転生するまで。
ブラック企業に勤めて早三年。
まだまだやれるわ! と無駄に負けず嫌いだった佐藤葵、29歳は。
その日も何時も通りに深夜タクシーで帰宅した。
基本四時間睡眠で面白いゲームがあれば三徹も辞さなかった日々。
中学、高校、大学までやっていた剣道でみっちりと鍛えられていた体力と精神力を過信していたのだと、今ではわかる。
あとはあれ。
寝不足とどっぷりと浸かってしまった乙女ゲームの世界に、半分以上心をもっていかれてたんじゃなかろうか。
「ただいまかえりましたー! っと」
おかえりー! と返してくれる人がいない、安アパートの一人暮らしワンルーム。
バスはユニット、トイレはただの水洗。
洋式なだけマシと言われればそれまでだが、実家が暖房&温水洗浄便座だったので、どうしても不便に感じてしまう。
ただただ会社に近いからという理由で選んだアパートなので、お金が貯まったら引っ越しを……と考えていたけど時間がない。
いや。
正確には作ればあるんだろうけど、優先順位が低かったから難しかった。
しばらく前から会社でのストレス発散は、乙女ゲームをプレイすることでしかできなかったからだ。
冷凍庫から温野菜セットと冷凍御飯を取り出してレンジの中に放り込む。
解凍にセットしてからバスルームに移動して、着ていた物を脱ぎ捨ててルームウェア兼寝間着のスウェット上下に着替えた。
「……え、もしかしてまた痩せたとか?」
腹の上まで持ち上げたズボンがずるっと落ちかける。
二つしかないスウェットをヘビーローテーションで着ているから、ゴムが劣化したのかもしれない。
「うん。劣化だよね、劣化。健康診断で痩せすぎとは言われてないからね……痩せ気味ではあるけどね」
洗濯は夏場なら三日に一度、冬場は一週間に一度。
高かったけど乾燥機能付の洗濯機にしておいて良かった。
職場はIT系だけど、服装には厳しくない。
クライアントと打ち合わせの際には、職場に置いてあるジャケットを羽織れば七難を隠せるので大丈夫。
だからしわになりにくい素材を選んでいる。
おかげでアイロンをかけなくともワイシャツやブラウスが着られた。
夜中に洗濯機を回しても苦情はこない。
何故なら住人のほとんどが夜職や夜勤についているからだ。
大家のお婆ちゃんがそう言っていた。
なので遠慮なく洗濯機をセットする。
ついでに風呂の湯も溜めておく。
溜まったら自動で止まる機能なんてないから、食事時間を考慮して細くお湯が出るように調節している。
失敗を重ねた結果、概ね望んだとおりに溜められている今日この頃だ。
チーンと解凍完了の音がするので、今度は温めボタンを押す。
電気ケトルに水を入れてセット。
放置するとすぐカビるのでそのとき使う分しか入れないようにしている。
夜は大体インスタントスープとコーヒー一杯分だ。
インスタントスープは通販で購入した野菜たっぷりシリーズ。
今日はトマト味。
他にもカボチャ、豆味がある。
最近はこれがお気に入り。
これしか勝たん! と飲み続けているインスタントコーヒーは、値段が高いけどバーゲン時にまとめ買いをしているので若干お得な値段で楽しめている。
三つ子の魂何とやらで、実家で飲んでいた味が一番好みだったので仕方ない。
ふと、実家から送ってもらえる環境だったらいいのになぁ……と思うも、むりむりむりと頭を振った。
実家とは疎遠だ。
学歴至上主義な実家はITに強い新設の大学へ行くと決めた時点で切り捨てられた。
学費も大学分は奨学金でまかなった。
成績は優秀だったので気合いで成績優秀者だけが使える返却不要の奨学金を選んだ。
進路は限定されるが大学在学中は勉強と資格取得に集中できたので、選んで良かったと思っていたのだが……。
どうやら自分たちが思うとおりの進路を選択しなかった娘に御立腹だったらしい両親が、進路先をねじ曲げた。
本来であれば有名なホワイト企業への就職が内定していたのだが、突然内定取り消しの連絡があり、問答無用で現在の有名ブラック企業への就職を提示されたのだ。
ブラック企業に勤めなければ返済不要の奨学金を全額一括返金してもらうと脅されたときは、弁護士を頼もうかなぁ……と検討もした。
したが結局、金銭的余裕もなかったし、その時間が面倒だったので指定された会社への就職を決めてしまった。
百人近くいた同期が十人を切ったし、三年は勤め上げたので、そろそろ転職を……と考えたのだが、直属の熱血上司が大変だがやりがいのある仕事をどんどん押しつけてくるので、結局未だに在籍したままだ。
残業代は出る。
交通費は全額支給。
何と期日までに申請すればタクシー代も全額支給。
そもそもの基本給もいいし、手当関係も厚い。
金銭的にはかなり良い会社だ。
実際貯金額は三年勤めと考えれば、頑張ったね! と誰もが言ってくれる金額になっていた。
だが拘束時間は長く、上司は許容を超えた仕事を振り、クライアントは理不尽な納期を迫ってくる。
『金だけじゃ、長くは続けられねぇよな?』
とは辞めても付き合いのある元同期の口癖だ。
全くもって同意しかできない。
「転職か……」
転職 ITとキーワードを入れて検索をかける。
IT専用お勧め転職サイトなどがずらららっと表示された。
一つをタップすれば、再びレンジが鳴る。
御飯はパックのまま。
たまごと鮭のふりかけの封を切って半分ずつをふりかける。
最近アニメ化が決まった乙女ゲームのイラストが描かれたふりかけだ。
一パック十袋入りでシール一枚付。
シールは全部で二十種類。
推しキャラが描かれているシールは全部で十五種類。
人気キャラなので、単独だけでなく誰かと絡んでいるイラストも多いのだ。
現在十種類までは収集している。
ダブりも多いのでふりかけ生活は当分続きそうだ。
老舗メーカーの商品なので味がしっかりしているのは嬉しい。
最近コラボ商品が多くて、追いかけるのが大変だ。
スープにはお湯を注ぎ、野菜は皿へ移してごまドレッシングを回しかける。
以前はポン酢と交互で使っていたのだが、最近美味しい玉葱ドレッシングとトマトドレッシングを見つけたので、四種類のローテーションとなった。
新しい味を発見するのも好きなのだが時間がない。
好きな味付けであれば、同じ物を食べ続けるのが苦にならない性質で良かった。
味変はしているけれど、御飯、スープ、温野菜の三点セットがここ一年の夕食内容。
ちなみに朝食は食べない。
食べているなら寝ているか、乙女ゲームがしたいのだ。
「さて、と……食事中は、やらないとねー」
今嵌まっている乙女ゲームは、ドアマットヒロインもの。
携帯とノートパソコンの両方で楽しんでいる。
家では少しでも大きな画面でプレイしたいので、ノートパソコンを使う。
並んだ食事の向こう側にノートパソコンを設置して起動。
食事をしながら乙女ゲームを楽しむ。
最近多く発売されているドアマットヒロインものだ。
ジャンルとして定着してきた頃合いなので様々なタイプの作品が出はじめた。
出だしの頃は、序盤で虐められる、主人公の健気さに絆される人が現れ始めて、主人公を溺愛し始める。
最後は虐めていた人々が罪の重さによって断罪される……そんな作品が多かった。
だがある程度出揃ってくると傾向も分かれてくる。
虐め描写特化、溺愛描写特化、断罪描写特化、ハッピーエンド後の話の方がボリュームが多い……などなど。
今プレイしているものは、虐めと断罪描写が多いと評価されている乙女ゲームだ。
虐め描写はなかなかにエグい。
個人的には虫系、汚物系、食べ物系は特に苦手だ。
制作者の中にホラーゲームを得意とする人がいるらしく、何ともいやらしい描写が多かった。
ゆえにグロ描写のオンオフを細かく設定できるようになっている。
残酷描写オフは当然として、虫描写オフは面白い。
主人公の幸せ描写を表す場面で飛んでいる蝶々まで消されてしまうのだ。
ぽわぽわと飛んでいる綿毛が本来は蝶々だと知ったときは、その前後だけ設定をオンにしてやり直したものだ。
「食事中はできる全ての苦手描写はオフだよねー」
場面によっては切り替えるが基本、残酷描写はオフにしている。
食事前は念の為確認してから始めるようにしていた。
面倒でも心置きなく楽しむためには必要な手配なのだ。
「えーと。どこまで進めたんだっけ?」
最新のデータをロードして頷く。
「あ、そうか。切りがいいから選択肢を選ぶ前で止めたんだった」
おかげで仕事中のふとした拍子に、どの選択肢にしようかなぁ……とゲーム画面が脳内に浮かんだものだ。
この乙女ゲームは一度クリアしてからでないと個別ルートには入れない。
なので、一週目をクリアしても乙女ゲームを攻略した気持ちにはなれなかった。
「うーん。兄も弟も良い印象がないからこそ! 兄からやろうかな」
この乙女ゲーム。
なんと実の兄や弟、果ては父親とのエンディングまである。
追加シナリオをダウンロードすると禁断の十八禁エンディングまであるという噂だ。
「噂通りだとして、大丈夫なのかしら? 実の兄もしくは弟エンドってあまりないのよね。大体、実は養子だったとか、主人公こそ血が繋がっていなかったとか、ストーリーの途中で明かされたりするんだけど……」
少なくとも一度目のエンディングでは、そういった設定はなかった。
ただルートによって設定が変化したりするゲームもあるので、結果を見るまでは何ともいえない。
「このメーカーの乙女ゲームは十八禁の実況は禁止だからね。本当に知りたかったら自分でプレイするしかないんだよなー」
とにかく忙しい日々を送っているので、そこまで興味をそそられないゲームに関しては実況動画で楽しんだりもする。
このゲームの十八禁シナリオは新作ゲームを一本購入するのと同じ値段なので、少しでも様子を見てから購入を決めたかった。
「誰かプレイしている人に、こっそり感想を聞いてから決めればいいかしら?」
SNSで乙女ゲーム好きの人とのやり取りは多少だがあるのだ。
何度かリアルで会った人もいる。
「でもあれよね。取り敢えず全年齢版のコンプリートをしてからよね!」
ぐっと拳を握り締めて食べ終えた食器を片付ける。
大きく伸びをしてから、ノートパソコンを風呂場に持ち込む。
存分にプレイしながら長湯と洒落込んだ。




