し。いき、できなっ!』


 ばたんと派手な寝返りが打たれた。

 苦悶の表情に胸が軋む。


『だれ、か……たす、け!』


 首を押さえていた手から力が抜ける。

 涙に濡れた瞳からすうっと光が消えていった。


「大丈夫ですか?」


『!』


 夢の中で聞こえた悲鳴に対して返した葵の言葉。

 一瞬だけ、ベアトリーチェの瞳に光が戻る。

 声は聞こえなかった。

 だが唇は動いていた。


 わたくしを案じてくださって、ありがとう……。


 死の直前、ベアトリーチェの耳に葵の声は届いていたようだ。


「大丈夫かと、聞いたそれだけで……」


 涙が溢れた。

 滅多に泣かなかった自分だ。

 記憶にある限り一番激しく泣いている気がした。

 息が、苦しい。


 優しい、貴女。

 私のために泣いてくださる、慈悲深き方。

 どうぞ、私の体を使って、幸せになってくださいまし。


 もう唇は動いていなかった。

 亡くなったベアトリーチェが直接囁いてくれたのだろうか。


 葵はゆっくりと目を開ける。

 二度目ましての天蓋ベッドのベール。

 酷い頭痛で失神している間に見た夢は。

 ベアトリーチェの最期だった、らしい。


 彼女は確かに、自分の体を託してくれた。


 なればわたしが、ベアトリーチェとなったわたくしがやるべきことは一つだ。


 ざまあ。

 ええ、ざまぁ。

 これです、よ。

 

 ベアトリーチェを虐げてきた者全てに復讐を。

 相応しい報復を。


「どうか、安心して天国へ行ってね。っていうか、私を転生? させた神様がたぶんいるだろうから……どうかベアトリーチェに幸福を」


 あちらの世界では神に祈らなかった。

 祈ってもどうしようもないと認識していたからだ。


 でもこちらの世界は違う。

 ゲームの中でも神の描写は多かった。

 聖職者であれば神の声が聞こえる人もいる世界だ。

 葵としての、最初で最後の願いもきっと届くだろう。


「は! ベアトリーチェの幸福は絶対として。あちらでの私ってどういう扱いになっているんだろう……」


 今更だ。

 今更なのだが。

 やはり気になる。

 今までの乙女ゲームや転生物のパターンから考えると……。


「いっそ、私の存在をなかったことにしてほしいわね?」


 失って惜しい存在なんて、会社の同僚数人と乙女ゲームの萌え仲間数人くらい。

 切り捨ててしまっても後悔は薄いだろう。

 人生を狂わせた両親など特に不要だ。

 

「そうよね。死んだ設定だと、恥ずかしいグッズとか両親に見られるのよね。絶対嫌。せめて誰かが処分してくれないかしら? あとは貯金! 両親には絶対渡したくないし。あいつらにとってははした金でも私が自力で得た報酬なんだから」


 ベッドの上で一人じたばたする。

 ここはこちらの神様と八百万やおよろずの神様に祈っておこう。


「私の存在はなかったことにしてください。貯金などは……何かこういい感じに恵まれない人たちへ、還元される形で手配していただけると有り難いです。八百万の神々様、こちらの神様……女神ルドヴィカ様。何卒我が願いをお聞き届けくださいませ」


 体勢を立て直し、絨毯がふかふかの床の上に座り、乙女ゲームのお気に入りスチルそのままの格好で祈りを捧げた。


 慈悲深い神様方だ。

 きっと願いは聞き届けられるだろう。

 そんな気がする。

 ……そうだと、思い込む。


 佐藤葵に関して思い悩むのはここまで。

 万が一神様たちが願いを聞き届けてくださらなかったとしても。

 憐れで愛しいベアトリーチェのために。

 ベアトリーチェとして生きるのだ。


 祈りのポーズをといてベッドサイドのテーブルに歩み寄り、置かれたベルを鳴らした。

 ベルは何処までも澄んだ音がする。

 ベアトリーチェは空っぽの水差しを手に、ベッドへ腰掛けて人が来るのを待った。

 

 時間にして五分くらいだろうか。

 呼び鈴を鳴らしてメイドが来るには遅すぎる。

 この世界の常識では一分以内が基本のようだ。

 しゅごい。


「朝っぱらから、何の御用時ですかぁ?」


 馬鹿にしくさった言葉に声音。

 入ってきたのはベアトリーチェ専属メイド、ブルニルダ・バッチョッキ。

 ここまで礼儀知らずなのに伯爵令嬢なんですってよ!

 バッチョッキ家はどんな教育方針なのか御当主に聞いてみたいわね。


 ベアトリーチェはブルニルダの頬を掠める位置を狙い澄まして水差しを投げた。

 床に落ちたクリスタル製のガラスが派手な音を立てて割れる。


「きゃああ!」


 悲鳴は年相応の女の子らしかった。


「水が入っておりませんわ、能なし。とくと己の職務を真っ当なさい」


 努めて冷ややかな声を出す。

 ブルニルダが初めて経験しただろう、あるじとして、公爵令嬢として相応しい振る舞い。

 驚きに固まったブルニルダに、追加で声をかける。


「早く水の用意をなさい。二度も同じことを言わせないでほしいものね」


 思いっきり嫌みったらしい口調で肩を竦めて見せる。

 一瞬だけ怒りに満ちた表情を浮かべるも、ベアトリーチェから溢れ出る、怒気に限りなく近い覇気に恐れをなしたらしい。

 失礼いたします、もしくはいたしました、の言葉もないまま部屋を出て行った。

 ばたーん! と激しく扉の閉まる音がする。


「まずは扉の開け閉めから躾けないと駄目かしら?」


 これって、ヒロインじゃなくて、悪役令嬢の思考かしらねぇ? などと考えつつ、ベアトリーチェは一人で着られるドレスに着替えながら、虎視眈々とブルニルダの戻りを待った。 

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